いまどきの逝き方

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月18日 23:53

タイトルは日本経済新聞の夕刊の特集名です。

事務所お隣の税理士先生が、私が常々『お葬式』に関心をもっているという噂を聞いて
記事のコピーと資料を持ってきてくださいました。

その資料のひとつに、日経スペシャル「ガイアの夜明け」 8月15日放送の

「葬儀をプロデュース~変貌するニッポンの“お葬式”~」

がありました。
また、

日本貿易振興機構(JETRO)のレポート「日本の葬際業の動向」(2006年2月)には、
葬儀が喜ばしいセレモニーであるはずがない、閉鎖性、地域密着型の性格が強い、「死」という厳粛な事実と向き合い、遺族の情緒面の尊重からも、業者格付けの動きや、サービス向上のための人材の育成、資格制度導入が必要、というような記述がありました。

確かにそうだと思います。

でも、

エンバーンミング(遺体衛生保全)で、生きているような状態で長い期間保存したり、
事故などで損傷した遺体を修復する仕事(そのご本人は『遺体屋』と命名)や死体にお化粧を施すプロがいます。

『延命・最期の選択』と題した読売新聞の社会面連載(7月31日~8月6日)に、
350通を超える反響があったそうです。

葬儀の簡素化に伴って、自然葬(海や山林はへの散骨が中心)希望者が増え、家族の絆、墓のあり方についての認識が大きく変化しています。
外資系企業が参入し、順調に業績を伸ばしています。

バラやカラーで花咲く葬儀やハウスフューネラル(家族葬儀)も大人気。

エンディングノート」、「遺言ノート」類の書籍は、本屋さんにコーナーができるほど売れています。

グリーフケア(死別の悲しみを癒し、故人のいない環境になれていくことを支援する)の必要性が語られます。

そして、生前葬(Pre-Need/Pre-Planning)

私はこれは、悲しみではなく感謝とお祝いの葬儀の形だと考えています。

これらを、『埋葬新時代』と表現する人がいます。

人は死ぬのが怖いのではなく、忘れられるのが怖いのだとしたら、『生きた軌跡、証を残したい』
そう思うのは自然なことだと思います。

どうやって死ぬのか、それはどうやって生きるのかと同じ命題だと思うのです。

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コメント

興味、多大です。でも死は、生き年生けるもの100パ-セント平等なので、それまでが大切ですね、
釈尊曰く、死は迷いのない境地への旅立ちなり、、、。

>m、n。様
コメントありがとうございます。

友人が寄せてくれたメールから、

『死によって自分が忘れられることは怖くありませんが、死によって自分の意識が中断されること、死に向かいつつも生きている中でこれまでの人との出会い、感じたことなどが一部を除いてどんどん記憶からなくなっていくことが怖いです。』

謙虚に誠実に、そして悩み生きているからこその言葉だなあと噛み締めました。
「死は迷いのない境地への旅立ち」然りです。

忘れられたくない

この言葉は、死を実感した人から同じように聞きました。

だから、葬式でお酒を飲んで故人を偲ぶのだと思います。日本の伝統にはそういったことがあると思うんですよね。実は西洋にも、アメリカにもありました。

なので、これは死を実感した人間が思うことなのかな、、と考えています。

さらに、最近考えているのは、1周忌とかをクリニックで行おうかなということです。

これは、医療が、病気、身体、心、そして、患者人生も診る、という Medicina Nova の発想からきています。

どうでしょうねーーー

>田中先生
とっても難しいですね。

実は、生前葬をビジネスにと考えて、どの場所に事務所を構えるかで悩んでいた時、院長に相談しました。
これは病院には巨大なスペースが遊んでいたのと、病院に来る人に一番身近なテーマだと思ったからです。

院長はその善し悪しを言う前に、「患者の大部分は、精神的に病気を克服できないでいる。生前葬の“葬”の部分が少しでも出ると、
『自分のことを早く死ねっていってんのかっ』って、まるで暴走している車にでも突っ込んでいこうという気分になる人が大部分なのだよ』と。

(勤務していた病院だけかもしれませんが、)今や日本の人口比にならい、大部分が老人病院となり、家族に邪魔者にされるような扱いで、時間つぶしに一日の大部分を病院で過ごす人が何と多いことか。

私自身も、身体が思うように動かず、そのまま良くならず、仕事も家庭も奪われていくような状態だったら、きっと間違いなく鬱になっていただろうし、死にたい気持ちになっていたと・・・

「あなたのように、打ち勝てる人は稀なのだよ」と言われたとき、克服ではなくて、単に運が良かったことに、もっと謙虚にならなくては、とてもじゃないけれど、お葬式をターゲッティングした起業など、できるわけがないと深く反省したのでした。

きっとMedicina Nova の発想を丸ごと理解している人たちの中でなら、うまく受け入れられるし、すごく有り難いことなのでしょうが・・