『今日は』 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月25日 23:35 |
9年前の今日、出産しました。
昨日から無資格助産行為・出産現場で違法が野放しになっていることが報道されています。
私は、リウマチでかかっている大学病院の産科で産みました。
予定日3週間前の37週に入った早朝に破水。
産科病棟の看護師は全員が助産師資格者でした。
でも、朝から陣痛室へ入っても、陣痛は遠のいていくばかり・・・ひたすら眠いのです。
そんなとき、助産師さんは、桶に熱いお湯を入れて私の足をあたためながら、おっぱいのマッサージをして、(これは陣痛促進の効果もあり)産後のおっぱいの出をよくするようにとか、夢現の私に、出産のビデオを流して、呼吸法の練習、時には隣の新生児室から、牛乳パックぐらい(?)の新生児を抱えて、私の腕に抱かせてくれました。ちっちゃいのに、ものすごく重かった!これは、大きな感動でした。
さらに、赤ちゃんの名前や、故郷の風景、両親の思い出とか、いろんな質問で眠らないように仕向けてくれました。
まさに「いのちの教育」でした。
結局、夕方になっても陣痛の間隔が狭まらないので、陣痛促進剤を少しずつ使いました。使用を決めたのは医師ですが、安全に使うことを丁寧に説明してくれたのは助産師さんでした。
その後は、リウマチの比じゃない、卒倒しそうな陣痛にのたうち廻りました。
暴れまわって分娩台へ向かうまでの、内診、出血の処置、痛みを遠のかせるために押さえどころのツボだって、助産師さんは落ち着いて慣れたもの。
内診台にあがったこともないような、若い産科女医先生に「どうして痛いんですかア?」なんて聞かれながら内診されるより、どんなに安心できたことか。
小児科の先生を含めて医師団が到着したのは、産まれる30分前で、最後の切開とか、産んだあとの縫合とか、そういう医療行為をして終わりました。助産師さんたちは、赤ん坊の頭の出具合だとか、あと何回ぐらいでいきんでいいとか、ともに汗をかいて呼吸してつきっきりでした。
何より、「赤ちゃんが生まれようとがんばっている」というメッセージを何度も伝えてくれました。
今、周産期医療は過酷すぎる労働環境や高い訴訟リスクを背景に、まさに崩壊の危機にさらされていると言われています。
地域医療連携で訪問した、産婦人科診療所の先生は30歳過ぎから40年、ほとんど毎日お産に立ち会って、一日も自宅で寝たことはないとおっしゃっていました。隣町の自宅にはお風呂とごはんに帰るだけ。診療所のベッドが空くことは365日ありません。
その先生は、70歳を過ぎた一昨年、産科を閉めて、婦人科だけにされました。
お産の痛みは忘れてしまいますが、9年前の『ながーい今日』、冷たい無機質な陣痛室で、寄り添って過ごしてくださった助産師さんから教わったいのちの重みは、これからも忘れずにいたいと思います。
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コメント
お産のご苦労は我々男どもには直接理解は不可能です、しかし世の男性諸君、男は雄々しさを忘れず。同時に、いたわりの心をも育んで行こうではありませんか!!
9歳のお誕生日おめでとうございます。
>m、n。様、はねぴー様
ありがとうございます。
お産は病気ではないけれど、命がけです。安心して産める環境が少子社会を変えていくと願いたいです。