臨床研修指定病院と常勤病理医

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月26日 23:50

お芋の話でご登場いただいた、山形大学名誉教授のI先生は病理学の権威です。

I先生は、院長がまだ医学生だったころに院長を教え、当時空手にばかり熱中して大学の勉強は他力本願で、病理学の試験に自分の人生観を記述した院長に、満点を与えた先生です。

40年近く音信不通のI先生と院長が7年前に再会したきっかけは、院長が病院を臨床研修指定病院にしようと必死になっていたとき、どうしてもその条件に足りない最後の基準が“常勤病理医がいること”だったからです。

病理医は他の専門医に比較して各段に人数が少ない状況です。もちろん解剖室や病理室がある大学の附属病院や、医師会立の病院などには常勤医がいますが、民間市中病院で常勤病理医がいるところはまずありません。

院長は厚生労働省のお役人の前で「あと三日で(病理医を)用意します」とたんかを切りました。

それから、考えあぐねた末に思い当たったのが、山形大学名誉教授のI先生でした。
常勤となってもらうためには、少なくとも現役教授だとか、現職の先生では、「三日で」という約束を果たせません。すぐに、I先生に電話をかけました。
I先生はよほど院長の印象が強かったのか、40年前の教え子の名前を覚えていました。
電話を切って、その足で院長は山形まで車を飛ばしました。

院長の無謀とも言える突然の申し出に、I先生は『君の頼みなら』と二つ返事で了解してくださいました。

これで病院は、臨床研修指定の施設基準を本当に獲得してしまったのです。

ただ、山形からI先生に勤務してもらうわけにはいかず、年に数回、病理症例カンファランスの講師として、医師の指導を兼ねて来院していただくことになりました。

入職当時から私は院長に
「俺の恩師であり恩人のI先生に嫌われるような阻喪があれば、すぐ首だ、首だぞ」
と言われ、ホテルの宿泊、新幹線チケットや、カンファランス後の食事のアレンジなど担当することになりました。
総務課や地域医療連携室に移っても、この役割だけは変わりませんでした。

それで、院長室でI先生に焼き芋を・・・ということになったのです。

<<前の記事:『今日は』    『今日は』 おまけ:次の記事>>

コメント

病理医のお話し、とても懐かしく耳に響きました。私の叔父も病理が専門でした。明治の人で、戦前、北京大学、平壌大学で教鞭を取り、敗戦後は広島で原爆をあびた被爆者の治療にあたりました。
その後、T大学の病理学教室で教鞭を執り、
癌と結核菌の研究を致しておりました。
叔父には素朴な夢が有りました。
ノ-ベル賞です。私は高校時代からその叔父の手元で、病理染色の手伝いを致しましたので、病理とか、病理学と云う言葉がとても懐かしく、病と発病、その因果関係などに、最も興味をそそります。親友が不治の病に罹り、その因果関係に関しても、日頃思索をする事が有ります。
叔父が亡くなってから既に45年の歳月が流れます。ノ-ベル賞の夢は儚く終わりましたが、
その叔父もお芋が大好きでした。
病理医とお芋の因果関係にも興味をそそります。

m、n。 様
叔父様のお話、ありがとうございます。
私にとってもI先生との出会いがあるまでは、「病理医」は聞き慣れない存在でした。
今後、益々注目されるのではないかと、叔父様のまかれた種が、芽となり、いつか大きな木になればいいなと思いました。