電子レンジ(1) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月28日 23:33 |
昨日、自宅の電子レンジが壊れました。
電源は入りますが、スイッチを入れてチンするのにターンテーブルは回っても、全く温かくなりません。冷凍食品は冷凍のまま・・・
毎日のように使っているので、9年目は寿命なのかもしれません。
困ったなあと(お弁当作れないよ・・これって、今さら情けないコトですね)思いながら、仕事にまつわる電子レンジの悪夢を・・・
アメリカ人上司夫妻が来日して、つくばで生活を始めるお手伝いをしたとき、お菓子作りが趣味の夫人は、アメリカサイズの四角いケーキやお皿が入るオーブンレンジがどうしても必要だと言いました。
テレビやエアコン、洗濯機、乾燥機、掃除機、食器洗い機など揃えていくと、
(表参道辺りの外国人専用マンションなら全部備え付けなのでしょうが、上司が住むと決めた家はカナダ人が設計した築10年目の民家で、なんといっても15年前のつくばです)
どうしても大型の特注マイクロウェーブは会社の予算限度額をオーバー。
夫人の機嫌を損ねることを恐れた上司は、
「テレビはいらないからマリーン(夫人の名前)にオーブンレンジを」
という決断をしました。
かくして、私は大型レンジの英語版マニュアル(これはメーカーから取り寄せました)や、操作ボタンに英語のテプラを貼りました。
(その後、自費でテレビを買うことにした上司に付き添って、大型電気店の特売にも並びました。)
さて一方、病院の院長室は、院長にとっては自宅よりもくつろげる自分のお城です。
この続きは明日に・・
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コメント
アメリカ人上司が来日して、などと文章を読むと、何故かタイムスリップした様に戦後間もなくの情景を思い出します。
私は魔愛さんとは異なり、横浜生まれの横浜育ち。アメリカ人には良しも悪しきもお世話になりました。
まず悪しきは空襲です。疎開から帰ると、辺り一面、焼け野原でした。勿論、家は焼かれて有りませんでした。61年前の事です。
しかしこのアメリカ人には良きも沢山教えられ、与えられました。
何時もおしゃべりが過ぎるので、以後は反省し、簡単に。ケ-キのお話し。
現在、横浜球場が有る場所に、米軍のスポ-ツ施設が有りました。
クリスマスに其処へ招待をされ、生まれて始めて美味しいデコレ-ションケ-キをご馳走になり、キャンディ-、チョコレ-ト、チ-ズやコンビ-ブの入った大きな袋を帰りに頂きました。
子供って単純でしょ、それでアメリカ人、大好きになってしまうのですからね、、、、。
考えて見ればGHQの占領政策のベルトの上にスム-ズにのせて頂いた分けすがね。
れより、私は、魔愛さんのレンジからのケ-キの香りの方が、気掛かりですね!!
実はお線香の香りも好きなんですね、、。
>m,n。 様
戦後の食糧難の時代に、デコレーションケーキやチョコレート、チーズ、コンビーフはさぞ、ご馳走で、アメリカ人大好きも頷けます。
奥様はとてもお料理がお上手で、Thanks Givingのターキーや、手の込んだデザートを何度もご馳走になりましたが、原色の四角いお砂糖の塊のようなケーキだけはちょっと・・・