第13回

投稿者: | 投稿日時: 2006年09月28日 16:27

転院した先での救いは、
執刀してくれるドクターへの信頼が
セカンドオピニオンを受けていたときから絶対的なものであり、
彼の明確で丁寧な説明に、手術そのものに対しての不安がなかったことだ。

それでも手術を受ける“患者”としては、
自分でも気づかない大きな不安があったのだと思う。
それが、病院へのイライラや不満となって表れていたのではないだろうか。

そうはいいながらも、


手術直後の呼吸のために「風船を膨らませる練習をしなさい」と言われたり、
手術室のナースや麻酔科医が訪ねてきたり、
もちろん家族で手術の説明を受けたりと、
手術までの1週間はあっという間に過ぎた。


10月12日。
その日二番目の手術である私は、朝からソワソワと自分の順番を待っていた。
まさに待つしかなく、何か別のことをしたり、家族と会話を楽しむなどという余裕はなかった。


いよいよ、そのときがきた。


手術室に向かうとき、
映画やドラマのようにスローモーションで家族の顔を見、
握手をしてストレッチャーで運ばれる・・・
なんていうのは半分ホントで半分ウソだ。

私は、母と姉に見送られたが、まずストレッチャーに寝かされる前に、
病室のベッドで、鼻から胃へ太いチューブを入れられるという、
拷問のような儀式が待っていた。

研修1年目のやさしいドクター(ハリーポッター似)が、
「ゴクン、ゴクンと飲み込みましょう。はい、ゴクン・・・」
と掛け声をかけてくれるが、そんな生易しいものではない。
まったく意に反してチューブは下に入っていかないのだ。
突然侵入してきた異物にからだ全体が拒絶反応を起こしているようで、
それはそれは苦しい。

(まさか、この作業がふつうは麻酔がかかってからやるものだなんてことは、
退院して数ヶ月してから聞いた。
そしてこのチューブとの付き合いが、あんなことになるとは・・・!!)


「息苦しい・・・」ストレッチャーに寝かされた後も、
鼻からのどを通って胃に入れられているこのチューブが苦しくて、非常に不快。

いまこの瞬間のチューブの不快さが際立ち、
手術に向かう不安や、廊下に残される家族に思いを馳せるなどという余裕は、
正直まったく無かった。

<次回へつづく>


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