JMM読者投稿「医療の産業化」について

投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2006年10月13日 19:25

====質問:村上龍============================================================

Q:732
 10月1日付の読売新聞は、ある東大教授の「医療の産業化」をテーマにした小論を掲載していました。財政負担が軽く、かつ経済格差を生じない医療の産業化というものがこの社会に存在するのでしょうか?

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 ■読者投稿:中村利仁

 以下、医療政策・医療経済の研究者の間では常識に類するところからお話をさせていただきます。

 既に日本の国民医療費(お産や差額ベッド代などを除いた医療費の総額)は年間32兆1111億円という金額に達しています(厚生労働省・平成16年度国民医療費の概況)。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/04/index.html

 この支払額全体を産業としてみた場合、平成16年の名目GDP496兆円の約6.5%を占めます。これは先進7カ国中ではイギリスに次いで7番目、つまり最低の水準です。

 重い負担かどうかとなると議論の余地はあります。先進国の中で医療費負担を国際比較するときには、OECD Health Dataの Total expenditure on healthがよく用いられますが、医療費負担世界最高のアメリカは対GDPで現在15%ほどと日本の倍以上の水準であり、これに比べて日本が重い負担であるとするのは些か無理があるのではないでしょうか。

 また、同年度の介護保険給付費総額は6兆2025億円でした(厚生労働省・平成16年度介護保険示威業状況報告(年報))。
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/osirase/jigyo/04/dl/02.pdf

 両者合わせると38兆3136億円、対名目GDPで7.7%となります。

 他方、医療・福祉・介護関係の就業人口は578万人と、全就業人口6427万人のおよそ9%を占めるという産業分野となっており、しかも成長し続けています。もはや農林業人口267万人の2倍を超え、建設業人口549万人とほぼ同じ規模となっています(総務省・労働力調査(速報)平成18年8月分)。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/pdf/05400.pdf

 以上、既に医療・福祉は日本経済の中で少なくない位置を占める巨大産業であると言えるのではないでしょうか。

 日本の医療費負担は国民皆保険制度の下に運用されていますから、国民のおよそ99%は何らかの公的医療保険によって費用負担を再分配しています。財源別国民医療費を見ると、患者負担がおおむね15%、被保険者保険料が30%となっており、他を事業主からの法定福利厚生費から20%あまり、税収等から35%となっています。

 国際的に見ると患者負担割合自体は先進7カ国中最高の水準にあるのですが、保険でカバーされる範囲はおそらく金額ベースで90%以上と思われます。日本では、まずまず所得格差には関係なく、よくも悪くも平均した医療が受けられる状況が続いてきたと言っていいのではないでしょうか。所得よりも地域格差の大きいことが日本に於いてはより大きな問題として捉えられてきていることからも、経済格差は現在のところ未だあまり大きな問題ではないのだろうと思います。

 さて、日本の医療の産業化が可能であるかという問いには、現実の医療が既に大きな産業であるという認識が欠けているように思います。

 また、医療というサービス産業には、もともと人件費の占める割合が大きいという特徴があります。たとえば、東南アジアには外国人向けの医療施設が少なくなく、外貨獲得の切り札としての産業育成が行われています。アメリカの医療産業が対GDPで15%という大きな役割を果たしているのも、これによって経済成長の牽引役となっているという事実から来るモノである点も見逃すべきではないでしょう。

 落語「花見酒」のようなフローとしてのサービス産業の中でも、向こう20年間確実に成長し続ける医療・福祉分野は、特異な存在です。ここを無理に成長抑制すれば、今後あるべき経済成長の少なからぬ部分が失われることになるでしょう。

 問題は費用負担です。

 研究者の間では、既に患者自己負担の平均値は上限に達してしまっていると考えられています。患者全体の負担の強化は困難です。対して、ほんの一握りの富裕層でも、規制緩和等による医療産業の成長の中で果たすべき役割は小さくありませんが、現実に医療産業全体に与えるインパクトは特定診療領域、特定医療機関に留まります。

 硬直化した財政の中で、これ以上、医療サービスや福祉産業に税を投入するのは政治的に困難な状況が続いています。というよりも、硬直性の高い医療・福祉分野を担い続けることに、政府は嫌気がさしているようにすら見えます。ただし、アメリカの場合、公的医療保険であるメディケア、メディケイドだけに、日本の対GDP医療費に相当する所得税収などが投入されている事実は無視すべきではないでしょう。

 雇用主にとっては問題はもっと単純で、法定福利厚生費の大半が引退世代に渡っていくという現実は甘受しがたいものがあります。何と言っても直接に企業生産に寄与する世代ではないのですから。

 財源は、煮詰めれば企業利潤と労働者の所得の二つしかありません。ところが、高齢化社会は、所得と資産がしばしば乖離する社会でもあります。研究者の間でも財源についての考え方はいくつかありますが、患者負担と被保険者の保険料を引き上げない、事業主負担も上げないとなれば、税収に頼るしかないのは自明です。

 ただし、より公平な費用負担ということを考えれば、国民健康保険に事業主負担相当額となる独自財源がないという点について、考慮すべきでしょう。

 個人的に提案したいのは、事業主負担を全廃し、各種の繰り入れ金を整理して、被保険者保険料と同額を一括して消費税を財源としてしまうというアイディアです。金額としては現時点で年間10兆円、消費税率にして約5%の上乗せが必要で、税率は10%となります。ただし、一般税収からの繰り入れは3兆5000億円あまり軽減されますし、他方、今後の経済成長の如何によって税率が上下する可能性は少なくありません。

 医療費の野放図な増大を抑制する方法としては、当事者意識が最もよく機能すると言われる人口500万人程度の地域保険を全国に20か所ほど設置し、5年程度かけて徐々に各種保険者を統合すると同時に、住民投票によって消費税率を決定することとし、医療サービスの供給量と税負担のバランスを自前で取ってもらうというような仕組みも同時に導入するのが、好ましいかも知れません。

北海道大学大学院医学研究科社会医療管理学講座医療システム学分野助手:中村利仁

(本稿はJMM [Japan Mail Media]  No.396 Extra-Edition4 【発行】  有限会社 村上龍事務所 【編集】  村上龍 【WEB】   に掲載された投稿を、編集部の許可を得て転載したものです。)

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コメント

現在、診療報酬の原稿に取り組んでおります。
書けば書くほど頭がこんがらがる状態なのですが
医療費に無理に抑制をかけないでもよいと割り切ると
随分話がスッキリするな、と思いました。
またご指導ください。

…いま、NHKの「日本のこれから」を見ていますが、国としては医療費抑制政策を放棄する気は全くないようですね。

 だから、こんがらがり続けていただく必要があります。

はい。本日も悶絶しております。

 ただ、健康保険の雇用主負担分が全廃、消費税10%にアップとなれば、医療機関の大半は、医療サービス単価を上げずとも利益幅は増えるはずです。

 だから、病院団体や医師会が反対する必然性はありません。

 また、日本の産業の柱である輸出型製造業は、そもそも消費税を負担していませんから、この制度改革によって大儲けはしても損はしません。

 悪くないアイディアだと思っているのですが…。