海外渡航用書類

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年10月19日 23:59

来月海外に行く予定があり、昨日の外来で、自分で作成した簡単な証明文を主治医に見てもらったら、先ほど完璧に作成された英文書類がメール添付で送られてきました。(『多少修正しても次回サインしますよ』とまで配慮のあるコメントつき)

さらに、主治医は製薬会社にも問い合わせをしてくださって、患者自身が説明する補助資料とともに、以下の参考文面が添えられていました。

Q. 日本での出入国に、自己注射薬や針の申請は必要か?
  →不要(ただし、麻薬と抗精神薬は別だが、日本の薬事法でクリアしている薬品・針・注入器などに 関しては、届けは不要)渡航先でなにか質問された際にすぐ答えられるよう、英文の証明書を持参・渡航先での受け入れはどうなのか調べておく必要がある。

Q. 渡航先への自己注射薬のもちこみが可能か否か?はどこに問い合わせをす ればよいか?
  →その国の大使館の税関部に問い合わせる 

Q. 届けとは、どこに行うのか?
  →渡航先に入国する際の税関に申告する(その場合は証明書と現物を呈示)

Q. 自己注射液の搬送はどのようにしたら良いのか?

  →自己注射液の安定性だが、安定性試験において、25℃暗所にて8ヶ月間まで安定性が確認されており(9ヶ月目以降は規格に適合せず)、40℃暗所では3ヶ月目以降は規格に該当せず。このことから1週間程度の旅行ではきっちり5℃以下で保存できなくても問題ないと考えられる。旅行先にもよるが、宿泊先では冷蔵庫に入れ、機内を含めて移動時は簡単な保冷バックにいれておけばよいかと思われる。

飛行機に乗って出かけようという気力も、先生が導いてくださった現在の安定した病状があるからこそだと、しみじみ感謝の夜でした。

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コメント

病を持ってしまうと何かと気配りが必要になりますね。
なるほど、なるほど、と、自分に言い聞かせながら読ませて頂きました。
昨今の渡航の煩わしさにはうんざりしますね、
ちなみに1969年、始めて欧州に出掛けた時、
羽田から南回りでパリのオルリ-空港まで飛びましたが
出国の検査も、入国の検査も全く有りませんでした。
羽田出国の時、パスに出国のスタンプだけは押しました。
オルリ-ではパスポ-トのコントロ-ルどころか、出入国のチェツクも無く、荷物がベルトコンベア-で運ばれて来て、それを各自が手にして、そのままロビ-に出られました。
フランスと言う国が特別だったのか、入国の係官もおりませんでした。
嘘の様な、これは本当の話なのです!!

>m、n。様

羽田からですかあ!!
まるで政府専用機で出国される方みたいなお話だと微笑んでしまいました♪

ところで、南回りだと24時間以上かかったのでは?
むか~し、ギリシャへの直行便(JAL)だというので鵜呑みにしたら、ペルシャ湾の上空を通る南回りで20時間以上かかりました。(その後、この便はなくなりましたが・・)若くて元気だったとはいえ、かなり辛いフライトでした。

そうなんです。25時間かかりましたよ。
その日の事、とても良く覚えています。
SAS、スカンジナビア、エア- サ-ビス、飛行機は未だジャンボが出現する前で、ダグラスDC8と言う機種でした。」
北回りも既に有りましたが、同じ料金、でしたので、世界を空の上から見聞したくて南回りを選びました。
空路は羽田~マニラ~バンコク~カラチ~テヘラン~アテネ~ロ-マ~チュ-リッヒ、此処でスイス エア-に乗り換え、、、。
SAS機はフランクフルトを経てコペンハ-ゲン迄。
スイス機はバ-ゼルを経てオルリ-空港まででした。
若い性も有ったのでしょう。あまり長かったので時間差など自然に消滅してしまって、気にもかかりませんでした。
丁度ベトナム戦争の最中で上空からアメリカの機動部隊が見えました。
沖縄の上空を通過する時は日本に何時復帰するのかと思いましたね。
同じ時間にテヘランまでフライトの日航機の機長を存じ上げていて、前日、お会いしました。
出達の日にロビ-を出た通路で、その機長がクル-を引き連れやって参りました。
上海でまたお会いしましょうと言葉を交わしお別れしましたが
同じ時間のフライトの日航機は沖縄の上空で大きく右に旋回して行きました。何故!?
そう、フライトコ-スが違っていたのですね。
私は自分の飛行機のフライトコ-スを知りませんでした。
その時、沖縄の上空で写した日航機の写真、今でも大切にしております。
楽しいフライトでしたね、特に何度もいただいた機内食が美味しかった!!
しかしこの旅にはお笑いが有り、私の席は右主翼の前、二基のエンジンがグラグラと動きます、
これは整備不良だと考え、どうしても気になるので、暫くして訪れたスチュワ-デスに
小声でお伝え致しました。彼女笑って心配ないとの事、
あの頃は親切でしたね、暫くして制服が訪れ、機体の説明をしてくれました。
それが自然なのだと!
ちなみに彼は機関士でした。
しかし、あんな楽しかったフライトはその後、一度も有りません。
その後ジャンボになってからは小型の映画館の中に置かれた様で、長時間のフライトはうんざりです。
新幹線も宜しいですが、SLでの旅が楽しかった様に、何故か古きを、よき時代に思えます。
つい、懐かしく話しが長くなりました。
お許しあれ!!

>m,n.様

すご~い!!激動の良き昭和時代の絵巻物を見るようなお話、ありがとうございます。

40年近くも前に世界を空の上から眺める・・何だかものすごい最先端、ハイカラに感じました。

機内食って美味しいものだったんですね!!

とても楽しいフライトだったご様子が、ありありと伝わってまいりました。

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