個別面談

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年11月29日 23:00

今日は小学校の個別面談日。

行きづらいのは、

「毎朝ママを起こすのは私」

と自慢げに先生に言ってるようだし。

「ピアノの練習の時、ママは怒ってばかりいる」

とも作文に書いていたし。

昨日は、筆箱忘れたの気がついても届けなかったし、

一週間、給食のナプキン取り替えなかったこともあるし、

なにより、
勝手に学校休ませてアメリカに連れてった直後だし、

・・・・・・立場悪いわけです。

担任女性教諭は、私より若い男の子二人のママ。
音楽と音読に限りない熱意を注ぐ先生です。

冷や汗かきながら、しどろもどろの20分。

娘が小学校で、

読書を沢山していること
絵を描くことと、工作を懸命にやっていること
ピアノを楽しく弾いて歌っていること
自分の意見を通す??こと

などなど、様子が手に取るようにわかりました。

個性豊かなお友達と満遍なく仲良く、
時に喧嘩もしながら過ごしていることに安堵し、
温かくご指導、見守ってくださる先生に感謝でした。

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コメント

すっかり子供たちが大きくなったら、学校とも近所とも関わりなくなるから今のうちよ。

とても愉快にお母さんとお嬢さんの事が理解できます。
個性のあるお子さん、大切にお育て下さい。みな同じ顔の金太郎飴では悲しいでは有りませんか、
しかし日本社会は個性有る人間を嫌いますね。
上下関係に差し障りが生じるからです。
本来は個性豊かな人材の育成こそ、どの社会にも最も必要なのに、
年功序列、嫉妬深く臆病な国民性は実力有る人間を敬遠する傾向がありますね、
バブルが崩壊した後の大企業に於いて、高学歴、エリ-トコ-スを歩んで来た連中が何の役にも立たなかった現実を観て参りました。知識は持っている、しかし応用力が乏しく、マニュアルを与えないと何も出来ない。自分独自の意見も持たない。あきれ果てた事がしばしばでした。
優秀な人材をも無能化してしまう。これが日本社会の現実です。
学校の事などたいした問題では有りません、長丁場の人生、勉強(知識)も必要ですが何事も経験をさせる事です。それと踏まれても、踏まれても、挫けない意志と忍耐力を付けさせる事だと思います。三流官庁の文部省とは別に!!、、。
最後に一つ質問が有ります。ピアノのお稽古の時、何故怒ってばかりなのでしょう!?、、、。


真木先生、コメントさせて頂いた文中で三流官庁の文部省、これは誤りで、かって三流官庁と言われていた文部省と訂正下さいませ。
以上です。

>のんち様

全くおっしゃる通りですね。
改めて毎日を大切にしようと思いました。

>m,n. 様

「嫉妬深く臆病な国民性」確かに・・耳が痛いような・・


『踏まれても、踏まれても、伸び行く雑草の如く、君の姿、たくましくあれ』

これは小学校六年の担任が餞に贈ってくれた句で、今も鮮明に胸に刻まれています。

ピアノの件は、
要するにバッハやソナタなど難しくて、弾きにくい曲は、
身の入らない、心のこもらない演奏をして、指使いなども目茶苦茶で、さっさと終わらせようとするので、聞くに堪えず・・ついつい?!?!?です


質問にお答え、痛み入ります。なるほど、それが実感です。

友人の子供が上野の音楽学校(芸大)器楽科に入学するまで、毎日5~8時間練習をしておりました。(学校も含めて)
この子はフル-トが好きで最初はピアノを弾いておりましたが、5年生の頃からフル-トを始めて、寝食を忘れる位フル-トが好きでした。
休日などは朝、起きてから、寝るまで吹いても飽きない様子、父親から聞かされ、天性だと感じた事が有ります。
高校生の頃には素晴らしい独奏を聴かせてくれました。
完全音階が完成していて、簡単な曲は耳で聞くだけで、音符を書きました。
人間て凄いものだな~と驚かされた事も有りました。挨拶はとても良く出来ましたが、
その他の事はまるでしょうがないと感じたものです。
天才、モ-ツアルトはお金の使い方すら身に付いていなかった様ですね。
一般の子供達はやらなくてはならぬ事があまりにも多すぎ、一つの事に集中が出来ないのでしょうね!!
特に芸事はその様に感じますが!?、、。

はじめまして、初登場でーーーーす。
給食のナプキン取り替えないの毎週でしょ! きちんと毎日変えてよね。
私はママを毎日起こしているのにー。

>娘さま
ようこそ、いらっしゃいませ。
いつも楽しいエピソードをご提供いただき
ありがとうございます。

>川口さま
ロハスのファンなんです。やっとコンピュータができるようになってうれしいんです。よろしくねっ♡

お嬢さん。
毎朝、お母様を起こすお役目、本当にご苦労様。とても偉いな~と感心を致しました。
貴女は確か九つでしたね。小学校の三年生、
給食のナプキンの取り替え、お母様、忘れてしまう様ですね。
でも、お母様は多分お忙しいのだとおじさんは思います。
それにご病気もあるでしょ!!
おじさんは何時も貴女のお母様は素敵なお母様だな~と思っております。
だから、お嬢さんも洗濯機を使わないで、ご自分の小さなお手々でナプキンをゴシゴシと洗ってごらんなさい。
乾いたらお母様からアイロンをかけを教えて頂いて、自分の事が出来るようになったら凄いな~とおじさんは思います。
元気でお母様のお手伝いも一所懸命して下さいね。
これからはみんなのお友達になって下さい。宜しくね!!、

>娘さま
ロハスのファンだなんて
なんと素晴らしいことを言ってくれるのでしょう!!
こんなに若い読者がついてくれているなら
将来も安泰だと心強く思いました。
こちらこそ、よろしくお願いしますね。

ナント!!
静かだと思っていたら、娘は、書き込みをしていたのですね。

その横で悪知恵を授けたのは誰?(←パパです)
・・・ハートマークとか自分で出せるわけないじゃん??

夢の中の娘は、明日の朝、また喜んで、大騒ぎするんだろうなあ・・と思います。

相手をしていただいて、
誠にありがとうございます。


>m、n.様

お恥ずかしい行状に、優しいお心遣いで諭していただき、
穴があったら入りたい気分です。

娘ともども素直に受け止めたいと心から思いました。
ありがとうございます。

ひとつ先のコメントに戻りまして、『天才』という言葉を見たとき、最近の新聞紙上で、村上春樹氏が『僕の「ギャッツビー」』というタイトルで寄稿されている内容が甦ったので、一部引用します。

*************************
天才と呼ばれる人々の個人的生活にはどんな規範や基準も適応できません。そういうものが適応できるのは「天才ではない人々」についてだけです。天才について語られるべきは、その結果のみです。

天才はどんな生活を送り、どんなひどいことをしても別にかまわない(もちろん芸術的な視点から言ってですが)。破滅しようが、若死にしようが関係ない。ただ素晴らしい作品を後世に残せばいいわけです。
天才というのはその為に存在しているわけですから。
**************************

そうですね、確かに天才と言う人達にはその言葉が当てはまると思います。
しかしモ-ツアルト自身は生前音楽に関して自分は誰よりも勉強し、誰よりも努力をしたと書簡に残していると記憶します。
天才は99パ-セントの努力と1パ-セントの天賦である。と、どなたか申された様な記憶もあります。
天才、確かにそんな人が時としてこの世に存在するものですね。
本当に素晴らしい事ですし、奇跡的なことでも有ります!!
多分、凡夫の私達に出来ない事を為し遂げた人にこそ相応しい呼び名を言うのでしょうね、、、、。
これは凡夫を代表しての私の私感です。
しかし、凡夫で無い御仁は別ですぞ。

おはようございます!!
コメントがたくさんきていて、うれしいです。

> m,n.様

手でゴシゴシ洗う事はしていませんが、アイロンかけなどはしています。ありがとうございました。お手伝いがんばります。
ではでは~。

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