シゲミちゃん

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年03月14日 22:51

1984年末、
急性骨髄性白血病と診断されたシゲミちゃんは、
当時19歳。

同級生だったシゲミちゃんは
和歌山から大阪まで、
片道2時間半かけて通学していました。

法律相談所というクラブに所属していた女子は、
3学年になってシゲミちゃんと私の二人だけでした。
シゲミちゃんは和歌山の病院に入院し、
私は周りの猛反対を押し切って
つくば万博に行きました。

10ヵ月後の1985年9月初め、
シゲミちゃんは、お姉さんの骨髄が適合すると判明し、
主治医を伴って、骨髄移植の為に一家でシアトルへ渡米しました。

万博会期、残すところ二週間という日の朝、
私は羽田から伊丹行き飛行機に乗りました。
日航機123便墜落事故の直後で、
ガラガラ機内は客室乗務員が全員黙祷し、
異様な雰囲気でした。

大阪空港で、シゲミちゃんは、

「ファーストクラスやで。
見たことないやろ、写真とったるわ。
元気になって、エコノミーで帰ってくる」

そう言って、車椅子の上から手を振りながら、
機内に入っていったのが、会った最後です。

あれから22年。
3月14日は、シゲミちゃんのお誕生日です。

ご両親は、和歌山で家業を再興し、
畑を耕し、蚕や蜂を育て、
お姉さんは、シゲミの分までと男の子4人のお母さんです。

シゲミちゃんといっしょに過ごした時があったから、
その後の長い時間に乗り越えられた数々に思いを馳せて、
シゲミちゃんのことをずっと忘れないでいたいと、
この日を迎えるたびに心に刻んでいます。

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コメント

若い時代に悲しい思いをされましたね、
私も21歳の時と、
56歳の時に親友を亡くしております。
親友と言うとやはり高校時代の同級生や学生時代の同窓になります。
シゲミさん、どの様なお方であったのでしょう!?
56歳の時失った同窓にはとても寂しい思いを致しました。
欧州で共に過ごし、旅をした相棒でもありました。
人には必ず別れが有りますが、やはり失ってみると大きな空白が出来るものです。

良寛和尚がこの様な詩を残しております。

微雨空盲たり芒種の節、故人我を捨て何処にか行ける。
寂寥に耐えず、即ち尋ね去れば、万多の青山
杜けん(不如帰)鳴く。


>m、n.さま

コメント、良寛和尚様の詩を
ありがとうございます。

おおまかな意味合いは、わかるのですが、できれば翻訳していただければ、もっと深く理解できて嬉しいかなと・・不勉強を棚に上げて、厚かましく、情けないお願いで申し訳ありません。

シゲミちゃんは、長身で高校時代はハンドボールの国体選手で、大学では、試験前にクラスメイトにノートを配る熱心な優等生でした。
私とは全く正反対・・でした。

良寛和尚の残された詩、
かなり以前に記憶した詩なので多少曖昧な部分が有ったかも知れません。
微雨空盲たり、一応言海をで調べて見ましたが、空盲は当て字かも知れません。

細かい霧の様な雨がけぶる芒種の節(梅雨の時節)故人(佐一と言う人であったと記憶致します)
私を残して逝ってしまった。
寂寥(一人その寂しさ)に耐えかねて、青々と生い茂る山路を佐一を探し求める様にして、彷徨する私の耳に不如帰の鳴き声が私を慰めでもする様に聞こえてくる。

もう少し上手に翻訳される方がいるかも知れません。
まずはご参考までに。

>m,n.さま

早速、わかりやすく訳していただき恐れ入ります。

ウェブサイトでも、良寛和尚さまのページがあって、四季折々の詩がありましたが、行の部分を見つけることができなかったので、本当にありがとうございました。

先に逝くことよりも、見送らねばならぬ寂寥感、やりきれなさが伝わりました。

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