ADR講座(4)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2007年04月15日 01:03

少し間が空きましたが、また和田仁孝先生の論文をご紹介します。  

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 Medical Research Information Center (MRIC) メルマガ vol 7

     ■□ 医療事故ADRのあり方をめぐって □■

                早稲田大学法務研究科 教授 和田仁孝
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<ADRをめぐる対立するふたつの理念>

 ADRは裁判外紛争解決という意味であるが、「裁判外」であれば、おおよそすべての紛争解決手続きが含まれるため、そこには多様な理念や発想に基づくADRが存在することになる。その中で、医療事故の問題を考えるとき、もっとも重要なのが、次に述べるふたつの考え方の分岐である。対比を明らかにするため、やや図式的に述べることにする。

<裁判下請け型ADR>

 ひとつめは、裁判下請け型ADRとでも呼べるADRの捉え方である。つまり、裁判や法的解決こそが、本来あるべき適正な解決であり、それをより広く普及、浸透させるのがADRの役割だとする発想である。特に医療事故訴訟は時間もかかり、多額のコストを要求するため、事案を訴訟に持ち込めない患者被害者も多い、そこで、ADRを設置することにより、法的解決へのアクセシビリティを高めようという考えである。いうまでもなく、これは弁護士や法学者に強い発想である。

 最終的に当事者(医療機関側、患者側)の合意で解決するとしても、その解決案は裁判例をベースに弁護士が提案し主導するという形になる。これは、交通事故紛争処理センターなどで、すでに前例のあるシステムで、実際、交通事故紛争処理センターでは、判例をベースに弁護士が調停案を提示し、被害者側に好評なシステムとなっている。

 また、ADR法が、本年4月より施行されるが、医療界では、この法についての誤解が多いので、これにも言及しておこう。この法律は、その条文のなかで、裁判外紛争解決を「法による解決」を行う機関であると明示的に宣言している。まさに、ADRを裁判下請け型モデルとして位置づける視点が色濃く反映した立法である。また、「時効中断」などの法理効果を得るためには、法務大臣の認証を得ることが求められるなど、ADR促進法という名称とは違って、実際にはADR規制法に近い。これは、世界的にみても異例であり、ADRを「法的解決機関」と明示的に位置づける発想はほとんどみられない。アメリカでもUMA(Unified MediationAct)と呼ばれるモデル法が提起されているものの、実際に採用した州は数州にとどまるし、法的解決機関などという定義はどこにもない。在日米国商工会議所も、この立法を批判する見解を公表したくらいである。

 このようにADRを裁判下請けモデルとして捉える視点が、我が国の法律家の多くに共有された見方であり、医療事故ADRも、まさにそうした理念のもとで制度設計される可能性が強い。それは、法的正義の美辞のもとで、実は法的権威を上から、医療者、患者双方に押しつける権力的なシステムの拡張といえないだろうか。

<対話自律型ADR>

 ADRについてのもうひとつの理解は、むしろ、裁判や法的解決では達成し得ない目的、満たし得ない当事者のニーズのために、自由で柔軟なADRだからこそ、積極的に応えて意向とする理念である。裁判や法的解決を無視するわけではないが、それ以上に、紛争当事者自身が求めるニーズから発想し、当事者自身が最善と思われる解決を自律的に模索していくという「私的自治」を追求するADR理念である。そこでは、法的解決を超えて、「相手方と向き合って話したい」というニーズを満たし、そこでの対話を通して、事故の再発予防策について医療機関と患者側が協議することなど、柔軟で将来志向的な解決を想像することができる。

 この場合、仲介する第三者ないし機関の役割は、手続きを整序しながら、そうした当事者による自主的解決の創造を援助することになる。もちろん、そうは言っても、一定の手続き的制御や、事案解明へのニーズに応えていくことは必要であろう。対話といっても、ただ話すだけで解決に至るわけではなく、そこでは中立的な事案解明パネルを設置したり、事故調の報告を活用したりする工夫が必要となるし、手続き利用にあたっては、医療機関側に情報開示義務を設定するなどの規律も必須である。さらに、通常、ADR手続き内部での主張やについては、守秘義務を課し、法的統御から距離を置くことで、より率直で柔軟な対話的解決が実現されることにもなる。

 こうした最低限の手続き整備を前提に、そこでの解決の内容は、当事者の自律と創造に、違法でない限り、できる限り委ねていくのがこのモデルということになる。そのため手続き仲介者には、弁護士であっても、こうした自主交渉過程における対話を促進し、情報を整序する緻密な専門技法(メディエーション技法)が必要となってくる。それによって、感情的なコンフリクトを吸収し、真の意味で、患者側にとっても、医療者側にとっても有意義な解決が実現されるのではないだろうか。

<医療事故ADRの方向性>

 さて、医療事故紛争をめぐって、現在のような動きが加速してきた背景はそもそもなんだっただろうか?医療事故民事訴訟の急増と、刑事事件の増加がその理由であった。

 医療側にとって、民事訴訟の増加は、防御医療の傾向を否応なく強め、特定診療科の医師不足など医療崩壊をもたらす大きな要因のひとつである。つまり、法的解決というものが、たとえ法的観点からみていくら適正なものであっても、実際に、医療や社会に及ぼす影響を考えたときに、もはや受忍しがたい否定的効果をもってしまっているというのが、現在の動きの出発点にある。

 だとすれば、言うまでもなく、裁判下請け型ADRは、受け入れがたい選択肢ということになろう。判例をベースに、法的解決をより簡易迅速に浸透させようとする裁判下請け型ADRの発想は、訴訟の医療への否定的な社会効果を、むしろ拡張し、加速する効果を持ってしまうからである。しかも、対話を求め、再発防止など将来へ向けた解決を得ることで、事故の悲嘆を受容し乗り越えようとする患者や医療者の強いニーズにも応えられない。

 これは決して、医療側の利益のみを反映する意見ではない。市民団体メディオの調査によれば、証拠保全を依頼した弁護士に対する患者の評価、訴訟を依頼した弁護士に対する患者の評価は、それぞれ「不満」「やや不満」を合わせると、なんと64%、66%との高率に達している。これは、個々の弁護士による対応の悪さというよりも、法的解決手続きが結局、患者側のニーズに合っていないことの証左である。患者側も、法的解決とは異なるニーズに応答的な仕組みを求めているのである。

 以上からみて、医療事故ADRの領域では、対話自律型ADRこそ、機能的であり、ニーズ応答的であり、そして、医療者と患者の関係を事故の被害を超えて、つないでいく有意義な効果を持ちうるものと確信する。

<最後に>

 医療事故紛争処理のシステムを考えるに当たって、現在、我々が直面している問題に対して、何が必要で、何が機能的であるのかを、患者、医療者という当事者の視点から捉えていくことがきわめて重要である。単純な専門的視点、とりわけ法律家の固有の一般的価値観から清楚設計していくことはきわめて危険である。

 「刑事・民事の責任判定や捜査権をもつ事故調」、「裁判的解決を浸透させる裁判下請け型ADR」、これらが法律家の抽象的正義志向が主導する形で設計されたなら、それは、医療事故をめぐる「刑事手続きの拡張」「民事責任の拡張」をもたらし、医療崩壊は一気に加速することになりかねない。患者遺族が求めているのは何か、誠実な医療者が求めているのは何か、そうした視点から、今後、厚労省には独自のリーダーシップを発揮してもらいたいと思う。


(MRICの許諾を得て転載しています)

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