学食

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年06月01日 17:37

初めて学生食堂で昼食を食べました。

学生食堂風景.JPG


午前クラス終了後、
12時半ごろに行ったら、
メニューの大部分が売り切れていました。

可能なメニューから注文したのはコレ
                    ↓

かた焼きソバ.JPG


かた焼きソバ 350円也。

学食なんて、何年ぶりだろ・・
懐かしい雰囲気に包まれました。

お味は、

う~~ん、、、

病院の秘書室裏で立って食べた
検食の方が好みかも・・?

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コメント

学生食堂、本当に懐かしいですね。昨今はかなりメニュ-も豊富なのでは?
私の通学した県立高校には定時制(夜間部)が有ったので学生食堂が有りました。
クラブで遅くなった時、皆でその学食へ行き、うどんとかラ-メンとか、ライスカレ-など時折、食べた幸せ感が思い出されます。
以後海外でも学食のお世話にはズッポリ浸りまして、旅の途中、欧州の色々な大學のそれぞれのメニュ-を味わいました。
パリ大学の学食は当時お変わりが可能で、貧乏学生には幸福の園でしたね。
一日、二食(にじき)の学生もその様な分けで飢えを免れた分けです。
こんな言葉をご存じですか!?
貧乏人は喰える時に喰え、金持ちは喰いたい時に喰え。
戦後からづっとその様な研鑽を積まされて来たので、餓えずに生き抜けましたね。
美味い、不味いなどは二の次、兎に角、衣食足らずば礼節もおぼつかなく、喰える時に喰いました。
これまた片手を付いて反省!!、、、、。

>m、n.様

パリ大学の学食は“おかわり自由”に、ちょっと感動しました。
そのメニューが美味しいフレンチならば、本当に至福の時ですね!

10数年前、夫がベルリンのマックスプランクに在外研究滞在中、フンボルト財団が家族にも学費を出してくれたので、ゲーテ・インスティチュートというドイツ語の語学学校に二ヶ月通ったことがあります。(休職して行きました)
昼は学校前の、ベルリン工科大学の学食でしたが、これが本当に不味い・・・
ベルリンの9月は日本では秋が深まる季節で、急速に日が短くなり、入門なのに全てドイツ語で授業のクラスは完全に落ちこぼれ、片言の英語も通じないし、食事は不味い・・

こんなはずじゃあなかった!!

と生まれて初めて強いホームシックにかかりました。

そうでしたね、欧州でもドイツ、イギリスは特別食事が不味い、ユ-スなどはジャガイモとソ-セ-ジ一本(フランクフルト)日によっては、あの不味い、かたいパン、
ス-プも美味くは無かった。
それでも食事の時間は楽しく、宿泊客の誰かが、ピアノを弾く。モ-ツアルトが多かった様な気がしますね。
時折音楽学校の仲間などがいると、皆で弦楽三重奏とか四重奏を奏でてくれる。
これまたモ-ツアルトの喜遊曲(ディベルティメント)などが多かった記憶が有ります。
音楽の好きな人間には
食事以外、特に当時は日本人に取ってドイツは視線が暖かく良い国でしたね。
三国同盟の絆が国民にはまだ残っておりました。
私は高校生の頃、ヘルマンヘッセが好きで、彼の郷里、カルブの街を尋ねた事が有ります。嬉しかったですね。
あの頃、地方は未だ蒸気機関車が走っており、青年が旅立って行くのを、家族、友人が彼の車窓に立って、発車と同時に合唱などしながら手を振り、送り出しておりました。
ヘッセの世界がそのまま生きている様な気がしたものです。
まさに青春は美しの部分がちょっぴり有りましたね。
古き良き時代の一ペ-ジのご紹介まで!!

芸術、特に音楽に造詣が深い方ゆえの旅情が伝わりました。

いろんな意味でメルヘンの国ですよね!!

そういえば、慣れない炭酸入りミネラルウォーターも、帰国するころには美味しく感じました。
屋台(インビス)のソーセージとフライドポテトも、絶賛です!

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