いのち輝かそう大賞の報告☆

投稿者: | 投稿日時: 2007年11月28日 11:12

ご無沙汰してます!マセイです。
ロハス誌と連動して、いろいろと書きたいことはあるのですが、多忙を言い訳にして筆を取っておりませんでした。もっと書け!とか実は投稿を楽しみにしていらっしゃる方がいたら(いないか;)激励をいただければ投稿頻度がアップするかもしれませんw

さて、いのち輝かそう大賞の宣伝をしてしまいましたのでご報告いたします。

第二回の会場は浜離宮朝日ホール。前回の丸ビルホールよりだいぶ小さく、アットホームな空間でした。舞台とお客さんとの距離が近く、出演者との一体感が生まれやすい環境だったと思います。

今回はあまり会の宣伝をしなかったためか、後ろのほうの席は空いていましたが、それでも盛況といっていい熱気でした。
町さんのすばらしい司会で幕が開き、亀井先生の魂の主催者スピーチとスズカン先生の魂の応援演説の後、なぜか僕がトップバッターで朗読しました。
朗読作品は、久原和雄さんの「好きなことが命を生かす~野菜作り~」。
式の一週間くらい前に(too late)、亀井先生が僕にぴったりの作品だと推して(半ば押し付けて)くれました。
目を通してみて、自分の内的な波動と共鳴するものを感じました。
というのも、僕は最近都市農業に興味を持っていて、野菜(植物)とのコミュニケーションが人の健康に与える影響の可能性を探索していたのです。たとえば「命を育てる」という行為自体が、心の癒しにつながったり、いのちについて思索、実感するきっかけになります。もちろん、有機農法で育てた取れたての野菜を食べることで、たっぷり栄養を取れることもあります(たとえば、さばいてから三日経った刺身はさばきたての刺身とはまるで違います。同様に野菜も取れたてのもののみが持つ「いのちのみずみずしさ」とでもいうようなものがあり、それをいただくことが体にいのちを補給することになるかも、などと夢想したりもします)。また、野菜を育てる中で近所の人や同業者同士のつながりが生まれ、助け合いの関係が生まれるでしょう。これらのことが、日本で失われかけている人と人との損得を超えたつながりを回復する一助になるかもしれません。
今書いてきたようなことが、久原さんの文章から実体験として伝わってくるのです。
自然と、読むにも感情がこもります。
はじめはぎこちなく、独りよがりな朗読でしたが、彼女や親に何回も聞いてもらいながら、20回以上練習しているうちに、作品に関して多くの気づきを得、久原さんの思考に心を寄せることができる(と感じる)ようになりました。僕自身がずいぶん成長させてもらったと感謝しています。

本番は、町さんが司会してくださったこともあり(町さんとは名前があせい・ませいの一文字違いなので共鳴し、仲良くさせてもらってます)、あまり緊張せずに読むことができました。
亀井先生には「君の役目は、聞いた人に勇気を沸き起こすことだ」と言われていたのですが、聞いていた方はどうだったでしょうか?ぜひ感想をお聞きしたいですね。

終了後、会場にいらしていた久原さんが声をかけてくださり、感謝の言葉をいただきました。
亀井先生には久原さんはいらっしゃらないとお聞きしていたので、かなりびっくりしました(正直、久原さんがいると知っていたらプレッシャーが100倍くらいになっていたことでしょうw)。
でも、久原さんの満面の笑顔を見て、それだけで、ああやってよかったな。と心から思いました。

そういえば、途中でお客さんがてんかん発作で倒れてしまったので、医学生グループで看病しました。医学部の友達集めといてよかったですw
そのおかげで朗読はだいぶ聞き逃しましたが、プロの朗読者の方々の朗読に僕の友人たちは感動していたそうです。
倒れた方は救急で搬送してもらったのですが、満月の前後は救急が忙しくなるんだよ、と亀井先生が前に教えてくれました。なんか月の満ち欠けのリズムと人の体には密接なつながりがあるのだそうですよ。ちなみに搬送先に付き添った友人からは、大事にはいたらなかったと報告があり、一安心しました。

終了後の懇親会では、前から話したかったサンプラザ中野さんと統合医療や恋愛トークで盛り上がり、こんど東大に講演に来ていただけることになりました。見た目のゴツさと対照的に、とても気さくでユーモアあふれる方でした。ともどくにもご協力いただければと思います♪

また来年も(国家試験直前ですがw)やりたいです。
ではでは☆

Matthew

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