安心と希望ビジョン会議2(2) |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年01月30日 20:57 |
有識者2人の陳述を受けての議論からである。
野中
「連携について二人とも言われた。診療所が大きくなって病院になったから分化がなく連携が進まないというのは確かにその通りだと思う。もう一つ連携が進まない理由は、連携という言葉が医療機関のために使われているからでないか。地域住民に適切な医療を提供するために連携するんだということについて議論が足りないと思う。外国ではどういう形から連携が構築されているのか教えていただきたい」
尾身
「北欧で連携がうまくいっていると言われることが多い。それは看護師も含めて、タスクシェアリングが進んでいるからと思う。日本はシステムが硬い。注射ひとつ例にしても役割が流動的になっていない。合理主義では、やるべきこととやらなくてもよいことがハッキリ分かれる。
根源まで遡ると、医療体制を誰が作るのかということになる。それがデモクラシーの歴史の長さに由来するんだろうが、住民が保険料を払っている以上、そのニーズから発想するのが当然と誰もが思っていて、供給側の都合で進むことはあり得ない。各地域で必要な医師の数も決めている。その配分は、プロフェッショナル集団がやる国と公権力が行う国とあるけれど、医師の配分を野放図にしている国はない。大きなフレーマーが必要で、日本でもやられたらどうか」
野中
「地域医療計画というのは本来そういうものであるはず。20年も前から計画がある。しかしきちんと立てられてきたか、単にベッド数の話として認識されてきた。どういう体制が望ましいかを考えてこなかった一つの原因は、地域の行政が音頭を取ると、その分お金を入れなければならなくなるという恐れがあったのでないか」
新村
「分化は病診だけでなくコメディカルについても同じ。またケアマネージャー的な人が医療にも必要。これまでは、それを医師が担ってきたけれど中途半端だった。マネジメントの専門家を養成することが必要。(この間メモが解読不能)倫理は積み重ねがあって身につくもの」
辻本
「医学部一年生に話をしても、それこそ看取りも命の教育もされてきていないから、実感がなくて、倫理の授業は居眠りの時間になってしまっていて、育まれていないと聞く。先生は、そこをどう変えていらしたのか」
新村
「講義だけだと難しい。体験学習で外の福祉使節なんかに行かせて体験させるといい刺激になっているようだ。同じ授業を6年の時にもやるけれど反応が全く違う。体験が決め手だろう」
矢崎
「医療を公共財として考えるということについて、たしかに税金が入っているので賛成なのだが、医療側にもそういう認識を求めるなら、行政の関与としてあるなら、国民の皆さんにも医療を公共財と認識していただきたい。フリーアクセスの誤解がある。救急患者のうちかなりが本当に必要なのか疑問な人たちだ。専門医療への過度な期待もそう。国民全体で考えないとコンセンサスは得られないのだろう。
病診連携というのは、地域とのコミュニケーションなのだと思う。先ほどの診療所が病院になったという話だが、欧米ではたしかにそうなのだが、日本の場合は明治維新で先に大学ができて大学病院ができて国立病院ができてというように、国立病院の病床数が全体の3割あった時代もあるわけで、診療所から病院になったというのは少し違うと思う。欧米では診療所から病院ができ大学ができだったので地域との関係が密だ。日本では、大学が教育も含めて自己完結してきた。で、地域のニーズに即した病院というのは自治体病院がそうなるけれど、そのシステムが再構築を迫られている現状を考えると前途多難だなという実感を持つ」
舛添
「間もなく中座するので一言だけ。今議論になっている公共財として見る話なのだが、国立、公立、私立がある中で、どこまで国の計画に従わせて、規制がかけられるものなのか。公が関与するということは基本的にフリーライドを許す前提であり、フリーライダーを許すからこそ規制もできる。今、全国の産科が4月1日から閉鎖しますよという状況が目前に迫っていて、そこまで2ヵ月しかありませんから、この間長野県に行った時に最終防衛戦はどこだと尋ねたら、5ヵ所くらいの基幹病院が挙がってきました。1人欠けたら1人補充してということでしのげるかもしれないが、それは何も問題の解決にはならないわけで、最終的には集約が絶対に必要だろう。しかし、それを私立について強制力を持ってやれるかと言ったら難しい。
医局の派遣機能が落ちているとは言うけれど、悲鳴が聞こえるのは公立病院ばかり。要するに非公立病院からは悲鳴が聞こえてこない。公立だけで話をするのは意味があるのか。なぜ公立病院だけにそういう問題が起きているのか、甘えの構造や官の悪があるなら直していかないと。そんなことを今考えている。これは答えあるんですか」
野中
「答えはないだろうが、(中略)平成元年から地域医療計画を立ててきたのだから、本当はこうなると分かっていたのではないのか」
舛添
「今、この遍歴医みたいなものは使えないのかな」
新村
「福岡県のホスピス医でワンボックスカーに機材一式を積んで移動している人はいる」
舛添
「奈良・平安時代は国が任地を決めていた?」
新村
「そうです。それとさっき言った『下』でクビになった医師たちが渡り薬師となって全国を回っていた」
西川
「厚生労働省の考えている基本的方向の集約化で正しいと思うか。ゼネラリストをどうやって育てるのか、二点伺いたい」
尾身
「集約化は大賛成。GPのプライベートヘルスケアがある地域といない地域とを比較すると、うまく連携するとアウトカムが大きいという報告はゴマンとある。誰がやるのかは別だが、専門家は専門家じゃないと困るのだが、それをタテの専門家とするならば、むしろ横断的に見るヨコの専門家がいて、どこからタテの専門家に渡すかさばかないと、今後はもたない」
西川
「ゼネラリスト用に医学部に学科をつくる?」
矢崎
「医学はここ20年、特に直近10年めざましく進歩して新しい技術が続々と生み出され、若い人からするとそれを上達しようと専門の道に進むのが魅力的で、一方のゼネラリストへの魅力が欠けていた。だから、診療所の在り方も考え直してもらわないといけない。なんでも病院に行かないと気が静まらない患者たちの存在が勤務医たちのオーバーワークにつながった。診療所には、しっかりした防波堤を作っていただきたい。病院は最近相当情報を出しているけれど、診療所はどんな先生がいるのかの特色が分からない。診療所も機能分化してよい。たとえば在宅を引き受けるとか、たとえば時間外気軽に行けるとか、サテライト機能のようなものを持つべき。
厚生労働省は総合科の医師を育てるという考え方のようだが、最初からだけでなく、専門を積んだ人タワーマンション型になるのでなく、裾野の再教育を受けて富士山型になるという手もあるだろう。
それから、資料にもあるけれど、日本は急性期病床は多いけれど、死を迎えるための長期ケア病床は少ない。功なり名を成し遂げた人は大学病院で死ぬというのがステータスシンボルになってしまっていて、また家族の側も最善の医療を尽くしたということで死を容認するというか免罪符にする、だから名ナーシングホームのような長期ケア病棟を選ぶと、それだけで世捨て人みたいなイメージになってしまう。そのイメージをなくすようにしないと医療資源の配分としてはうまくない」
舛添
「じゃ、すみません。ここで失礼します。議事録を後で見ますので」
野中
「現場で末期がんの患者さんを診ている実感として思うのは、病院で治療を受けている時から、病院の治療と地域の医療との違いとをきちんと説明しておくべきだ。機能分化というけれど、実は専門医とゼネラリストをきっちり分けるのは難しい。GPだって勉強したらすぐなれるというものではない。現場で体得するしかない。
それこそ養生訓ではないが、何のための長寿か。少しでも長く家族と一緒にいられることを実現するのが本来であって、介護が大変だから在宅を選択できないというのは根本的に間違っている。(中略)出発点をそもそも間違っている気がする。ピンピンコロリが良い死に方と考えられるという時代は何かおかしい。病気を抱えても地域の中で生きられるようにするべきだ」
辻本
「最終的に患者が医療とどう向き合うのかが問題だということが改めてクリアになったと思う。1回目の会議の時に、患者が成熟することが大切と言った。それ抜きにこの問題の解決はない。昭和36年の国民皆保険導入以来、良くも悪くもお任せで済んできたし、お任せにした方が良い患者として報われるという誤解もあったと思う。そこに急激に医療不信が高まってきたのだけれど、それは一部だが声の大きい人達に引きずられて、国民全員が漠然とした不信感を持つようになってしまったのだと思う。
患者が医療を公共財として認識すべしと言われると、まさにその通りと思う反面、そのように歴史的に育てられてきてしまったのであって、改めてどう育てるのかが問われていると思う。現在、公の場で発言する患者の多くは被害体験があったり医療への不信感で自分を支えている人たちなので、医療者との協働の仕組みが作れない。どのように患者が進んだらよいのかアドバイスをいただきたい」
(略)
尾身
「舛添大臣が公共財だからといって強制配置は難しいと言っていたのと、辻本さんの話とは、切り口は違うけれど同じ話に見える。医療の課題は様々な問題とリンクしている。当座しのぎに火を消すことはできるけれど、それで本当に解決するかといったら全然解決しない。医療を巡る改革に1ヵ月や2ヵ月で国民のコンセンサスができるとは思えない。恐らくゴマンと乗り越えないといけないことがある。(中略)いろいろな利害関係があるから、狭いところで調整しようとしても苦労する。最大公約数的なものを見付ける作業は、もっと平場でやるべきだろう。衆人監視の公の場でやることによって、患者もワガママばかり言えなくなる、医師も同じ。そのプロセスが大事。公の場で1年、2年かけてやるべきもの。急がないことが大切だ。医師不足の問題も臨床研修との関係で言えば今がボトムだろうから、下手をすると抜本的な議論をせずに済んでしまうおそれがある。
厚生労働省の方にぜひお願いしたいのは、舛添大臣がいる時だけこういうことをやるのでなく、たとえ大臣が変わっても継続するつもりでいてほしい。根元的には日本の文化をどうするかの問題だ。このプロセスを省くと、また新たに問題が出てくる。(中略)ちょっとで解決できることではない。
矢崎
「このビジョン会議では、元より短期的でなく中長期的なものを提言することになっている。大胆に方向性を出さないと、医療は利害関係が複雑すぎて、ファクターを全て考慮に入れながら議論すると、方程式に解を得られない。大臣のリーダーシップの元で提言まで持っていきたい。単なる議論に終わらせないことが大切だろう。最初の提案は医師の数の問題だったかと思うが、マクロには過剰だと言うけれど、これがミクロだとどうなのか。あまり従来の考え方に捕われず方針を立てたい」
辻本
「ある知合いの産婦人科医が疲弊してお産の取扱いをやめた。年間1000件くらいやっている方だったので、地域の方が困っているでしょう、と言ったら、本当にさびしそうな顔をして『困ってくれたら、やっと僕のやっていたことを理解してもらえるかな』と言った。日本の医療がおかれている状態を表していると思ったので、ご紹介したかった」
(了)
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コメント
火事場で家の造りがどうの
配置がどうの言っている感じですな。
>nyamaju様
この会議は、あえて短期対策(=鎮火)でなく
中長期ビジョン(=燃えちゃった後、もしくはボヤで済んだ後の再建策)を
話し合うためのものなので
その印象は全く正しいと思います。