医療ADR連絡協議会・研究会(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年02月03日 20:47

都内は久しぶりの本格的な雪。
街ゆく人の数も心なしか少なく感じる。
そんな中
息を白く吐きながら竹芝まで行って参りました。


行ってみてビックリ。
150余席が8割方埋まっている。
しかも錚々たるメンバー。
みっちり4時間以上、みな真剣に聴き入っていた。
どんな人が来ていたか全員紹介しきれないが
せっかくなのでシンポジウムで発言した人だけでも
駆け足でご紹介していきたい。


まずは挨拶。
トップは研究会の代表に決まった高久史麿・日本医学会会長。
「医療紛争の問題は我が国の医療を考える時重大であるとの認識なので、このような天候にもかかわらず多くの方にお集まりいただき、国民の多くの方に共感を持っていただければ。私見では、米穀で医療費の上昇が止まらないのには、医療訴訟に伴う賠償の増加と医療保険の高騰があると思う。わが国はそうならないよう願いたい」


続いて協議会の代表となった新堂幸司・東大名誉教授。私は存じ上げなかったのだが、民事訴訟法の第一人者で、後に講演する山本和彦・一橋大教授は弟子だそうだ。
「ADRという言葉は法律家の中でも非常に新しい。ここ10年位の内に急に言われるようになった。医療についても、このような研究会・協議会を持つ時代になったことをしみじみ感じている。千葉では西口判事を中心に準備が進められているし、他にもあちらこちらで実践研究が行われていると承知している。お互いに切磋琢磨していこうとのことで協議会ができるのだと考えており、今後みなさまにご参加とご支援をいただきたい」


最後に、今話の出た西口元・東京高裁判事。
「わたくしどものADRは千葉の鑑定改革の延長線上にある。今の裁判は、患者もかわいそう、医師もわいそう。お互い疲れ果てて得るものがほとんどない。こういう非生産的なことをやめたいということからスタートしている。高齢化時代に危険を伴う医療をする医師がいなくなると、その悪影響は国民に跳ね返る。法律家と医師の協同作業でADRを成功させて、国民に安全・安心な医療を実現したい」


発表に入る。セッション1『医療ADRの背景と課題』
1人目の演者は、土屋了介・国立がんセンター中央病院院長。
「医療の現状、紛争の現状を話したい。ここ10年ほどでインフォームドコンセントが恐ろしく変わった。以前からあった手術の承諾書以外に輸血でも検査でもサインがないとやらなくなったし、そのサインがないと保険点数も下りなくなった。毎年のように厚生労働省から事務手続きに関する通達が下りてくる。で、この間は医政局長から、下書きは医師がやらないでも構わないので、医師は本来業務に専念せよというありがたい通知が来た。大変結構な話だけれど、ではその委託する誰かを雇うお金はどうするのかと思えばお金はついてきていない。管理者の立場からすると、ありがたいだけで意味がない。

さて面談書というインフォームドコンセントにどんな説明をしたかという分厚い文書があって、往々にして医師は『説明した』と言い、患者は『聞いてない』と言い、面談書を見れば記載はある、ということが起きる。しかし、患者が理解していなければ説明したことにはならない。たとえば『根治手術ができる』と言った時、医者はとりあえず取れるという意味で使っているけれど、患者は100%治ると受け取ってしまうという風に、いきちがいは意外に多い。医学用語の定義まで患者は知らないのが普通。我々が米国の学会へ行った時、本体は何の問題もないのだけれど、レセプションは苦痛であるのと同じ理屈。言葉は分かっても話題にされていることが、朝のニューヨークタイムスの記事だったりする。

少し細かく4つの柱について見ていく。1、医療事故に対する認識 2、紛争に至る要因 3、紛争処理の課題 4、問題の解決に向けて、だ。3、4については、まさに今日様々なことが話されるのだと思う。1と2は医療従事者が留意して反省すべきは反省し改めるべきは改めなければならない。

まず医療事故に対する認識から。まず医療の不確実性がある。それは、疾病、患者、医療行為の全てにバラエティがあるため掛け合わせると一つとして同じものはない。よって医師はどのような医療行為であれ死亡することはあり得ると考えており、対して患者は努力すれば死ぬことなどあり得ないと思っている。この辺を理解して、一つひとつ医療者が丁寧に説明していかなければならない。

次に紛争に至る要因。まず診療の問題。日本ではガイドラインにコンセンサスが得られない。それは学会の会場が小分けされていて、その分野の医師が共通の土台に乗って同じ議論をするようなことがなく、一握りの人間たちだけで決めているから。米国の場合、たとえば最初の2日は胸部外科学会でも1500席から2000席の1会場で議論するので、その分野の医師のだいたい半分は同じ議論を聞いていて、しかも同じくらいの力のある医師たちから質問が出るので、そこにいれば大体この辺りというのが自然と共有される。日本ではチーム医療も不徹底である。診療体制について、job description、業務内容記述とでも訳すのだろうか、各有資格者の為すべき業務範囲と指揮命令形等を定めたものが欠如している。イザことが起きた時に責任が不明確になる。それから医療安全管理で、これにはリスクマネジメントとクライシスマネジメントがあり、リスクマネジメントについては厚労省から通知が数多く出ていて、多くの病院で形は整っていると思う。しかし実際には、リスクアセスメントが医療者によって行われていなければならず、リスクファクターが医療者の頭の中に入っていなければならないけれど、なかなかそうなっていない。そして最も重要なクライシスマネジメント、不測の事態に被害を最小限に食い止める危機管理はまだ全然できていない。患者からすれば、医師は医療が不確実だと言うのだから当然それに対して準備をしているだろうと思う。ところが準備していない。このため往々にして医療者がパニックになり、患者・家族の不信感を招く。また患者家族対応も同時並行で的確に説明を行う必要があるのだが、しかし専従者を普段から決めていないので、誰も説明しないというようなことが起きる。

紛争処理の課題以降も簡単に述べる。診療行為中は、患者と医療者とは同じ方向を向いている。しかし紛争になると、裁判では医師の責任追及がなされるわけで対立する。システムの欠陥を究明することにできれば、同じ方向で努力できる。また無過失補償も大切になる。ただし、これはあくまでも患者・遺族をどうやって社会が支えるかという話であり、紛争が減るなどというのは二の次である。

最後に問題の解決に向けて。院内事故調査が大変重要になる。その際には透明性、専門的知識・手法、法律の知識、報告書の作成方法統一といったことが必要で、患者・家族の満足を目標とすべきであり、満足な理解が得られれば終了とすべきである。第三者機関については、現在日本に医療専門家の集団がないので何とかしなければならないこと、システムエラーの概念で動く必要があること、素人に納得いく説明をできなければいけないことがある。そして、医師と患者家族との認識のズレを補正するためにメディエーターが必要である」


非常にかいつまんだのだが
それでもかなりの分量になってしまった。
途中、特に印象に残ったのが
「クライシスマネジメントの患者家族対応」の話。
福島県立大野病院事件の際
誰も何も説明しないままにご家族を放置したことが
ボタンのかけ違いの始まりになっていると感じざるを得ない。


次は山本和彦・一橋大教授。
「法律の研究者の立場から述べる。まず医療訴訟の限界。医療訴訟には時間がかかる。裁判所としても医療に限らず専門訴訟に力を入れるようになったため、以前に比べれば迅速化した。平成8年の新受が564件、解決までの平均審理期間が37.5ヵ月であったのに対して、平成18年は899件で平均審理期間が25.5ヵ月と件数は増えたけれど、審理期間は10年でちょうど1年分減った。とはいえ、まだまだ一派民事訴訟に比べて長いし、鑑定を行った案件の場合は平成18年でも平均51.3ヵ月と4年を超えてしまう。また、裁判所の判断が医療の専門家から見ておかしいという問題もかねてからあったが、これも司法制度改革の一環として鑑定の改善が行われ、相当程度改善をされてきた。それでもなお限界がある。というのが、患者側のニーズが、原状回復、真相究明、反省謝罪、再発防止、損害賠償と多岐に渡るのに対して、訴訟という手続きが適合的でないことが多々ある。特に損害賠償が主たる手段となる訴訟は、真っ正面からの対立とならざるを得ず、再発防止や反省謝罪と本質的に矛盾する。他方、医療者からすれば訴訟が継続していることそのものの負担が大きく、解決のさらなる迅速化が求められている。なお、訴訟においても、医療事件の和解率は54%と、通常事件の和解率33%と比較して極めて高く、裁判所によってADR的解決が図られていると言えなくもない。

こうした医療訴訟の限界から、医療ADRへの期待が高まっている。ADRの利点としては、廉価であり簡易迅速であり訴訟に比べて柔軟であることが挙げられる。

しかしながらADRができれば全てハッピーではなく、うまく機能するようには様々な課題があり、日本では他分野のADRも必ずしもうまく行っているとは言いがたい。ADR法が昨年4月に施行されたが、現実に発展するには課題がある。たとえば原因究明能力の欠如が挙げられる。ADRには強制力がない。死亡事案ならば厚生労働省の設置する医療安全調査委員会と連携する可能性もあるだろうが、それ以外のケースはどうするか。訴訟における鑑定と同様のサービスを同額の報酬で提供するような組織を設置するのだろうか。というようなことを考えると、典型的な利用が期待できるのは、損害が相対的に小額のケースであり、その辺は金融関係ADRとの類似性がある。

今後の課題としては、まず費用をどうやって賄うか。BtoC型のADRはどの分野においても、その費用を誰が払うのかで苦労している。Cの患者からあまり高額なものを取れないし、さりとてBの病院の費用で作ったら中立性に疑念をもたれる。今のところ、BtoCの業界では業界がつくるのが一般的にようだ。もう一つの選択肢はプロボノ型といって、ボランティアに期待する形だが、今度はそれが長続きするのかという問題がある。それからADRを作ったとしても、どう事件を流し込んで行くのかも問題になり、弁護士や法テラスとの連携が考えられる。また裁判所との連携、事件の性質に応じて送付しあうことも必要になってくるだろう。また個々のADRを支援するセンターも必要だろうが、それは本日発足する協議会が役割を果していただけるのならと期待している」


セッション2から稿を改める。

<<前の記事:一瞬の雪    やりなおし卒業研究発表~後編:次の記事>>

コメント

以前にも意見として述べていますが、ADRは欧州、オセアニアで行われている実態を踏まえて”定義する必要”があります。司法関係者が考えるADRは争いとの比較論、被害者=患者の願望と建前論が多く、日本で実践しうるADRとは如何なるものか総体として考えることが大切と思います。
ADRとは医療者と患者が発生した”医療事故ー期待されない結果”に対して直後から情報を共有しながら争うことなく協同で作業し、最終的に患者救済と再発防止にいたることである。手順:1.実態の掌握-監査機構のRMによる 2.共感的謝罪とともに患者への影響緩和 3.診療プロセス等詳細解析(必要なら外部監査員も) 4.防止策の策定と研修 5.救済-
過失があれば保険を、無ければ国家救済 という一連の作業を行うことである。そのためには”法整備ー鑑定・審査、審判、救済法”、”国家救済ーフランスでは有害事象を永久障害のような一定以上の重度事象に限定し、軽いものは救済対象にならないという法律を保健省が作成 法務省ではないことがポイント”、”予算的措置:300億程度は必要(2006年のフランスの国家救済は8000万ユーロ+経費)”が必要であり、大きな国家プロジェクトとして捉えなければ具体化しない。和田先生の始められたNPOとしてのADRは仲裁作業が主体とならざるを得なく、鑑定もわれわれ医療事故調査会ではマンパワー不足があり、時間がかかる傾向にある。また日本では相対的に安価ではあるが鑑定料は10-40万かかり、誰でもが依頼できるものではない。議論は始まったばかりでこれからの方向を見させていただきたく思います。

>森功先生
ご連絡ありがとうございました。
協議会の方々にお伝えいたしました。

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。