医療ADR連絡協議会・研究会(2) |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年02月04日 23:53 |
セッション2から。
和田仁孝・早稲田大学法科大学院教授
「医療訴訟が増えてきている。その結果、萎縮医療が進行し、聞く所ではたとえば産科では、帝王切開ですら大学病院へ転送しているという。それがまた大学病院のオーバーワークにつながって事故リスクの上昇を呼び、人がいなくなるという悪循環になっている。他方で、医療訴訟に対して患者側も不満を持っている。実は、患者のニーズも医療側のニーズもほぼ同じ。であれば、そのニーズを満たすADRを考えるべきであろう。
医療ADRに関して、2つの理念的モデルが考えられる。いずれも訴訟の不備を補うのだが、まずはコスト低減型の先ほど山本先生が説明したような法準拠型モデル。ただし、これには事案解明が前提となり、そもそもADRに事案解明が必要なのかは議論の分かれるところ。もう一つは米国によくあるタイプの、対話と合意によって当事者が解決をつくっていくモデル。この場合、ADRの提供側では事案に対する評価を一切しない。評価するには解明しなければならなくなるので、解明できないなら評価もしないという態度を取る。そんなことでいいのかと思うかもしれないが、実は患者側の求める真相究明は必ずしも医学的・科学的なものを意味しない。むしろプロセスを一つひとつたぐり寄り添う情緒的な面がある。その求める究明は対話の中でしか得られない。
一番大切なのは、ADRとはこうあるべきという決めつけではなく、当事者のニーズに応えられる多様な形を準備しておいて、当事者が選び取れるようにすること。それをマルチドアADRと呼びたい。まずは院内で初期対応し、そして他にも様々な形のものがネットワークをつくっていて相互に紹介し合えるイメージだ。
さて、その費用を誰が負担するか。私は医療ADRは国家的課題だと思う。ADRは医療側にメリットのあることという言い方をする人がいるけれど、実は訴訟が増えたとしても本質的には医者は困らない。逃げる場所があるから。むしろ適時に必要な医療を受けられなくなる歪みは患者の方に降り掛かる。だから国が取り組むべきであり、仏英米でもそのように対応されてきた。ただし、国がADRを用意しても機能しないという問題はある。日本では、東京三弁護士会合同のものや千葉県医療ADRのような法準拠型のもの、あるいは医療紛争処理機構のような対話型のもの、はたまた茨城県医師会のもの、いずれも民間型である。これら多様な民間型自律モデルに対する公的支援が必要だと考える。
そして実はこのように医療機関外のADRの前に、医療期間内にメディエーターを用意することが最も重要である。メディエーターは専門技法を身につけている必要があり。医療機能評価機構などで養成されている。
さてADRに対する危惧として、寝た子を起こすことになるのでないか、給付が増えることになるのでないかという懸念がある。しかし、その交渉にかける当事者の精神的負担などトランザクションまでトータルに考えれば、むしろ負担は減る。
それからADRが成立するためには、損害補填の仕組みが不可欠だが、それは損害保険のスキームに乗るかという問題がある。損害保険の場合、医療側の有責が前提になる。ADRの理念と齟齬を来たす。ならば無過失保険のスキームか。(米国では?メモ洩れ)では医療者にメディエーションのトレーニングをして、一定額以下は任せることにしたら全体としては給付が減った。そういうことならば損害保険のスキームにも乗るかもしれない。あるいは医療の不確実性を取り込んだ新しいスキームを作るか
ADRが提供すべき機能として、事実認定、対話ケア、損害補填がある。その全部を揃えようとすると難しい。むしろ既存のものをネットワーク化してトータルのシステムとして全部提供する方が現実的でないか。だからこそADRの連携の在り方を探る意味がある」
続いて安城更生病院の安藤哲朗医療案全部長兼神経内科部長
「医療崩壊の病院ドミノ倒しの中、現場にできることは、1、研修医や若い医師を教育すること 2、医療者が安心して働ける病院にすることになる。安心して働けるという中には、医療紛争に対してどのように対応するかが大きな位置を占める。
医療紛争というものは多層的であって、私の病院では、現場つまり部長とか看護師長レベルで対応しているものが年に200件あり、そこを抜けて医療安全部門が扱うものが年に30件くらい、さらに収まらなくて院外へ出てしまうもの、だいたい訴訟になるわけだが、それが年に3件くらいある。この院外に出てしまうものだけ見ていても絶対に医療紛争は分からない。全体を見ないと分からない。
で、事故の割合が2〜4%くらい、そのうち回避可能なものが1〜2%ある。これはまさにミスなんだけれど、それが紛争になった事例と必ずしも重ならない。むしろミスがなくてもコミュニケーションが足りない時に紛争になる。
医療事故・医療紛争の取扱いについては、様々な情報が流れていて何が何だか非常に混乱する。混乱した時は、常に動かない”北極星”を探すことが大切になる。医療の北極星とは何か。それは患者と医療者とのパートナーとしての信頼関係だろう。ただし信頼と言っても、昔のような患者が権威に対して盲目的に信頼するというのとは違う。今でもこういうタイプの医師はいるが、ほぼ間違いなく紛争を起こす。今の信頼関係は適切な情報提供と対話によって成り立つ。だから医療者はコミュニケーションの専門家でなければならない。患者さんの痛み・苦しみに対していかに共感できるかが問われている。
紛争が起きるような時は、患者も感情的混乱がある。だから、どうしても医療者との間にギャップができる。そのギャップを第三者が裁定すると対話が進まなくなる。メディエーターは判断せず、当事者の信頼をまず勝ち得る。そうなると患者側の混乱をメディエーターが引き受けるので、医師も攻撃されていると感じない。対話が進み、本当の患者側のinterestが分かってくる。だから、マスコミは患者側が言っている表面的な主張を報じてはいけない。本当のinterestを見極めるべき。患者・家族に対話で説明するには当事者が原因究明しなければならない。自分のために精一杯のことをしてくれたと感じられることが、患者側に「納得できた」につながる。
さて、死因究明というのは医学そのものだと思う。明確な医療ミスは隠ぺいしてはいけないけれど、グレー部分は医学そのもの、その究明に医学以外の論理を持ち込むと歪んでしまう。副作用や合併症の報告がされなくなっているという話もあり、すでに歪みは出ていると思う。
最後にもう一度北極星を示す。大事なのは法による公平性ではなく、お互いの信頼関係。
ここで休憩に入る。休憩後
セッション3の前に舛添厚労相が寄せた祝辞が読み上げられる。
「医療崩壊のひとつの要因として医療訴訟の問題がある。しかも患者側も訴訟で納得を得ていない。そこで新たな発想としてのADRへの期待度が高まっている。協議会・研究会が重要な役割を果たされ、有益な提言をいただけることを願って発展を祈念する」
続いて列席した国会議員が一言ずつ挨拶。
田中康夫参院議員
「皆様の試みは暗黙知によって解決しようとのアプローチだと理解する。それは画期的なことだ。文言によって規定されている形式知ばかりが幅を利かすマニュアル的社会だが、数値化できないものが劣っているわけでは決してない。良い意味でのハイブリッドな解決となることを祈っている」
足立信也参院議員
「厚生労働省の第二次試案に関して民主党の顔が見えてこないと言われる。しかし実は3年前から検討を続けている。近く超党派の議連を立ち上げる。私は、医療崩壊という言葉を使いたくない。崖っぷちで踏みとどまっていると思っている。原因となっている医療費抑制策と医療訴訟の問題を両方とも解決したい。10年かけて人材養成する法案、院内メディエーションやADRの推進、同時に補償・救済もしないと。死因究明だけ取り上げても医療現場は救われない。だから、こちらも対案を準備している。しかし出さなきゃいけないタイミングまで出さないつもりだ」
森田高参院議員
「金曜日の予算委員会で無過失補償について質問した。私も医師で、医療が土俵際まで来てしまったので当選は覚束なくても、もう少し大きな声を出したいと思って立候補したら、たまたま当選してしまった。せっかくなら、いいものをつくりたいと思う」
セッション3に入り西口元・東京高裁判事
「千葉の医療ADRについて説明する。4月に認証を受けて、初の本格的ADRとして活動できるのでないか。和田先生の分類で言うと、裁判準拠型に対話型をちょっと入れた形。医療紛争の中で1割くらいは当事者がどんなに努力してもどうしようもないものが残る。その7~8%分がADR、1~2%分が訴訟に行く感じかなと思っている。
(現在更新中!!)
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コメント
このエントリーは、もう更新されないのでしょうか?
この先が楽しみだったのですが。
>島田直樹様
お待たせして申し訳ございません。
本業で既に多重業務になっておりまして
ブログまで、なかなか手が回りません。
でも一つずつ確実に片づけていきますので
少々お待ちいただけると幸いです。