『真の公聴会』の意義

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年04月15日 18:36

12日の「真の公聴会」の模様が、ほとんどのメディアで報じられなかったため
マスコミの偏向の現れと見る人も少なくないようです。


でも、実は
マスコミがどういう事象を採り上げるか知っている身からすると
まあ報じられなかったのも仕方ないかなという気がしておりました。
つまり意図的に黙殺したわけではなく
記事にする程のことではないと彼らが思っただけです。
(医療現場の惨状が、記事にする程のことでないという意味ではなく
 イベントを記事にする必要はないという意味です)


ところが本日、ロハス・メディカル連載の打ち合わせで
鈴木寛参院議員(議連幹事長)とお会いして話をした結果
12日のシンポはマスコミで報じられるべき意義があった、と認識を改めました。
ただし私がその意味合いに気づいていなかったくらいなので
事前説明なしに、一般メディアの記者が意義に気づくのは難しかったと思います。


まず、マスメディアが報じなくても仕方ないと考えた理由です。
危機を訴え結集を呼びかける系のイベントは
あちこちの業界団体や役所の主催で日常的に行われています。
でも、そんな報道を目にしたことは殆どないはずです。
取材に行って記事の素材にはするけれど
イベントそのものを報じることはないというのがマスメディア記者の相場感です。
今回の会合が、いつものイベントと違っているとは気づきませんでした。
で、今回は非常に内容が濃かったので
企画記事を書く際にあの場の情景を引用する記者は多いと思います。
それで十分じゃないかと私は考えていたわけです。


しかし、これは大きな見落としでした。
よくあるイベントとは大きく異なっていました。


まず、主催者が議連で、業界団体や役所から一銭も出ていないこと。
通常は、業界団体や役所がすべてお膳立てをして
来賓である国会議員に陳情する形を取るそうです。
言われてみれば、と思います。
このため今回、議連各役員の事務所は
まるで選挙前であるかのように忙しかったそうですし
医学生40人を含む大勢のボランティアが手伝わなかったら
とても開催は覚束なかったとのことです。
文字通りの手弁当で、あそこまでの会ができたのは大変なことです。


次に、もっと大きな違いは
陳述人や陳述事項の選定に、役所が一切介在していないこと。
これまで、公聴会や審議会、あるいは議員視察は
すべて役所がセッティングをしていたため
役所にとって都合の悪いことを言いそうな人は排除され
現場にある矛盾が議員に伝わらなかったのだと言います。


医療の場合、特に過酷な勤務に苦しんでいる医師は
国立・公立病院・大学病院に在籍していることが多く
医療界特有の上意下達システムに加えて
公務員としての指揮・情報伝達系統もあるため
そこから外れて
国会議員に直接ものを言ってはいけないと思いこまされていた
と、鈴木寛議員は分析しています。
でも、この公聴会がきっかけになって
全国の医師が「表で言っても構わない」ことに気づく可能性がある、と。


つまり全国規模の革命的変化が今後起きるとしたなら
その着火点として、ハッキリあの会が特定できそうなのです。


そこまでの意義が分かっていたら
たぶん一般メディアの記者たちも何かしら記事にしたんじゃないか
書いておかないと後から引用できなくて面倒なことになりそうと思ったはず
そのように認識を改めた次第です。


気づくのが遅くて、すみませんでした。

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コメント

>医療の場合、特に過酷な勤務に苦しんでいる医師は
>国立・公立病院・大学病院に在籍していることが多く
>医療界特有の上意下達システムに加えて
>公務員としての指揮・情報伝達系統もあるため
>そこから外れて
>国会議員に直接ものを言ってはいけないと思いこまされていた
>と、鈴木寛議員は分析しています。

おぬしやるな。という感想を持ちます。誰が教えたんでしょうか。指摘が鋭い点は認めざるを得ません。

川口さん、さすがの分析ですね。

私は、薬害エイズ事件の時のような盛り上がりを感じました。

薬害エイズ事件が、川田龍平氏のカミングアウトで若者の共感を呼び、大きなうねりとなったことは川口さんも御存知と思います。

裁判は、結果としては、安部英氏の個人責任論に帰されてしまい、薬害を生み出す構造の解体にまで至ることはできませんでしたが、若者が手弁当で支援に駆けつけたという現象で、最近あるとしたら、そこまでさかのぼれるぐらい、今回の上先生を中心とした医学生の動きはめざましいものだったと思います。

議員が損得抜きで動き始めたことも薬害エイズ事件のときと似ています。

ぜひ、この火を絶やさずに次へつなげましょう。

鈴木さんは壇上でも同じことを言っておられたと思いますが、誰一人官僚にお膳立てされた公聴会との「違い」に気付いた記者はいなかったのでしょうかね?気付いていてもデスクが鈍感で記事にならなかったのか、どちらにしてもマスコミの機能不全が疑われます。

まあマスコミはともかく、障害者「自立支援」法を通してしまった尾辻さんや高齢者医療制度改悪を小泉政権の裏方として後押ししていた世耕さんも間違いに気づいたものと信じたいですね。

「陳述人や陳述事項の選定に、役所が一切介在していないこと」と言うのは、議連シンポジウムですから、そのようなものだと思っていました。

むしろ、なぜあの様な人選を行ったのか、どのようにして候補者を集め、どのようなプロセスを経て決定したのか、公開するべきではないかと思いました。

人選に不満があるわけではありませんし、批判するつもりもありません。しかし、いかなる人選に関しても透明性は求められると思っておりますので、敢えてこのような主張をさせて頂きます。

39度の発熱がありながらも座薬を入れて嘔吐しながらの夜勤、数日間止まりこみで診療に当たったにもかかわらず、結果救えなかった患者の家族からの罵倒、自分の家族の体調不良を心配しながら、より軽症の患者を診察するため、会いにいけない矛盾‥

自分の時間や幸せなどないものだとそもそも覚悟していましたが、それだけではなく国は我々を文字通り殺そうとするのが目的なのか?
一時は役人を呪い、政治家を呪い、マスコミを呪い、そして恥ずかしいことに患者を呪いました。

今では私は多少自分で時間を調節できる身分になりましたが、多くの仲間達がこの瞬間でも、自分の生命と人生をおろし金によって削られています。

今回このような公聴会が開かれたことは正直な所、涙がでる程うれしかったです。
今の医療制度に危機感を持っている人間が世の中にいる。ひょっとすると私達は生きていくのを許されるのかもしれない‥

ロハスメディカルや議員連盟、全医連は一筋の希望です。
ありがとう。
今後もお願いいたします。
私も一医師の立場で頑張らせていただきたいと思っております。

川口さん この記事を読んでホットしました。
私は医療従事者でも何でもなく、産業界が本当に真剣に国民の健康・医療について考えて産業界としての対応を考えるべきだ、という信念に基づいてささやかな活動をしていますが、シンポジウムはすばらしかったです。それをなぜマスコミが報道しないのかとても不思議に思っていましたが、その理由が分かりました。
集会最後の締めくくりに、鈴寛さんが、国会議員が直接皆さんの話を聞く場をこれまで持てて来なかった、と云うのを聞き、愕然とすると共にこの集まりの意義の大きさを改めて感じましたが、マスコミのほとんどの方にはこの言葉の重みが気づかれなかったことも、こ記事で分かりました。
縁の下で支えた真に汗を流した人たちの何人かとお知り合いになれているだけで、何もしていない私までが誇らしく思う集まりでした。この上は、第2回目が必ず開催され、超満員で会場に入り切れないひとのためにラウドスピーカーで場外に流すくらいの盛り上がりを期待しています。その時は宣伝くらいは私にもできるかな。

>皆様
温かいコメントありがとうございます。
引き続きできることをコツコツとやって参ります。

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