ごめんね、ありがとう

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年06月15日 04:09

『いのち輝かそう2』のあとがきにも書いたので
ご存じの方はご存じだったと思います。
友であり、同志であり、ロハス・メディカルを縁の下で支える万能スタッフだった
門田哲哉さんは、本年年明けから、実家のある倉敷にて
再発した急性リンパ性白血病と闘っておりましたが、昨日未明に亡くなりました。
34歳でした。


一昨日の晩にお父様より「危篤」との連絡をいただき、青天の霹靂の思いで
(最近はメールをしても返事が来なかったのは確かですが
 治療がハードなんだろうぐらいにしか思っておらず。。。)
朝一番に倉敷まで参りましたが既にお亡くなりになった後でした。


2007年の仕事納めに赤坂で痛飲して別れ
年明け早々に電話をもらって、はて何だろうと思いながら「今年もよろしくね」と言ったら
「いやそれがですね、再発しちゃったんですよ」と。
帰省のついでに3カ月おきの定期検診を受けたら、そうだったのだそうです。
門田君は、そのまま倉敷で闘病生活に入りました。


発症が2003年4月のことで
その年の12月まで行った化学療法で幸いなことに寛解に入っていました。
そのまま5年推移すれば「完治」と見なせる
ちょうど5年目に入ったところでした。
本人が本当のところどう思っていたのか今となっては知る由もないのですが
たぶん完治したんだろうね、良かったねという話を会社では日々していました。


門田君は
発症した時に自分で起業しようとしていたくらいの意欲と能力の持ち主でした。
ロハス・メディカルが、創刊したはいいけれど経営的に全く軌道に乗らず
「もう今月で最後になるかも」と毎月思っていた2006年5月に合流してくれました。
ロハス誌で連載している田中祐次先生のご紹介でした。
嵐の前に難破寸前になった、そんな小舟のような会社を
文字通り縁の下の力持ちとしてにこやかに支えてくれました。
いなくなったら、すぐに色々なところから軋みが出てきて
陰でどれだけ細かく調整してくれていたのか思い知りました。
その軋みの原因を探って正常化を図り、無理なら泣く泣く切り捨てる
それだけで、この半年近く過ぎてしまったような気もします。
もし最近のロハス・メディカルあるいは私に覇気が感じられないと思う方がいらしたら
そういう事情です。


本当は2008年を攻勢の年にできるかなと思っていました。
門田君が離脱したことで一転2008年は雌伏の年になりました。
それでもきっと復帰してくれると信じて
「門田君が戻ってきたら、あれをして、それからこれをして」などと夢想しておりました。
ひょっとしてと考えるだけで背筋の寒くなる思いがしました。
お見舞いで会う度に「待ってるからね」と言い続けました。
亡くなったと聞かされた時
これからどうしたらいいんだと呆然とする思いがしました。


でも、病院の霊安室でご遺体と会った時に分かりました。
門田君がどれだけ頑張って闘ったのか。
私だったら、その何分の1も耐えられないに違いない。


待ってる、なんて言ってごめん。
会社が大変だ、なんて言ってごめん。
一番辛かっただろう時に顔も出さず、ごめん。
お通夜の席、心の中で詫び続けました。


倉敷の街をふらふらと歩いていて、ふと気づきました。
さんざん世話になったのに、たいしてお礼を言ったことがない。
今日の告別式では、せめてありったけのお礼で見送ろう、そう思います。

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コメント

20日になると取材や受診で訪れる病院で必ず「ロハスメディカル」をもらってきます。
それくらい毎号楽しみにしているこの雑誌を、力強く支えてくださっていたのが門田さんだったのですね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

直接お会いしたことはないのですが、
読んでいて、この残念さや悔しさはなんなんだろうと思います。でも、全くわかりません。
歳が同じだけではない何かが。。。

本当に大変だったと思います。
辛かったと思います。
でも、「ロハスメディカル」は門田さんの「大事な何か」だったんですよね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


あと、何か自分にお手伝いできることがあったら、いつでも言って下さいね、川口さん!!


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