改めまして |
|
投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年07月13日 17:59 |
インターベンション学会で私がお話しさせていただいたことに関して
多数のコメントをいただき、ありがとうございました。
そう読まれたか、こりゃ表現が悪かったな、と考えさせられることも多く
しかし個人的にはとても大事な事だと思っているので
改めて表現を整えてエントリーしてみます。
ご意見ございましたら、どんどんお寄せください。
学会の際には
与えられたテーマに即して医療事故調問題を例に話をしましたが
個人的には
医療が刑事訴追の対象になるか否かにばかり注目が集まるのは異常で
むしろ日本の医療提供者たちが疲弊していること
肉体的に過酷な状況に置かれていることはもちろん
自分たちが正当に評価されていないとの思いを強く内に抱いて
精神的に追い詰められていることの方に、より大きな問題意識を持っています。
言葉を換えると、医療者が社会に対して不信感を持っている
そのことが大変に不幸なことだと思っています。
刑事訴追を巡る問題も、突き詰めると
社会のサブシステムである司法界の人々に対して信頼感を持てなくなったから
「あんな奴らに身を委ねたくない」と大騒ぎになったと思うのです。
司法に問題がないと言うつもりはありません。
社会のための秩序維持装置なのに
社会そのものを危機に陥れている点で大いに問題ありだと思っています。
(もちろんマスメディアに関しても同様です)
ただし、ここからの立論の仕方が
おそらく医療界の標準的な方々と違うんだと思うのですが
司法に対して信頼感を抱けないのは司法だけが悪いのか?
信頼感を抱けないから身を委ねないというのが許されるのか?
という問いを立ててしまったのです。
そして、その問いに対する自分なりの答えとして
司法に対して何の働きかけもしないで
「私たちは身を委ねたくないです。厚労省何とかしてください」では
通らないだろうということを申し上げるに至りました。
司法に対する働きかけに関して
他のサブシステムでは「互いに不断の折衝をしている」と表現したところ
「例示が思いつきません」(ミヤテツ様)とのご指摘をいただきました。
折衝という表現が、非日常的な動的なものに読めちゃったかなと反省しましたが
医療以外のサブシステム間では戦後何十年もせめぎ合いを続けた結果として
チョンボをした場合、必ずしっぺ返しを食らう均衡緊張関係が出来上がっています。
で、衝突すると互いに疲弊するので
事前に回避できるようサブシステム間で日常的に情報交換を行っています。
デモなどは、その「日常的な情報交換」の中に入れない勢力が行うか
「情報交換」を有利に運ぶための手段として行われているのであって
情報交換のチャネルもないまま示威行動だけしても、余り意味はありません。
医療界は他のサブシステムとの間で日常的に情報交換をしているでしょうか?
「以前より医療業界は政界に多大な力を持っていた」(暇人28号様)との
ご意見がありましたが
それは武見太郎会長時代の日本医師会の話ではないでしょうか。
武見時代の日本医師会が力を持っていたのは
日常の診療を通じて地域住民の信頼感を勝ち得ており票を取りまとめられたこと
イザとなれば一枚岩で行動できたことが理由であって
医師という職業、医療界という業界が
オートマティックに政界に力を持つということなどありません。
むしろ先般、舛添厚生労働大臣が喝破したように
参院議員1人出せない業界であることはご認識いただきたいと思います。
末端の方々が「政官に色々働きかけをしてこなかったはずはない」と思っていた間
リーダーの方たちは一体何をしてきたのか、ということを私は申し上げております。
話を戻しますと、福島県立大野病院事件に関して言えば
加藤先生個人に関しては大変お気の毒である以外の何ものでもありませんが
「いつまた同じことが起きるか分からない」と思うのは、脅えすぎと考えます。
実際には、大野病院事件後に医療者の皆さんの行った広範な抗議行動が
警察・検察に対して大変な打撃を与えました。
要するに、司法のチョンボに対して、しっぺ返しを食らわしたわけです。
私が見ますに、医療事故調を慌てて作らなくても
不当な刑事事件化は当面そんなに起きないはずです。
これこそが社会の標準的なサブシステム間の折衝の姿です。
フザけた事をしやがったらタダでは置かないぞ、という衣の下の鎧を
互いにチラチラ見せ合いながら、表面的には何事も起こさず進めるのです。
医療に不当な介入をするとヒドイ目に遭うことは十分に伝わりました。
あとは粛々と日常的な情報交換の中に入って行く段階ですし
万一、再び不当な介入が起きたら、またヒドイ目に遭わせればよいだけです。
医療界の方々がサブシステム間の折衝の輪に入ることによって
日本の社会システム全体が随分と良くなるかもしれません。
ところが日常的なそういう活動を面倒がって
自分たちだけ特別扱いのルールを作りたい方が多いように見えます。
そんなに他の社会システムと接触を持つのはイヤですか?
この問題と密接に関連する
「自分たちが正当に評価されていない感」に関して次項で述べます。
この「評価」の問題が、恐らくより本質的でないかと思っています。
(次項へつづく)
<<前の記事:インターベンション学会報告(7完) 続・改めまして:次の記事>>
コメント
>医療以外のサブシステム間では戦後何十年もせめぎ合いを続けた結果として
>チョンボをした場合、必ずしっぺ返しを食らう均衡緊張関係が出来上がっています。
>で、衝突すると互いに疲弊するので
>事前に回避できるようサブシステム間で日常的に情報交換を行っています。
>医療界は他のサブシステムとの間で日常的に情報交換をしているでしょうか?
>ところが日常的なそういう活動を面倒がって
>自分たちだけ特別扱いのルールを作りたい方が多いように見えます。
>そんなに他の社会システムと接触を持つのはイヤですか?
こういう勘ぐり方をすると、「だから医療者は世界が狭いんだ」とか言われそうですが、川口さんはご自身がマスコミという司法や行政、その他あらゆる団体との日常的情報交換を図ることが業務の一環として行われる環境に身を置かれているからそのように感じられるのではないでしょうか。医療者にとって、司法との接触という時点で既に非日常的な出来事であって、それこそ何かしらのきっかけでもない限り日常的な情報交換どころか接点を生むことすら難しいと思います。司法との直接的なチャンネルが存在しない状況で、医療界が持つ数少ない日常的な情報交換チャンネルとして厚労省を頼ったのは、致し方ない部分もあるのではないでしょうか。(私個人としては、厚労省は全く信頼していませんが)
昨今の医療界における司法不信・マスコミ不信が、他のサブシステムに対する関心となりサブシステム間の接触を生むきっかけとなることを期待してます。
ところで、医療と他のサブシステムとの間に日常的チャンネルが存在しないことの責任は医療界だけのものでしょうか?たとえば、司法界もその閉鎖性や市民感覚からの乖離がしばしば指摘されています。司法界がその業務の一環として医学・医療との関わりが必要であるならば、司法側からのアプローチもあってしかるべきだったはずではないでしょうか。
また、厚労省の大本営発表を盲信し「医療費亡国論」「医師過剰時代の到来」といった現場と乖離した報道をつい最近まで続け、十分な裏付け取材もなされぬセンセーショナルな「医療ミス報道」などを続けるマスコミ側からも、「医療界との日常的なチャンネルを作ろう」という姿勢は感じられません。
チャンネルというものは、双方が接触を図ろうとして初めて成立するものであって、片方の努力のみで出来るものではないでしょう。医療界の努力が必要なのはもちろんのこととして、他のサブシステムの医療に対する関心・姿勢という点でも、反省すべき点は多いと思います。その点すら「医療者が日常的な活動を怠ってるせいだ」と言われてしまったら、立つ瀬がありませんが。
川口様
ご真意はよくわかりました。おっしゃるとおりの部分が多々あります。いくつか意見を述べさせていただきたく思います。
日本医師会について
おっしゃるとおり日本医師会が多大な権力を持っていたのは武見会長の時だけであり、それ以前もそれ以後も圧力団体としては機能していません。
おそらく、その発祥に起因があるのでしょうが、日本医師会はノーベル賞候補であった北里柴三郎を頭に担いだ学術団体として出発しています。そのためかもしれませんが、歴代会長は紳士でありすぎ、また保守に与しすぎていたと思います。学術的なことは医学会がタケノコのようにできたのですから他に譲って、医療安全や労働条件の改善に特化すべきだと考えます。
医師は航空業界と比較されることがありますが、彼ら曰く「我々は安全や労働条件のために常に戦ってきた、それなのに医師は何をしてきたんだ」といわれるそうです。たしかに彼らはストライキを手段として、労働条件や収入の面でも多くを勝ち取って(一説によれば医師の2倍)きました。ただしストを行っても人間は死にませんが、医師がストを行えば直接生命に関わります。武見会長が不完全な統一ストを実施したときでさえ多くの批判にさらされたと聞きます。
もうひとつの理由は、今や医療収入は保険点数にすべて絡め取られてしまっています。ある厚生官僚曰く「医師は準公務員」と宣う所以があります。いわゆる軒先を貸して母屋を取られてしまった状態にあるわけですが、下請けの中小企業が発注先の大企業に文句を言いづらい構図が定着してしまっています。
匿名のインターネットという手段が発達してようやく医師個々人が発言する時代になってきました。ですが個人だけでは限界があります。個々人が言いにくいのであれば、日本医師会長が悪役となって先頭に立つべきなのです。ストライキにしても本当にやる気ならば手段はあります。救急センター・休日診療所を終日開放して応援を配備する。ストライキを輪番制にして行うなど方法はないわけではありません。ストを奨励しているわけではありませんが、自分の意見を言えない「医師会の手抜き」か「役どころの勘違い」以外の何物でもないと思います。
司法について
司法とは言っても、行政側である警察・検察と裁判官の2つに分かれるとは思いますが、我々にとっては大いなる危惧であると思います。危惧と言うからには、それに従わないと言う意味ではなく、むしろ従順でありすぎ、民事の場合ですら病院側が最高裁まで争う例は少なく、どこかで和解してしまっているのが現状ではないかと思います。
私は歴史物が好きでよく読むのですが、現在の官僚制は清朝末期のアヘン戦争以降にそっくりのような気がしてなりません。紙の上(今ではPC上でしょうか)だけで、作文を作って優劣を論じあう。うまくいかなければ有耶無耶にしてしまう責任所在の曖昧さ(清朝の場合は実務担当者をとっかえひっかえ罷免ですが)。机上空論が跋扈しているようにしか見えません。
私が危惧というのは、医療より司法担当者の方が世間離れしすぎているのではないかということです。それぞれ優秀な方たちばかりですが、それ故に世間一般の事に疎いような気がしてなりません。
もうひとつは、まだまだ解らないことばかりではありますが、医学は科学に準拠していると言うことです。カンファレンスでもそうですが、その診断・治療過程にミスがあれば、どこかの時点で必ず露呈するものです。その過程を司法は踏んでいない。検察官や弁護士の能力で左右されるという経過とは相容れないものがあります。
管理人様:
>「私たちは身を委ねたくないです。厚労省何とかしてください」では
通らないだろうということを申し上げるに至りました。
これに関しては、前述のエントリーにて書かせていただきましたが、厚労省を通り越していきなり法務省と折衝するのはいかがと思います。医療関係の法律を実際に制定しているのは厚労省ですし。
まず厚労省に「このような状況ではどうしようもない。何とかならないか?」と相談するのは当然の行為です。その上で、厚労省から「これは私達が出来る範囲を超えている。法務省と相談して欲しい」となれば医師会も法務省や関係各所に相談に行ったことでしょう。
しかし、医師会の重鎮の多くは現場を離れて管理職の立場にあります。この人たちに現場の第一線で働いている人たちの危機感はなかなか伝わっていないように思います。
>参院議員1人出せない業界であることはご認識いただきたいと思います。
別に医師会が推薦した人が当選できなくても、民主党やその他の政党から何人もの医師が衆参両議院に輩出しています。今回はあくまで自民党にNoと突きつけただけだと思います。医師会上層部とそのほかで意見が食い違っただけです。しかし、このような状況は先の参院選挙では他の業界でも起こりましたよね。別に医療業界に限ったことではありません。
>「いつまた同じことが起きるか分からない」と思うのは、脅えすぎと考えます
現に、その後もどんどん書類送検されていますが。むしろあの事件をきっかけにどんどん普通の医療行為が刑事事件化しているように思えます。
>自分たちだけ特別扱いのルールを作りたい方が多いように見えます。
国際的には一般的に行われていることを「特別扱い」とするのは違和感を感じます。では航空業界の刑事事件免責の要求はどうなのでしょうか?
確かに医療行為だけの刑事事件免責化は問題がありそうです。それであれば、他の弁護士の方も仰っているように「業務上過失致死傷罪」を撤廃するというのが一番無難かと思いますが、犯人探しに終始し冷静な報道をしないマスコミが多くいる限り難しそうです。
時間になりましたので、一旦切ります。
ほとんどのマスコミが医療界を叩く中、川口氏のアドバイスは謙虚に傾聴すべきことが多いと思います。
非医療者から一連の流れを見た場合、俗に言う「根回し」というものが
医療界には足りないと感じます。
その役は本来医師会かもしれませんが、機能していないのであれば、政治同様30代40代の若手が手を挙げ、戦うべきでしょう。
自分の権利や安全は自分たちで守る。業界の発展も自分たちで切り拓く。
司法や国民に期待する甘ちゃんな
考えのなりの果てが今の医療界です。
まず、今までの社会貢献を誇らしげに語るよりも反省すべき点を反省し、出直すべきでしょう。
勘違いしている医療界に喝を入れてくれた勇気ある川口氏に座布団一枚!!!
>暇人28号様
大筋のことは、次エントリーも含めてお答えしていきますが一点だけ。
警察は告訴・告発を受理した場合
(異状死届出を受けた場合も)
身柄か書類かを検察に送らないといけません。
不起訴相当と思っていても書類送検します。
略式命令や起訴が増えていたら
司法が依然として医療へ介入しようとしていると解釈していただいて構わないでしょうが
書類送検が増えたことを根拠に
そのように主張するのは間違いです。
管理人様:
>警察は告訴・告発を受理した場合
>(異状死届出を受けた場合も)
>身柄か書類かを検察に送らないと>いけません。
>不起訴相当と思っていても書類送>検します。
法律に関しては私は無知であり、正確なことはいえませんが、ただ、管理人様の仰っていることはどうやら「都市伝説」の可能性がありそうです。
本日の「新小児科医のつぶやき」様のブログではそこらへんが話題になっています。
---------------
奈良・妊婦転送死亡:ネットに診療情報 開業医、立件せず--奈良県警
奈良県大淀町立大淀病院で分娩(ぶんべん)中に意識不明となり、搬送先探しが難航した末に死亡した高崎実香さん(当時32歳)=同県五條市=の診療情報がインターネットに流出した問題で、県警が今春、遺族に対し、掲示板に医療情報を書き込んだ開業医の名誉棄損や秘密漏示などの容疑での 立件を見送る と説明していたことが分かった。遺族が12日、明らかにした。
ーーーーーーーーーーーーーーー
このあたりを拝見すると、必ずしも「自動的に」書類送検するものではないようですよ。
なお、誤解されては困りますのであえてコメントさせていただきますが、個人的には管理人様は非医療者でありながら医療に関する理解が深く、なおかつ非常に中立的で冷静な立場での御発言が多く、感心して拝見しております。
管理人様を逆なでするつもりでコメントしているわけではありませんのでそのあたりを御理解いただきたいと思います。
仰るとおり、私が医師になった10数年前の医師の態度は何か嫌な気持ちがしたのは事実です。少し感覚が普通と違うのに違和感を感じました。そしてそれがいいこととは思わなかったことを付け加えさせていただきます。
ただ、それとこの議論とは別のものと考えておりますので、御容赦ください。
管理人様
各論について反論は無いのですが、司法や医療政策に対する医療側の種々の主張は、国民に対する要求ではなくて、警告であるという視点から解釈することは無理なのでしょうか?その視点が抜け落ちているように見えると医療側としては違和感を感じます。このエントリー本文はそう見えます。
元ライダーさま
警告だと脅しと同じに聞こえます。
啓蒙にしてください。
それであれば国民は聞く耳を持ちます。
>暇人28号様
例示のブログでも既にコメントがついておりましたが
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080713k0000m040113000c.html
大淀の名誉棄損は、「告訴」がなかったようですね。
はじめまして、いつも貴重な情報にて勉強させていただいております。末端の内科医です。
コメント欄の、元ライダー様と一市民様のご意見を読み、ここにも溝を感じました。
医師は「大雨でダムが決壊するぞ」という警告のつもりで言っている事が、非医療関係者には「おらおらダム爆破しちゃうぞ」という脅しとして伝わってしまうのですね。医療側の一人としては、医療崩壊は、ある状況のもとで不可抗力的に起こった出来事だと感じているのですが…
医療を供給する立場から発言する事の難しさを、改めて実感します。どうしたらいいか分からない所が、きっと今までの「横着」のツケなのでしょうね。
もにょさまはじめ医療関係者様
鎌倉湘南病院名誉院長 鈴木隆夫先生のレポートにそれらを示唆するものがありましたので、医師の皆さんには
ぜひ目を通していただきたいと思います。
http://www.iryoseido.com/kouenkai/008.html
発想の大幅転換でしょうか?
一市民様、情報のご提示をありがとうございます。一連のエントリのテーマである、「サブシステムとしての医療と社会の関わり」という観点で、リンク先の文章を読んでみました。
鈴木隆夫先生の発言は、病院経営者としてのもの、つまりご自分の病院(=自分の属するサブシステム)をいかに健全に存続させるか、という事を第一に掲げたものですね。それが結果として、ユーザーを低コストで満足させる方向になるというお話ですね。一市民様のお考えは、同じ事を医療界全体に適用して、マスコミや司法その他のサブシステムとの折衝もそのような観点で行ってはどうか、というものだと理解しました。
しかし、この「自分の属するサブシステム(この場合は日本の医療全体)の存続」を、常に意識して守らねばならない、と思っている医師はどのくらい居るのでしょうか。それこそ医師会幹部レベルの先生から、私のような末端の薮医者まで、医療は何もせずとも社会に欲されるものである、とみな無邪気に信じている節があります。
だから、自らの存続のための、折衝などの努力を怠るのでしょう。そこが横着とか傲慢と言われる所以だろうと、自戒を込めて思います。
そのような聖職者意識を捨てる事は、労働環境を改善するためにも重要です。根本的な思想に関わる事なので、短期間での改革は難しいかもしれませんが、いずれそうなってゆくのかな、と思いました。
長文失礼いたしました。