続々・改めまして

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年07月15日 14:49

誰が情報を知らせるべきか、という問いを立てると
必ず
それはマスコミだ、マスコミがちゃんと伝えてくれないのが悪いのだ
という話になります。


マスコミ人が一般に不勉強なのは、その通りなのですが
ではマスコミが不勉強だとあげつらったら状況は改善するのでしょうか。
本日の論に入る前に
5月に東京都保険医協会シンポジウムでお話しさせていただいた事をお読みください。


メディアかくあるべしという「べき論」を語るのは結構ですが
「べき」と「現実」を混同すると痛い目に遭います。
小松秀樹先生言うところの規範的予期をしてしまっていることになります。
現実のメディアというのは皆さんが思っているような公正中立の存在ではありません。
一般の業界ではマスメディアをエージェントと見なし
ネタもカネも丸抱えして情報を流させています。
各業界のエージェントの入り乱れた状態がマスメディアです。


個人レベルでは真っ当な人もいますけれど
そのような人が医療担当に回ってくること
あるいはマスコミ人が目覚めて自ら勉強すること
そんな偶発的要素に期待して
情報流通を任せるのは、あまりにリスキーです。


これが現実です。
情報を流したのに報じてくれない、というのは、ある意味当然です。
報じざるを得ない状態を作りだしていないのだから。


情報とマスメディアの関係を、商品と卸・小売の流通の関係になぞらえてみます。
消費者が欲している商品なら小売の方から「欲しい」と言ってきますよね。
これと同じで
医療界の流す情報が一般の人から引っ張りだこのものだったら
マスコミも喜んで流すわけです。
でも、消費者が明らかには欲していない商品を小売に取ってもらう時
棚をおさえるためにメーカー側がリベートを払っていることご存じですか?
これと同様、一般の人が欲してない情報をマスコミに流してほしかったら
マスコミを使うための工作が必要になるんです。


けしからんと思うのは勝手です。でも、これが現実です。


もう一度同じ質問を繰り返します。
説明プロジェクトの音頭は誰が取るべきでしょう?
(もう少し続けます)

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コメント

 厚生省担当官は1983年に「医療費亡国論」を発表し、次いで2000年に健康日本21計画を策定。高齢者の医療費増大に歯止めをかけようとしてきました。
 しかしながら、その根拠となる高齢者医療費予測は違うのではないかと、医師会はじめ他の学会も別の予測を発表してきましたが、マスコミは比較もせずに厚労省予測のみを垂れ流しにしきました。2008年現在ようやく最近になって新聞の解説などで誤りを指摘するようになって来ています。
 たしかにマスコミの報道は商品ですから大衆受けする情報を扱うことでしょう。しかしながら大野病院事件・大淀病院事件をはじめ、現在のマスコミは調査することもせず、警察発表をそのまま流すだけと言う、それこそ安直な手抜きをしているとしか考えられません。
 映画「クライマーズハイ」では、後部圧力隔壁の破壊の噂をつきとめたものの確証を得ることが出来ず報道を断念したという話が出てきますが、いまや確証など得ることもなしに報道するのが茶飯事なのではないでしょうか。これでは戦時中の大本営発表を垂れ流しにした大新聞各社と同等か、むしろたちが悪いですね。
 一方、そのマスコミ発表に対して文句を言わない医療側にも問題はあります。医師会も定例記者会見だけでなく、マスコミに不適切な記事があればすぐにレスポンスするような「小うるさい」広報官もいるべきだとはおもいます。

川口様

追加です。

新聞記者や刑事さんたちは、足を棒にして聞き込みをし、分厚いメモをとりまくるという印象がありますが、最近の報道を見るとネタは各社ほとんど同じところから出ているように感じます。
ひょっとして、最近の記者はPCの前に座って作文していることが多くなってきてはいませんか?

元マスコミの方がここまでわかりやすく手の内を明かしているのだから、医師会はわけのわからない
テレビ宣伝にお金を使うくらいだったら、もっと有効な宣伝方法を
考えるべきです。
例えば救急の問題であれば、たらいまわし、つまり萎縮医療という
国民にとって、きわめて不利益な
ことが発生しているわけで、どの程度の不利益が現実に起きているのか国民は関心があるはずです。
不利益には敏感ですから。
そこをうまくマスコミに報道させ
、それはいかん、どうすればいいんだ、という意識に国民を持っていくべきではないでしょうか。
そうすれば、医療費増額賛成、コンビニ受診、救急車の安易な利用
断固反対と国民から声が上がるはずです。

漠然とですがマスコミの実態がわかったような気がします。
ところで、医療関係者が医療崩壊を危惧するブログがたくさんありますが、多くは国民の未来について本気で心配しているからだろうと思います。いわゆる社会正義にかられててのものでしょう。
ただ、マスコミと同じ視線・立場で考えた場合、医療関係者が医療崩壊について社会に訴えたり、情報を発信しなければならない根拠はどこにあるのでしょうか。もしくはメリットはあるのでしょうか?状況が改善しなければ、医療者としては今後、医療が再生するまでリスクを避けながら細々と生きていくという選択肢もあるはずです。別に医療者が熱く訴えなくても、今以上に医療が崩壊し、国民生活が破綻すれば「報じざるをえない状況」になるわけですよね。なんだか、そこまで待ってもいいような気になってきました。

散開さんへ
物言わぬ奴隷が物を言い出したから、やっと医師増員になったわけです。
ここで黙ったら、素直な奴隷に戻ってくれてありがとう、ということになります。
もう一頑張りすれば、もう少し
いいことがあるのではないでしょうか?
応援しますよ。まじで。

一市民さんへ
奴隷は貴族の生活がしたいわけではありません。平民の生活で十分なのです。一度でも奴隷の状態を脱した人間が、素直に奴隷の状態に戻るでしょうか?
平民の生活で十分なのに、何のためにもう一頑張りする必要があるのでしょうか?

> もしくはメリットはあるのでしょうか?

医療関係者も患者たり得るということを考えれば自明でしょう。

私はロハスが好きですし、川口様のことも信頼できる方だと思っています。
ただ、本稿のようなマスコミの論理を明け透けにされても、閉口してしまいます。
対マスコミ工作など、一勤務医には荷が重すぎますし、私自身は、既存のマスコミに期待することは、もうほとんどありません。
散開さんの感想は、私も含めた大多数の勤務医の意見と思えますです。

マスコミに元々自浄作用など期待していません。火をつけて消す振りをして油を注いでいる。燃え尽きてなくなるまで分からないのでしょうか?燃え尽きたらまた誰か他の人に責任転嫁するのでしょうけど。

大体皆さんの御意見と一緒です。
マスコミが自分のところの論理を振りかざして、「だから出来ないのは仕方が無い」と仰るのはどうかと思います。「出来ないなら、出来るように改善しろよ」といいたいです。

そもそも、この「出来ないなら出来るように改善しろ。お金のことなんか言うな。」という論理は最初にマスコミが他業界に対して使用した論理です。

マスコミが社会の公器なんて自称するのはおこがましいです。もしもそんなことを言うのなら、自分の足でキチンと裏を取って報道して欲しいものです。こんな自分達の収入を増やすことだけ考えずにもっと社会のことを考えて大局的に報道してほしいです。人材がいなければ、元医師でも雇い入れて記事を作って欲しいです。

マスコミが改善する余地はいくらでもありそうです。

マスコミに対して言いたいことは山ほどありますが、論点がぼやけるのと、そろそろ仕事がありますのでこの辺で一旦切ります。

皆様コメントありがとうございます。
一点、どうか私が5月に書いた部分もお読みください。
マスコミは社会の公器ではない
と書いてあるはずです。

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