後期研修 班会議1(3)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年09月24日 09:17

土屋班長の発言は続く
「次に具体的な進め方についてお話をしたい」


「年度限りの班なので、あと残された期間は半年しかない。10、11、12月と精力的に会合をもって正月休みには腹案を書きあげたい。そのためには、たとえ少々欠席する班員がいても会合は開いてしまい、その中身を文章で共有することによって、その次には同じスタンスになってもらう形にしたい。

そこでまずは検討会に参加していなかった4人の班員にビジョン具体化の内容をもう一度確認してもらうと共に認識を一つにしてもらいたい。議論の中では、専門医の定員を決めるような第三者機関が必要だという意見や、それに実効性を持たせるには公費を投入するしかないといった意見が出た。その辺も含めて大きなアウトラインは共通化できたろうか。次回からは、関係者から意見を聴きたい。特に総合医について認定システムを提案している日本医師会や、日本専門医制評価・認定機構は大きな役割を果たしていると思うので、今度どうするつもりなのか聞きたい。特に日医は、報道で見る限り、ビジョン具体化検討会に誤解があるようにも受け取れるので速やかに意見交換したい。それから主要学会、全部は無理にしても外科学会とか内科学会のようなところの意見も聴きつつ、同時並行的に海外では専門医の育成や定員をどのように決めているのか、そのシステムを、個人的に聞き覚えはあるが、しかしきちんとデータを集めたかというと心配な面もあるので研修制度がどうなっているのか、皆さん外国の方でお知り合いも多いだろうから聴ける方は聴いていただきたい。それから秋には学会で外国の方を招待されることも多いだろう、この班は外国の方をお招きするような費用はとても出ないから、学会に便乗するような形で何時間かヒアリングの時間をいただけないかというようなことも考えている。その他に一般の方、他分野の方からも意見聴取したい。この進め方について何かあれば今この時点で仰っていただきたい。

よろしいか。

では、まず新しい班員、江口先生から、この班に関する印象とこのように考えているという話が伺えれば」


江口
「まずは今までの検討会のこと。資料は一通り読ませてもらったが、個々の意見と全体の意見が取り混ぜて書いてあるような印象がある。整理していただけないか」


土屋
「8月27日に中間とりまとめ案というのが示されている。その範囲については全員の賛同が得られている。その中でこの班会議と関係が強いのは、2の医師の偏在と教育のところ。増員が大きく書いてあるが、偏在の問題も触れてあり、後期研修をコントロールできないと人数のコントロールできないということで、この班会議の設置につながっている」


(略)
海野
「土屋先生の仰るとおりなのだが、診療科間の偏在に関しては、実態がまだ共通認識になっていないと思う。減っているところは声を上げ始めているけれど、増えているところからは声は出てこない。この先どういうバランスになりそうなのか見極めながらでないと意味のある議論をできないし、若い先生が将来の専門を決める際にも時々の情報は示されているべきだと思う。

厚労省の出しているデータからだけでも、全体のトレンドとして明らかに外科系が減っている。それぞれの個別学会、耳鼻科学会でも泌尿器学会でも産婦人科学会でも内部では減って大変だという議論をしているのだけれど、集めてみるとこれは全体の問題だ。こういう中で、どれだけの専門医が必要なのかの数を出すには、現場から積み上げる形じゃないと示すのは難しい。

8000を1万2000まで増やすというのが大枠として、それをどう割り振るのか、それらしく作文することはもちろんできるけれど、それが未来の現場のニーズを吸い上げているかというと疑問だ。各学会に専門家の責任として、自分たちの診療科にどれだけの人数が必要なのか述べていただくことが必要でないか。それを積み上げたら1万2000でもとても足りなくなるだろうから、全体の中でどう折り合っていくのかというプロセスが必要だと思う」


土屋
「それは恐らくコメディカルの働き方によっても大分変ってくるだろう。それも踏まえて議論しないといけない」


阪井
「最終的には需要をどう見積もるかという話になるんだと思う。我々は供給者側に過ぎない。受ける側なり第三者、医療に第三者がいるのか知らないけれど、の意見を聴かずに専門家だけで話してもいいものだろうか。この問題には、どこまでを医療とするか、どこまで必要かということを考えることも必要で最終的には国民の選択になるんだろう。そういう視点を入れると、このメンバーだけでいいのかと思う」


海野
「検討会でも、その議論はあった。その時には、われわれ専門家は提供者として医療提供に関して責任がある。そして受ける側が必要性を本当に分かるかというと、必要になった時に初めて分かるものなので、提供者側できちんと示す責任がある。それを、それぞれの学会がきちんと果たしてきたかというと、違うと思う。今までに専門医が余ったと言った学会は一つもない、そんなところはないのかもしれないが、我々産婦人科学会も毎年320~330人の専門医を生み出し続けているのだけれど、では実際には何人必要なのかということを知らないし言えない。どこかで誰かが責任を取って言うしかないんだと思う」


阪井
「学会が数をきちんと示せなかったのは、医学と医療とを混同して、医学の話をしていたからだろう。そこをきちんと分けて話のできる人を呼ぶか、あるいは私たち自身がそうなるかする必要がある」


外山
「大学の外で医療をやっていると、大学と同じ点、異なる点がある。専門医の考え方というのは、あくまでも臨床能力があるということであって、大学における研究の能力とは分離しないといけない。それから大学は学校だから教育しないといけない。そういうものも区別するということが最大の議論の対象になるべきだと思う」


土屋
「各学会から必要な数を出させて積み上げたら、米国並みをめざした場合、全体で1万8000人くらい必要になってしまう。人口に合わせて2で割るというわけにはいかない。その中でわが国ではどうするのかという話だ」


外山
「20年ばかり前に米国から帰ってきた時には随分とカルチャーショックがあった。最初は、とにかくいい臨床を提供することに専念していたけれど、そのうちにこれを受け継いでいかなければならないと考えるようになり研修医教育にも力を入れるようになった。その卒業生たちが、その後どのようなプロセスで自分の能力を発揮しているか見ていると3つのことが言えると思う。まず、教育にはエネルギーが要るということ、特別な予算で特別な指導医が要る。片手間では勤まらない。二つ目には、大学も含めてそれなりの診療水準にある医療機関が横につながって、教える側、教わる側を分けあわないと水準は上がらない。土屋先生ご専門のがん教育も、がん専門病院と連携してローテーションするような形でないと後期研修医全体のレベルは上がらない。3つ目に、医師不足云々の原因が初期臨床研修であるかのように言う人がいるけれど、もしそうであるならば制度全体が間違っているんであって、臨床研修が間違っているのではない。むしろ臨床研修は大事な最初の一歩で、これからだなと思っていた。むしろ後期研修にどうつなぐかの方が大切だろう。偏在があるとするなら、それはやはり定員化で対応するしかなく、その場合に何人ぐらい必要なのかは専門医とは何なのかの概念なしにはいかない」


岡井
「専門医の必要数を議論する時、家庭医の問題がある。どの位いてどこまで診てくれるのかによって専門医の必要数は大きく変わるので、むしろそちらを先にやってもらった方がよいのでないか」


外山
「私は特殊な診療科の人間だが、しかし常に自分が総合医であり家庭医であるというスタンスで診療にあたってきた。家庭医というのは立派な専門医であり、そのスタンスがどこまで理解されているかが重要だ」


川越
「すごく興味深い話が続いていると思う。専門医の必要数を計算する際に国民のニーズから計算されているのだろうか。知らないので教えてほしいのだが、そういう計算をしている分野はあるのだろうか。考えるに、計算しやすい分野としにくい分野があるような気がする。岡井先生、海野先生を前に何だが、お産なら年間の回数が決まっているから必要な数は計算できて、それが減ったらもちろん困るし増えすぎても困るから目標数を立てやすい。しかし家庭医の数ということになると、そもそも家庭医の定義すらハッキリしてないし、専門医として登録すれば必要数は出てくるものなんだろうか」


土屋
「数える時には、疾病からだけでカウントするんじゃなくて文化的背景も考える必要がある。ガンでも緩和ケアをどこまでやるかで全然違ってくる。家庭医にも同じようなところがあって医療関係者の中でも一致っしていないと思う。きちんと掘り起こして国民に理解していただく必要があるだろう」


葛西
「せっかくの研究班なので主要な国で家庭医の数をどのように決めているか調べたらいいと思う。日本の場合、若い先生がやりたい分野に行った後で多すぎたとか少なすぎたとかいう話になっているので、やはり入口で適正な数にする必要はあると思う。その場合に他の国では何をファクターに数を決めているのか参考にしたらいい。

米国では内科医の半分が家庭医になり、英国では全体の半分が家庭医になる。それに引き換え日本の場合、家庭医に関しては数もさることながら、その研修機関や指導医、地域の受け皿をどうするのかも同時に考えないといけない。現実には、大目標を定めて、まず5年でその6~7割まで到達するような感じではないか。

それと数を決めたら毎年微調整することが求められると思う」


土屋
「有賀先生の目が光ったので触れておくと、救急も米国に比べておそろしく少ない。大学を中心に専門性の高い医師育成をしてきたから、科横断的な養成ができていないという問題意識も持つ必要があろう」


渡辺
「私は漢方医の立場なので家庭医・総合医に近いスタンスになると思う。数というのは、専門医がどこまでやるかで決まると思う。たとえば脳外科がオペ以外にも、外来診療をしたり他の雑用に追われたりしている現実がある。明確な線引きは難しいにしても、どこまでを専門医がカバーするか、大まかな分け方は考える必要はあるだろう。家庭医と専門医とが連携する仕組みができれば数も出てくるんでないか。

それから指導医の数がどうかという話があったけれど、私は内科専門医でもある。開業の内科医の臨床レベルは実に高い。しかも幅広い患者さんと実際に日々接している。彼らを指導医にすれば既存の人的資源を生かしながら無理なく制度設計できて解決できる気がする。

漢方に関して言うと、医師の8割が漢方を用いており、全大学で教育が行われている。しかし卒後教育は全くない。このため非常に限られた処方しかされていない。漢方はもともとが複合製剤であるため、特に多剤服用している高齢者には一剤や二剤で済むというメリットがある。インフルエンザで行われた研究では、タミフル単独、併用、漢方単独で比較した場合に、意外にも漢方単独がもっとも投与期間が短くて済んだという結果も出ている。適正に用いたならば医療費削減にも貢献できるということを述べておきたい」


土屋
「開業医のレベルが高いのはその通りだと思うが、高い人とそうでない人の区別がつかないという問題がある。副院長になるまでは月に5回くらい地域の医師会の勉強会に顔を出していた。そうすると、そこへ来る人たちのレベルは大変高く、特に画像から肺がんを見つけることに関しては我々もかなわない。ところがそういう所に来る人は何百人も医師会に会員がいるうちの十数人。他の分野では、また別の先生がそういうことになっているのだろう。総合的な力という意味ではどうなのか」


渡辺
「もともと循環器の医師だった人が必要に迫られて他の分野も勉強しているということが多い。たしかに質をそろえるか考えると、基準を設けてパスした人たちを対象にするようなことは必要だろう」


土屋
「新たに開業するような人は元々専門を持っていて、そこに個人的な努力を重ねて幅を広げていくというのが実際のところだろう。そうやって完成された開業医は実に立派だということは認めるが、その途上でいわば試されているのは患者の身になったらたまったものではない。やはり系統だって育てられる仕組みが必要でないかと思う。そうやって考えれば決して医師会とも対立するものではないはずだが」


葛西
「福島県では3つの郡市で『実践家庭医塾』というものを実施している。実際にはゆっくり進行していて月に1回ワークショップを開催しているだけだが、全国でこういったものを早い段階で開催できるようになったらよいのでないか」
(長いので続きは次項)

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