後期研修班会議3(2)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年11月08日 23:24

つづきから。


有賀
「すべての医師が専門医をめざすべき、そこまでは理解できる。専門医をつくる、認証する、全体像としてはどうなのか。全員加盟する組織が必要なので入ってしまうべきか、組織から離れると活動できない弁護士と同様の全員加盟なのか。もし専門医はいいやという人がいたらドロップアウトしてしまって構わないのか」


桐野
「学術会議は、そこについて言ってない。ただし当然ながら、現在は医道審が果たしている懲戒もやる、組織から外れれば、たとえば保険医になれないとか医師免許の停止や剥奪まで行くかは分からないけれど、それをやらなきゃ何の意味もない。医師の全員が加盟する、戦前はそうだったのだから、受け入れにくいかもしれないが決して奇異な主張ではないと思う」


有賀
「奇異とは思ってない。質のよい医療の提供のためどうすればよいのかという意味で聞いた」


阪井
「制御は自律的にというのは素直に心に響く。素直に思いたいのだが、そう思えないのは、実は米国の小児科医からこんな話を聞いた。米国の小児科学会が専門医資格の更新・再試験制を打ち出した時、最初は反発が強くて頓挫しそうになった。ところが後ろ向きな話になりかけたところで、会場のオーディオビジュアルの技師がディスカッションを聴いていて、私にも一言しゃべらせてくれとマイクを取って、自分たち電気技師は毎年試験を受けないといけないのに、自分たちの子供の命を預けるあなた方が再試験に反対することは信じられないと言ったところ、そこから一気に再試験に流れが傾いて、今では更新・再試験制でやっている。この話を見ても、きちんとやっている米国でも、やはり自分たちに厳しい自律というのが難しいのだから、閉じた形で自律するのは利益相反になって難しいのでないか。一般の人をボードメンバーに1人でも入れることで自分の利益ばかり主張できない仕掛けになっていないと自律的にやれないのかなという気もしている」


外山
「共通点というか、長年考え実践してきたことと同じ。であるが、私は今の場所に25年間いる。それだけ長いことやっているのに、いまだに実現していない。長年にわたって、色々な方が良心的に発言し続けてきたのに世界に冠たるような専門医制度にはなってない。今やるしかない。今スタートしても5年や10年では実らない。医師だけでパワーつくりうるかと言ったら、過去を見てもつくれないことは明らかでないか。国民に少しでも分かりやすい透明性を出してやるしかない。専門医教育は米国が世界一だと思う。なぜ自分たちのことだけを考えずに質の向上に強く動けるのか、そのためには部外の人、一般市民、知識層が入っている。1人でも入っていることによって透明性を高めて、医師の利益だけを考えた発言ができにくくなる。

米国の専門教育も紆余曲折があってこうなっている。いっそ、そのままモノマネしたらどうか。一定の期間かけていろいろ失敗もしているのだが、なぜうまくいっているのか理由が分からない。彼らの努力は大したものだから、そのままマネしたらいい。そうでなくて、日本独自にできるんだろうかと考えたとき、今までの経緯を見たらできるかどうか不信感がある。部外者の方を入れた制度をつくっていくべきだ」


土屋
「冗談に、できないのなら51番目の州になってしまえばよいと言うことがある。米国の制度を日本語であれしてもらうというのも手かもしれない」


江口
「学会を離れた専門医集団ができたとしても、将来予測は不可能でないか。透明性も大事だが、それ以上に医療の発展、技術やテクニックの変遷にリソースの配分が追い付かないこともある。次の状況、起こりつつあることは医師だけじゃなくて将来予測する専門集団をつくっておかないとビジョンが外れてしまうことにないか」


桐野
「具体的になるにつれ難しくなる。専門職集団の誇りとしての自律、法的規制の下で認証して、それをつくった所から報酬体系で押す引っ張る両方必要でないか。相当な広い範囲の支援が必要なんだが、医師に任せて大丈夫なのかという気持ちはある。全体でやって見せる行為がないと難しい。しかし今はチャンス、日本医師会も困ってる医学会も宙ぶらり、病院組織も大学もみなバラバラ何らまとめることできない状態だ」


江口
「何か別にやっていてこの仕事にあたったとしても10年先20年先考えて動くのは無理。学会を離れて運営に当たるコミッティーの人材を確保することが必要だろう。行政も何を考えて仕事をしているかといえば5年先くらいだろう20年先にどうかということは考えていない。今までと同じ対応をしたら失敗を繰り返すことになる」


桐野
「米国もいろいろ失敗しているが、5年先のことを考えるシンクタンクを持っている。民主党系、共和党系ある。医師会は類似のものをつくったが機能していない。ものを考えること専門の集団を持っていなければ、学部長や院長といっても、その職になるまではほとんど素人。そこから数年勉強して発言するようになっていくのだが、どうしても考えることの裏付けが薄い。そういう組織を持ってないと医師も対抗できない。それぞれの組織がバラバラに対応するのでなく医師がしっかりした組織を持つ必要がある」


土屋
「専従者が必要というポイント。実務の部門は学会が専門にしているのでよろしかろう。制度認証の方は、医師会の総研のような事務局が必要で、実務の部分だけでなく評価・認証のためのコアな委員会のメンバー自体も専従でないと難しい。コアの下の事務局もかなり大きな組織が必要。医療機能評価機構のような組織にして官費でやらないと難しかろう。コミッティーのメンバーがどこかの代表で来ていたら同じこと。米国は専従でやる構図になっている。日本の委員会はその時はいい議論をしても、学部長や院長は帰っちゃうと忘れちゃってる」


川越
「専門医制度を確立して認証評価していくことに賛成だ。ひとつ、専門医制度のベースになる学会の問題がある。歴史ある学会と新しい分野、たとえば私の専門である在宅ホスピスは専門性高いけれど学会がない。そういうものがあることと、内容が類似している学会もいくつもある。その整理も考えていかないといかんのでないか」


桐野
「学会を整理するのは難しい。だからといってゴニャゴニャで進まないというのではいかん。一定の議論の後は服してもらうしかないのでないか。AとBという類似のものがあったなら、合同でやるかAかBのどちらかを取ることにならざるを得ない。選ばれなかった方は先細りになるだろう。非常に強い決意と根拠とを持ってやれば可能だろう。基本的なボードの数は20いくつというのは各国見ても基本的だろう。サブスペシャリティは、議論するのが早いだろう。学会を一つ選ぶときには、法的な根拠を持ってでないとうまくいかないだろう」


土屋
「専門医の機構は、あらゆる機関・組織から離れていないとできないし、公平に評価したとは思ってもらえないだろう。国民から信頼されないことになる」


有賀
「医療崩壊させないため、固い信念に基づいて医療の質を上げる取り組みが必要であることは間違いない。しかし、それが法的枠組みとしてどんなイメージになるのかは、よく分からない。どういう法律になるのか。それと判断の基準が法律だと、プロフェッショナルオートノミーからいっておかしいのでないか」


桐野
「米国は自分たちでやるというのが徹底している。その際には、無人の荒野に都市をつくるようにやる。我が国では、着手が遅くて、私権が林立して駅前再開発のようなことになる。法的制限がないとうまくいかない。法律と自律とが矛盾しているという議論はわかるが、しかし最小限の規制は必要だろう。すべて役所がやるのでは、もっとうまくいかない」


土屋
「市民公開で公の組織をつくりたい。法律をつくるとどうしても官僚が出てくることになる。出てくるとロクなことにならん。しかし自律的に公のものつくる力が育ってないとすると、最低限のものは必要なのだろう。本来は法がなくても機能するのでないと、あの集団は信頼できると信じてもらえないのだが、ただ私個人の見るところ、まだ社会に市民的認識が薄いし、医師集団の中ですらできてない。現状では、法律に頼らざるを得ないのだろう。他に何かあれば」


有賀
「せっかく桐野先生は脳神経外科学会の重鎮なので伺いたい。脳神経外科医の適正数はどう考えたらいいのだろうか。心臓外科専門医は症例数から出すことができるだろうが、脳神経外科医というのが手術をやるだけなら専門医数は出せるだろうが、現状では、救急をやっていて、神経放射線診断もしていて、術後管理もしていて、リハビリもしていて、というように広い視座で運営されている。各学会の専門医の数について、この委員会としてもそれなりのことを言う必要があるならば、脳神経外科医の領域はどう考えたらよいのだろうか。嘉山先生がいるともっと議論が過激になると思うが、ニュートラルな桐野先生に伺いたい」


桐野
「脳神経外科学会でもしばしば議論になる。言葉の定義から言えば、専門医が5千人も6千人もいるのはおかしいのだが、歴史的にみると脳神経外科の医局がアクティブであったこと、先ほど話した各先進国がベッド数を減らした時に日本はベッド数を増やしたわけだが、その時期に医局が活動的でどんどん手を広げた、日本では脳血管障害が死因の第一位だったことと交通外傷が多かったことから需要はいくらでもあるだろうということで増やした。それなりの理由があって、我が国の脳神経外科は我が国特有の科という主張も理由がないわけではないが、自ら望んで制度設計したのではなくて、どんどんやったらこうなっちゃった。

ただし脳神経外科は、91年ごろの会議で言ったことだが、そのころから希望者が減りつつある。専門医というのは新卒から7年後ぐらいの反映だから。これは危険な兆候だから、脳神経外科医のありかたを変えるべきと言ったが不評だった。その後は臨床研修制度が始まってわけが分からなくなっちゃった。昔は年に300人ぐらい入局していたが、今は150人くらいしか入局していない。ということは下で一番働かなきゃいけない人が少なくて、肩で風切って歩いて威張っている人ばかりということだ。北海道では何年も入局者がいないようなところもある。このままでは、産科、救急に続いて崩壊する。もっと現実的に考えれば、業務を整理して専門医の数も症例に応じていかざるを得ない。必然的にそういうことになる」


江口
「まさに今のような話というのは、何年か先を見通したディスカッションをやってないとトレースできない。昔なら手術できるものは全部手術だったと思うが、今は新しい分野や専門性が出てきて、そういうものの人数が全国に必要だとしても先読みしてないと。脳外科の中だけで話をしていると先に手を打てない。本来の意味の脳外科医でなく療養専門の方は専門医でないのか、システムチェックが必要だろう」


桐野
「脳卒中は、諸外国では神経内科、放射線科、神経外科がセットで行うのが標準だろう。しかし日本は神経内科医の数が少ないので、どうしてもその部分を背負ってきた経緯がある。それだけやってきたんだから評価してくれという声もあるが、しかし今後も150人でそれを背負っていくのか考えたら今後は続けられないだろう」

(了)

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コメント

 先日、アメリカの大学で研究者をやっていたのが帰国して医学生になったという人とお話ししていて言われたのは、日本の医療界にはjob discriptionがない、ということでした。

 それはそうで、だから神経内科医も脳外科医もいない病院に脳卒中の患者さんが担ぎ込まれたり、他のお医者さんが引き上げた病院に居残った場合には過労死するまで働くハメになるわけでもあります。

 業務の範囲と適正な業務量の水準をきちんと決めた上で、はじめて、最小限・最大限の員数を議論することに意味が生じてくるわけであって、その点が甚だ曖昧な現状を肯定した場合、そもそも数の議論はできないと考えざるをえません。…まあ、ちょっとインチキすれば、全体の過不足の議論だけはできますが、内訳配分の議論は無理です。

 もちろん、現状で診療科別・地域別の過不足…主として不足ではありますが…が存在することは明らかで、業務範囲を決めた上での規範的分析の数字で現場が回るはずもありません。

 さらに言えば、おそらく理想の状態に到達することが永遠に来ない診療科・地域もあるだろうと思います。

 それでもなおかつ目標とすべき数字を割り出す議論は必要であって、他ならぬ専門家が、その方向性を混乱させたり誤ったりしてはこの國は救われないと思うのです。

>中村利仁先生
コメントありがとうございます。
専門家が情報を出してくれなければ決められない話ですね。

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