後期研修班会議5(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年12月05日 18:31

土屋
「勝手連的に学生が手伝ってくれるようになった。身の引き締まる思いだし、後期研修を軌道に乗せられるような、しっかりとした提言をまとめたい」
ということでスタート。
本日は、総合医・家庭医の育成を進めている
いわゆる3学会の代表からヒアリング
プレゼンの中身は資料がサイトに上がったところでリンクしつつ説明するとして
ディスカッションの部分を急ぎご報告。


土屋
「小泉先生の言う病院総合診療医と家庭医の違いは何か。入院がベースになるかどうかということか」


小泉
「入院患者にもある程度の責任を持つという点と、大病院で専門家だけ並んでいてもファンクションしないので、それを院内的にコーディネートする人も必要で、その役割を果たす人だ」


土屋
「familymedicineが減ってhospitalistが増えたということだったが、このhospitalistは、日本内科学会の総合内科専門医とはどこが違うのか」


小泉
「分かりやすく言ってしまうと、内科学会のは、この間まで内科専門医と言っていたはずで、その試験の内容も各臓器ごとの知識を足し算したものであって、統合するような知識の問題は出ていない。また取得した方々も実際には臓器内科医として勤務しているのがほとんどだろう」


土屋
「病院総合診療医の研修はどこで?」


小泉
「各科のローテートと地域でインテグレートしてやってる病院の中央部門的な所、それから余裕のある人は本当のルーラルメディスンの現場に行って体験する」


土屋
「各学会ごとに定義づけを伺いたい。まずプライマリケア医とは?」


前沢
「ホームページを見ていただくと分かるのだが、ACCCA(近接性、包括性、継続性、協調性、責任制)を併せ持った医師だ」


土屋
「具体的なカリキュラム的なものは」


前沢
「相当のボリュームがあるので、一口には言えない」


土屋
「私も今ホームページを見ているのだが、なかなかポイントが分からなかったので、そういうものがあるのならと思って訊いた。では、家庭医とは?」


山田
「後期研修のプログラムを作る中で議論しているが、まだしっかりとしたものは出せていない。ただグローバルスタンダードの中では、ある程度ジェネラルプラクティスという分野は確立されているので、そういったものに近いだろう」


土屋
「なぜ、定義づけを訊くかというと、前回もそうだったのだが、人によって抱くイメージが異なるので、ハッキリさせられればと思った」


川越
「この種の議論でいつも問題になるのが定義だ。具体的に目標とする医師像があれば。というのは前2人のお話を聴いていたら、なんとなく自治医大が育てて地域医療を担っている医師に相当するのかなという気がして、だとすると働く場所が限られるんでないかと心配だ。併せて、特性を生かした働き場所がどこになるのかも教えてほしい。それからスペシャリストがこれだけ多い中でジェネラリストが診ると、どうしても見落としの可能性があると思う。医療訴訟になる可能性もあると思うのだが、その辺りへの学会としての見解や対策があれば、お聞かせいただきたい」


山田
「家庭医の働く場所として分かりやすいのは僻地や離島に1人だけというので、それだと英国のGPやっている人と似ることになる。しかし理念としては、そこは意識していない。1人の患者、1つの家族をずっと診続けるというものだ。たしかに制度として守られないと、専門医の大勢いる都市部では存在しづらいかなという印象はある。見落としが重大な紛争になるのは、見ず知らずの人で結果が重大だった場合、その時の説明や対応がどうだったのかということが大きいと思う。お互いの理解とコミュニケーションがある場合には事故が訴訟にまで発展するということはそんなにないのでないか。そこを埋めるのは、医師の誠意とコミュニケーション。お互いにバックグラウンドが分かっていると、信頼関係も築きやすい。不信感の中で訴訟になっている面が大きいと思うので、まず信頼回復を図るしかないのでないか」


前沢
「私も自治医大に14年勤めていた。が、先ほど説明したように、学会を支えてきたのは都会の勉強熱心な開業医。その意味では、どこでもやれると思っている。都会であれば、僻地よりは責任の範囲が少し狭くなるだろうが、その分、専門医を上手にコーディネートする必要がある。訴訟に関しては、我々の分野は米国でも訴訟が少ない。それはコミュニケーションの賜物だろう。1人しかいない場所へ行く場合には、新患を軽く見がちなので気を使って戒めていた。かなり意識的な努力をしないと大変なことになりかねない」


小泉
「私はもともと外科医で、生まれは東京の下町の開業医の息子なので、いろいろな角度から見ている。理想像はとりあえずあるけれど、それが余りにも立派すぎると、そんなの日本ではできっこないという話になりかねない。現実には、医師会の会員にもかなり熱心に勉強している方々がいるので、そういう方のやっている医療がモデルになるのでないか。問題は、そういう方々がvisibleでないことだ。マスコミなんかでは、医師会会員というとベンツを乗り回して週末にはゴルフに行って威張っているというイメージが強いのだが、本当は一生懸命やっている方は相当数いる。大学でも、地域のそういう先生を発掘して、学生が実習や研修に行けるようにしている」


土屋
「たしかに医師会の中身は2種類ある。昼間に医師会の活動をしていて政治が好きな人と、夜に医師会の勉強会をしている人と。東京だと毎日のように何か医師会の勉強会がある。でも、そういうのは表に出ずに、声の大きい昼間の医師会の人ばかりマスコミに出てる。小泉先生のスライドの中で、ジェネラリストの活躍の場が、クリニックだけでなく、実は中途半端な規模の地域の病院でクリニックと病院の二極分化しているわけではないという指摘があったが、その意味では厚生労働省も二極分化していることを前提に政策をたくさん打っている」


小泉
「最初から、中小の病院は排除して大病院と診療所のどちらかしかないようにするんだ、そういう政策目標があって行政を行っているなら、それも一つの考え方だと思う。たしかに諸外国はそうなっていて、中途半端なのがあるのは日本。しかし、問題なのは日本の現状のアセスメントがなくて政策が行われていること。現場がどうなっているのかのデータがない。だから、どうしても概念的な話ばかりになる。たしかに、中小病院にはマイナス面がある。しかし地域に密着した本当の医療がやれていた面もある。そこに、きちんと光を当てて評価したうえで政策を進めてほしい」


土屋
「銚子にしても夕張にしても、昨日は外来中心で、クリニックの方が大きかった。それなのに何床という入院ベースの話をしてたから、話がおかしくなった。実は地域の病院の多くもクリニックの側で解釈しないといかんのかもと思った。使えるデータがないというのは、本当にその通り。家庭医の数をどうやって数えたらいいのか」


川越
「すごく大事だと思って聴いた。もう一つ山田先生の後ろから4枚目のスライドもとても大事だと思う。皆が皆スーパーローテートするというのは見直すべきでないか。こちらからの意見として、あちらの検討会にお伝えいただければ」


土屋
「文部科学省と厚生労働省の合同検討会でも2年を1年にという話ばかりが先行していて、スーパーローテートが本当に全員に必要なのかについては議論されていない」


岡井
「小泉先生の示した各学会の養成課程の件、内科学会や医師会まで含めると随分いろいろあるが、これはコアの部分が今ないから暫定的にこういうことになっているのか、それとも将来もずっとこの形なのか」


小泉
「これは個人的につくった表なのであれなのだが、米国では総合内科と呼ばれる養成課程があって、それは内科学会の総合内科専門医と家庭医が混じったようなものだが、将来は分担していきたい。その意味ではカナダ式になるのかなと思う。日本医師会との関係についていうと、3学会は未来志向でこれからの養成課程を考えていて、将来的にはこのコースを通らないと開業できないというような仕組みにしたいのだが、どうもその辺りには日本医師会は興味がないらしいので、特に何も言われていない」


葛西
「家庭医の定義が誤解を招くことはあると思う。日本に家庭医を導入しようという話をしても、皆が自分に都合のよい定義をするので、まとまらない。しかしながら諸外国での定義は各学会のサイトを見れば出ているし、それを読めばかなり共通するものがある。ただ医療制度自体は国によってそれぞれ違うので、制度に応用するという話になるとかなり違う。だからといって、家庭医の定義がないとか各国バラバラというものではない。世界を見れば明らかだ。そうはいっても定義するところを先にやろうとするより、具体的に大事なのは国民がどういうサービスのできる医師を求めているのか、まず表現型を優先してカリキュラムを作ってきた。ということを3人の説明に補足させていただいて、そのうえで質問。3学会が合同しようとしているのは、学会の利益のためではなく国民の利益のためと思いたい。そこで、どうやって医師を養成するのか、どうやって医師の質を担保するのか、たとえばプライマリケア学会の認定医は国民の求めるレベルに達していないと思うのだが、それについて学会としてどうするのか。家庭医養成にフォーカスが合っているのか、ぶれていないか」


前沢
「次世代方の理想に近い家庭医像はあって、しかしそこには我々のように専門をやってきた医師としてはなかなか追い付けない、すべての領域をある程度の深さというのは難しいので、そこに多職種協同という考え方で対処しようということで、そのために認定医というものをつくった。その後、修練を積めば専門医への移行もできる。若い人はこれからのプログラムでできる。別の育てられかたをした我々はそれに追い付くように工夫し努力をする」


小泉
「プライマリケアの領域というのは、特殊な専門科のように、その道の人だけ集まれば決められるというものではなく、かなりの程度、社会制度としての医療提供の側面が強い。専門職だけでなく政策的なものによって望ましい医療の姿は変わってくると思う。問題だと思うのは、開業医は専門医より1ランク下というイメージがかなり行き渡ってしまっていること。何らかの形で修練を積み相当のハードルを越えたのだという証がないとそういう領域の臨床ができない形にする必要がある。専門医認定機構も最初は学会のエゴがぶつかり合って大変だったのが、最近はいい議論がされていると聞く。3学会と日本医師会も、そこを基本にディスカッションしていきたいと思っている」


山田
「身内どうしで答えるのも妙な話だが、グローバルスタンダードに則った標準は確かに分かりやすいし、そういった家庭医を育てるという面では日本がやや遅れたのは現状あるかな、と思う。しかし、家庭医の姿というのは医療システムとかなり密接につながったものであり、今の文化・リソースの中で日本型の新しい成果をつくり出す必要があり、それは十分に可能だと思う。3学会と日本医師会それぞれが、その目的のために歩み寄っていこうということで、それぞれの利益を優先しちゃうと面白くも何ともないんであって、将来の日本のためというのを優先して知恵をもっと出し合えればと思うが、実地医療家たちが後進の教育・育成を若干疎かにしていたのかなという印象はある」


ここで川越班員が、在宅でのがんの緩和医療に関して問題意識をプレゼン。これも資料が上がったらリンクする。
「治療の終わった末期のがん患者たちは、これまで地域の中小病院が受け皿になってきたのだが、病床削減のあおりを受けて、そうした患者たちが地域を彷徨っているという現実がある。中小病院を債券すべしという意見もあるだろうが、私としては地域の医師たちが引き受けるべきでないかと思っている。(略)しかし在宅医療を熱心にやっている人であっても、がんの緩和ケアはダメだという人がほとんど」


土屋
「私どもは3年ほど前までは、がん難民製造工場と揶揄されていたが、最近はそういうことを言われなくなったのは、地域で引き受けてくださる所が800ヵ所以上も登録されているから。川越先生のご指摘くださったことは、的場緩和ケア科医長がプログラムを組んでいる。来年から来るレジデントは全員緩和ケア科を4週間ローテートして、うち1週は地域で緩和ケアを実施している診療所へ行く」


海野
「数について伺いたい。元はと言えば、医師数を何人にするのかというところから議論が始まっている。お話を伺って、ある程度の数の総合医がいてアクティブに動いてくれると全体の専門医の数はかなり少なくてもよいのかなと思った。最終的にどのようなバランスになったら良い。仮に毎年1万人の医師を育てるとしたら、どの程度の定員を振り向けるべきか」


山田
「総合医の受け持つ範囲にもよるが、英米型だとすると、かなりの数が必要だろう。個人的には全体の30〜40%、多く見積もる人は50%と言う」


海野
「先ほど分化医からの流入コースも図示されていた。それを考えても30〜40%という数字になるのか」


山田
「途中から入ってくる人を考えれば20〜30%だろうか。僻地医療の経験から言うと1人で2000人を受け持つとつらい。1000〜1000数百人なら重大な支障はなく、500人くらいだと言葉は悪いがヒマになる。1億3000万人を1人あたり1000で割ると全体で10数万人いればいいのかなと思う」


前沢
「将来は新卒の人の5割をめざしてほしい。世界でそれなりに資源をかけて質のよい医療をしている所では、概ね割合は1対1だ。途中段階では新卒の2〜3割と途中から入る人が3〜4割という感じだろうか」


小泉
「医師需給に関する研究班でも検討されていて、そこでの結論もたしか45%くらいだった。5割近くというのがグローバルスタンダードでないか」


江口
「コメントを一つ。家庭医のコミュニケーション能力が重要という話だったけれど、他の医者も備えていなければならないこと、全部の医師に習得してほしい。がんの地域での在宅緩和ケアが大事というのは、全くその通り。で、小泉先生に質問。病院での総合診療医の定義、カリキュラム、役割を教えてほしい。中小病院であれば理解できるのだが、大学病院の場合、主任教授とか診療科長とか中堅の医師にはそういう総合診療をできるんだという声を多くの大学で聞く。そういうのはスペシャリスト養成のためのカリキュラムの一つと割り切っていいのか。日本だと専門教育を受けた人はいなくて、各科で診療能力が高いだろうと思われている人が大抵は総合診療に当たっている。それが続くのか」


小泉
「日本の伝統的なナンバー内科で育てられた人はそういうことになるのだろう。しかし現実には、臓器に特化したもので育てられる人がどんどん多くなっている中で、総合診療医がいると重宝されて、たとえば肺炎や脳卒中なんかある程度まで任せるというのが出てくる。大学病院や大病院で、入院患者のケアをきちんとできるのであれば、こういう人に任せようということで現場では定着している」


渡辺
「日本型の総合医を考える時にキーワードが2つあると思う。一つは高齢者をどう支えるかということ、もう一つは中小病院が日本の地域を支えてきて大学の臓器別の科から派遣された医師に頼ってきたのがどんどん引き揚げられて困っている。そのまま潰れるところと山田先生が手を貸して立ち直るところとに分かれて、それを見ていると中小病院では一握りの専門医と多数の総合医という組合せにならざるを得ないのだろう。100床や200床だと内科も総合的にならざるを得ないし、内科の医師が小児科を診ないということになると、小児科はバーンナウトしてしまうので、内科も小児科も診られる医師が必要だろう。そこで質問というかお願いをしたい。色々な言葉が混在して混乱しているのだがネーミングが非常に大事だ。クリニックベースや中小の病院で働くんだということを国民がイメージしやすいように、プログラム名称を考えてアピールしていただければ」


土屋
「技か心かというスライドがあったけれど、ウチのような専門病院だと技だけで心がないという医師がいてトラブルになったりしている。バランスよく両者が必要だろう。皆さんのお話を伺っていて、総合医に一番必要なのは、内科診断学的な素養が求められているのかなというのが印象だ。そこである程度の診断が確実についてくるのであれば専門医としても高度な検査だけしてすぐに治療に入れる」


有賀
「3つの学会のメンバーはそれぞれ、どれぐらい重複しているのか。救急医学会は集中治療学会と、かなり重複していて、それを見れば、なるほど大病院の医師が中心になっている学会なんだなということが分かる」


小泉
「プライマリ・ケア学会が一番老舗で医師以外のメンバーも一番多い。地域でグローバルな家庭医を念頭に活動しているのが家庭医学会であり、私たちは大病院や大学病院の医師が中心になっている。コアな部分はかなり重なっているけれど」


有賀
「日本の救急医学会が発展したのは、制度としての3次救急、救命救急センターの整備が進められたことで政策的に支えられてきた。診断をもっぱらにする方がいて、多くの方の健康に関する相談は受け持つんだと制度に書いて、この国の形はこうなんだとするべきと思うか」


前沢
「国民の方が分かりやすく利用しやすい形にするには、ある程度フリーアクセスを制限してガイドする必要はあるのかなと思う」


山田
「概ね同じ」


有賀
「家庭医は高齢者医療やがん医療をやって、信仰とか死生観の領域に踏み込むのかなと思っていたのだが、先ほどの川越先生のお話だと、アクティブな人達でもそういうのが難しいんだと言う。私としては、当然のことながら死に際のお坊様の代わりに看取りまでやるんだと思っていたのだが」


山田
「まったく仰る通り。看取りこそ長くつき合った医師がやるべきで、一番実力を発揮できる場面だと思う。その人たちが、まだ技量がないからそういうことを言うのだろうが、オランダでは安楽死もGPの役割になっているくらいだ」


土屋
「これで大体聞き取りは一巡した。次回は班員の中で意見を交換して合議に持っていきたい。最初の回で述べた外国の事例に関して、個人的には何人かに聴けたのだが、なかなかこの場に来ていただくということにはならなかったので現在マッキンゼーに諸外国の例の取りまとめを頼んでいる。お金は余りないのだが、社会的に意義のあることなのでと協力していただけるようだ」


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