「正しい」と「伝わる」は違う

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年12月06日 20:07

医療とメディアについて少し話をすることになって
そのレジメみたいなのを作らないといけないので
つらつら考えている。


たぶん、表題に書いたことがキモなんだと思う。
医療者は基本的に科学の世界の常識でものを考えるから
「正しい」と証明しさえすれば世の中の人が従うと思っているだろうけれど
それとこれとは別だ、ということ。
だったらどうすりゃいいのか、ということは、考え中。

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コメント

中世の暗黒時代の「魔女狩り」。良識を持つ人たちは「あり得ない」と思っていた人たちも多くいたはず。なのにまかり通ってしまったのは時の権力者とその方が都合が良かった人達。
何かおかしいと感じていた人も保身のためか声を大に抗議しなかった民衆。
数百年たってみれば、迷信と風評被害の山々。そんなことが未だに起こっているようで怖い限りです。

>医療者は基本的に科学の世界の常識でものを考えるから「正しい」と証明しさえすれば世の中の人が従うと思っているだろうけれど・・・。

これだけでは仰りたいことのポイントが見えないので見当違いのことを言っていたらすみませんが、上の言葉は「医療者」ではなく「学者」ではないかという気がします。人体では理屈に合わないことが往々にして起こり、その都度対処しなければならないことや、患者も医者が言ったからといって必ずしもその通りに行動するものではないので、臨床医の多くは医学や医療をあまり科学的だとは認識していないようにも私には思えますが。


>魔女裁判

今から300年程前の米国はマサチューセッツ州セーラムで行われた魔女裁判では、200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑、1名が拷問中に圧死、5名が獄死した由。州知事の知るところとなって停止が命ぜられるまで、無実の人々が次々と裁判にかけられたこの事件は、集団心理の暴走例として著名であるのだそうです。一説には児童虐待や集団ヒステリー、麦角中毒などがその原因であったと考えられているとか。

>一内科医先生、KHPN先生
コメントありがとうございます。
一例を挙げるとですね
「たらい回しや受け入れ拒否ではない、受け入れ不能だ」
という指摘がありますよね。
実態としては全く正しいと思うのですが
それが一般の人の行動に何か変化を与えるかというと
(誰かの行動に変化を与えてこそ、情報が伝わった、と言えるのでしょう)
たぶんそうではないよなあ、と思うのです。
受け手の受容体にスポっと納まる形になってないものは
正しくても伝わらない、その場を通り過ぎるだけ。
受容体に納まるデマがあったら、それに負けちゃうと思うのです。

おそらく、医学の科学的な部分と、医療の非科学的な部分が、ごっちゃになっているんだろうと思います。

また、医学的知識も医学的思考もない一般の方に、理解して頂くのは、別の問題だと思います。なまじ、同じ日本語や、漢字を使っているので、わかっていると思い込んでしまうのではないでしょうか?

私も、司法の方の話す日本語が、医療職が使う日本語とは、全然別の意味を持っているとはじめて知りました。
一例をあげると、「客観的」ということばは、医療と司法ではまったく意味が違います。

えええええ、「客観的」にそんな意味があるのか、と驚いてしまいました。


>受容体に納まるデマがあったら、それに負けちゃうと思うのです。

受容体ですか。実に言い得て妙ですね。人間は潜在的に信じたいものを信じるという性質があるということを以前聞いたことがありますが、受容体と考えると確かにそんな感じがしますね。

薬漬け、検査漬けとか、3分診療とか、高齢者による病院のサロン化などといった「心無い表現」でミスリードされてしまったことの弊害は馬鹿にならないと思います。

「表現の自由」とは言いますが、それによって傷つけられたり損なわれてしまったものの価値や損失は計り知れないものがあるのかも知れません。

ことによるとコピーライターなどの、まさに受容体に嵌る言葉を作るその道のプロが作っている場合もあるのかも知れませんが、そういう場合の「心無い表現」が無闇に浸透しないようにするためには、どんな工夫が考えられますでしょうか?

仕事をしていて思うのは、人は正しさでは殆ど動かないという事です。特に自分の犠牲が伴う場合には。

個人的には、人の行動が変わるためのハードルは主に4つ。
・理解できない
・同意/納得できない
・実行する気にならない
・実行できる気がしない

理解しやすく、心情に訴え、自分にメリットがあり、実行が容易な提言、が提示できれば、人の行動が変わる可能性は低くないと思います。

>麻酔科医先生
コメントありがとうございます。
はじめから、互いに違う言葉を話していると自覚的になる方が
言葉の定義をそろえようとするより現実的かもしれませんね。

>KHPN先生
結局は受容体の奪い合いにならざるを得ないのかなあと思います。
変なメディアの出す情報を、質量とも上回れば勝てる理屈でして
でも、それは医療者の皆さんに当事者意識を持っていただく必要があるかなと
思う今日このごろです。

>コンサルタント様
コメントありがとうございます。
まさに仰る通りだと思います。
私なりに頑張ります。

大人になって新しい概念に接することが多くなりました。なかでも印象的なのが「感情労働」と「認知的不協和」です。
>人は正しさでは殆ど動かないという事です。特に自分の犠牲が伴う場合には。
 これは認知的不協和と密接に関わっているとおもわれます。
 認知的不協和問題(の解決)についての研究が何かのヒントになるんでしょうかねぇ…

>なかでも印象的なのが「感情労働」と「認知的不協和」です。

思わず目から鱗、良いヒントかも知れませんね。

いきなり相手に正論を突きつけても動かない根底にこの「認知的不協和」があると考えると結構色々なことが説明できるかも知れませんね。(もしかして麻生さんの言動のメカニズムも説明できるかも)

またナースの離職率の高さの背景のひとつに過酷な「感情労働」があると説明すると私は納得できる部分があるように思えます。

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