募金活動が目指しているところ

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月07日 09:25

くい止める会が行っている妊産婦死亡された方のご家族を支える募金活動は、出産に際してお母様を亡くされたお子さんとそのお父様(女性の夫)を対象としています。当初の段階から、賛同の声が多く寄せられた一方で、「なぜくい止める会がやるのか? 国がやるべきことではないのか?」という疑問も一部であがっていました。それについて、実は私も不思議に思って、事務局の先生方に聞いたことがあるのです。

この募金活動は、福島県立大野病院事件の署名活動をきっかけに結成されたくい止める会が、その無罪判決を受けて新たに始めたものです。判決が出たのが2008年8月20日、募金活動の開始が9月22日。わずか1ヶ月で開始しているのです。そしてこの迅速な動きこそ、国に頼らないボランティアの利点だと会の先生方は言います。鉄は熱いうちに打つべきだ、そう判断したくい止める会の先生方は、とにもかくにも自らアクションを起こすことを決めたのです。

「誰かがやるのを待っていたら、誰もやらないかもしれない。国がやるべきだと言って、もしくは募金じゃなくて何か別のことをするべきだ云々言って、結局何もやらないよりは、見切り発車でもいいから始めよう!」、そういうことだと思います。


先生方の計算では、例えば日本全国に27万人いる医師全員の1割が毎年ひとり1万円負担すれば、2.7億円が集まります。妊産婦死亡が年間50例発生してしまうとしても、これだけの予算が集まれば一組あたり500万円も贈ることができるというわけです。あながち絵空事でもないように聞こえます。

たしかに毎年1万円の負担は大きいものですが、これがさらに広まれば、一人あたりの負担はそのぶん小さくなります。もちろん、これを国が医師全員に強制すれば、ひとり1,000円で済むことになりますし、正面切って異論を唱える人はほとんどいないかもしれません。しかし「官」がやるとなれば、まず法律の整備が必要になり、さまざまな思惑をもつ人々が関与・介入してくるでしょう。それぞれの思惑で動き、その調整にはコストと時間を要します。そうしてようやくできあがった制度も、さまざまな制約等により、実際どれくらい機能するのかはわかりません。


だからこそ、「志のある医師が自らの責任で活動を始めることに意義がある」。

そして、この運動は最終的に、“官でない公”の確立を目指すものだといいます(日本では「公立」というとき、たいがいは「地方自治体によるもの」を指します。つまり「公」でなく「官」なのです)。何でも政府、厚労省にお願いしすぎたという反省を込めつつ、医療崩壊をくい止めるための本当の意味での公、“パブリック”を自ら作っていこうというものなのです。

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