「たらい回し」は真実を伝えているか。

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月22日 12:25

昨日、総務省の救急医療に関する調査結果と、それに関する報道内容をご紹介しました。(昨日のエントリーはこちら。)

今日は、そのつづき、というか、ちょっと視点を変えてこれら報道について考えてみたいと思います。

まずは、昨日ご紹介した報道内容のおさらいから。

●重症患者(入院3週間以上)の3・6%にあたる1万4732人が3回以上断られていた。前年(3・9%)比微減で、「たらい回し」問題は依然、改善されていない。
●医療機関側の拒否理由は、「専門外」が最も多かった小児以外だと、医師不足などによる「処置困難」で22%、「手術や診察中」21%、「ベッド満床」20%の順で多かった。
●地域別では首都圏と近畿圏の大都市部での受け入れ拒否が目立つ。
●受け入れ拒否回数が最多だったのは、東京都内で吐血などの症状を訴えた40歳代の男性で、48回。受け入れ先が決まるまでに要した時間は、大阪府内の事例で3時間42分が最長だった。


このなかで、“書き方”について気になった点が、大きく2つあります。

①「たらい回し」「受け入れ拒否」という表現について
②「受け入れ拒否回数」について

それぞれについて以下、少しだけ考えてみたいと思います。


【 ① 「たらい回し」「受け入れ拒否」表現 】

もうお分かりいただけるかと思いますが、「たらい回し」「受け入れ拒否」と聞けば、「できるのにやらない」「責任回避・転嫁」的なイメージがわいてきます。実際にはそうではなく、設備や人員の面で「受け入れることが無責任につながる」と判断した結果であることは、皆さんもかなり理解されているかと思います。だからこそ、「受け入れ不能」という表現もだいぶ一般的になってきました。それでも一昨日の時点の報道ではやっぱり「たらい回し」「受け入れ拒否」なのです。

そう表現したほうが、人目を引き、問題意識を喚起するのかもしれません。しかし、これらはいずれも、患者側に立って、相手に問題を押し付ける受身の表現です。報道側やわれわれ患者となる国民側がこの表現に違和感を覚えず、いつまでもそういう感覚でいる限り、問題は解決できないと危惧します。医療側も声を上げ始めていますが、それに耳を傾けようという姿勢ではない、あるいは、耳を傾けてもやっぱり他人事と捉えているということになります。医療側と国民の間の距離を感じずにいられません。


【 ② 受け入れ拒否回数 について 】

早い話、根本は、昨日のエントリーに書かせていただいたことと一緒です。つまり、受け入れできなかった医療機関の数というのは、それだけ「受け入れできそうな体裁だけ備えた医療機関」がたくさん乱立していたという事実を示しているだけで、本当に重要な視点は、受け入れまでに打診した回数ではなく、結局どれだけの時間がかかったか、ということではないでしょうか。つまり、大都市で5件打診するのと、地方で5件打診するのでは、おそらく全然意味が違ってくるだろう、ということです。

上記の例でも、「都内で受け入れを48回断られた男性」と「大阪府内で3時間42分(最長)かかった事例」で、深刻なのはおそらく後者ですが、見出しにして人目を引くのは「48回」の数字です。注意すべきは、並べて書いてある「48回断られること」と「3時間以上かかること」が提示している問題が、ごく微妙に違うのに、そこが伝わらないことです。

もちろん結論はどちらも一緒なのですが、「48回断られた」と聞くと、なんとなく断る側が悪いように聞こえないでしょうか? しかし問題は、48回も個別に、しかも搬送しながら聞いて回らないといけないシステムにあるわけです。そういった情報を一元管理できていないのであれば、医師が必要以上にそこらじゅうに配備されていない限り、やっぱり搬送時間は無駄にかかることになります。一方、単純に「3時間かかった」と聞けば「何でそんなにかかるの?搬送のシステムはどうなってるの?」と、話がとても単純に進んでいくようにも思えるのです。


医師不足が医療崩壊を招いていることは事実ですが、すべてをそのせいにして、整備すべきことをしないでいては、事態は改善しません。しかし行政や政治が動くのは、世論の後押しがあってのこと。それに大きく影響を与えるのはマスコミの報道ですが、上記のように、ちょっとした表現一つでニュアンスが180度変わってしまうのです。そのことを報道側はもちろん、私たち受け手がきちんと意識して、情報を見際め、正しく読み取らねばと思うのです。

<<前の記事:なぜ地方では「たらい回し」が少ないのか。    アメとムチ:次の記事>>