リスク、リスペクト |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2009年03月24日 18:05 |
先ほど堀米さんのエントリーのコメントに若干ムキになって書き込みしてしまいました。
日本の医療がここまで悪くなった原因は色々あると思いますが、理不尽な目に遭った医療者が、その非を世に訴えることなく頑張り続けるか、逃げ出すかしてきたことも間違いなく影響していると思うのです。
私たちは神様ではないので、当事者が言わないことまで、ふつうは理解できません。メディアも同様に人間のやっていることなので、当事者以上にものを知っているわけありません。当事者が広く訴えてもいないものを、「理解しないのはヒドイ」と言われても、それもまたヒドイと思うのです。
日本の医療を何とかしたいと思うなら、どんどん医療者自ら世の中に訴えてほしいと思うのです。
内部のリーダー、オルガナイザーと同様に、世の中の人たちが分かるように声を上げてくれる当事者というのも実に貴重な存在です。
で、外部の人間が、オルガナイザーを評価しないで、声を上げた当事者をリスペクトするのは当たり前の話です。だって、社会と向き合うというリスクを取った人しか、外部からは見えないのですから。オルガナイザーに関しては、内部でしっかりとリスペクトしてあげれば良いではないですか。
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コメント
川口さん こんにちは
この点に関しては異論があります。
世の中何も自分から広く訴えることをよしとする文化に育っているわけではありません。
しかも、広い訴えがないとしてもメディアというプロならば多少のひっかかりがある部分はあると思っています。
そのひっかかりを得られないためにたとえば水俣病問題の初期にマスメディアは真実を伝えそこないました(当初水俣病は主に労使闘争の文脈で捉えられていました)。
ひっかかりさえ感じられれば、そこから取材をして広く伝えていく能力がマスメディアにはあります。その使命もあるでしょう。
僕が一番気になっているのは医療のことではありません。
医療者がひっそりとしか声を上げられなかったように、自らが見ている社会の矛盾や改善点をひっそりと遠慮がちに声を上げている人たちはいるはずです。
その人たちの、ざらっとしたところを拾い上げ、まとめて輿論を作っていく、そういう役割をマスメディアが持たなくて誰がもてるのでしょうか
>立木志摩夫先生
ありがとうございます。
同意する点と同意できない点がございます。
声を上げることが物理的に不可能な方に「上げろ」というつもりはありません。
その点は同意します。
でも、可能なのに「できない」と思い込んでいる方とは違うと思っています。
それから、声を上げなかった方が、上げた方を妬むのはおかしいと思います。
声を上げるということは、リスクを負うことだからです。
医療側の問題点
福島事件以前、権威ある団体が意思表明をしてこなかったこと。とくに日本医師会が率先してマスコミ対策を行なってこなかったこと。今回の事件で以前と異なるのは、学会や地方医師会、学術団体が、団体として反対声明を相次ぎ出したことにあると思います。
マスコミ側の問題点
情報元が画一的で、検察側の情報を鵜呑みとして吟味せず公平性を欠いていたこと。他からのネタに頼る一方で自分で調査を行なう姿勢というものがなくなっているのではないですか?
最近頻繁に見られる、誤報・自作自演というのも、調査の手間を省き手軽にスクープを得ようという体質なのではないですか?
行政側の問題点
「医療過誤・・」のパブリックコメントにおいて、医療関係者があれだけの数の声をあげたわけです。私は公表されたものすべてに眼を通しましたが膨大な数でした。あれを行政側は生かしましたか?
また、マスコミはそれを精査したでしょうか、あるいはその数だけでも報道したでしょうか?
以前に川口様も言われているとおり、元来マスコミは大衆受けのするネタを流す。それは専門家でない彼らにとって仕方のないことかもしれません。
ただし嘘は書かなくても、一方的な論調だけを流せば真実が覆い隠されてしまうことも考えてもらいたいものです。
>一内科医先生
マスコミ論にすると論点がズレてしまうのですが、一つだけ申し上げたいのは
自分の責任でネタを取ってきても載せてくれる所がなければ、それまで。
マスコミという装置と中の人間とを同じと考えないでいただければと思います。
装置は、世の中に非常によく迎合します。