今日から気分も一新。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月01日 13:41

皆様、お気づきかと思いますが、ブログのタイトルが変わりました。

ビフォー:
堀米香奈子の周産期医療の崩壊をくい止める会リポート

アフター:
堀米香奈子のカタい話もやわらかく

実は、本日より、ロハスメディアの専任編集委員としてお仕事をさせていただくことになりました(エイプリルフールではありますが本当です!研究室のお仕事もちょっとだけ続けさせていただきながら、となります)。それにあわせてのタイトル変更です。

タイトル同様、内容にも少し広がりを持たせようかなどと考えています。というのも、医療問題を考えるにあたっても、「視野が狭くなってはいけないなあ」ということは常に心がけているからです。


例えば、周産期医療の問題を考える時、以前「周産期は妊産婦だけのものにあらず。」というエントリーでも書いたように、妊産婦についての医療体制を整えるだけでは足りません。多くの場合、新生児に対する医療も必要です。高齢出産の傾向が強まる中で、低月齢・低体重で産まれてくる赤ちゃんはこれからも増えていくことでしょう。大野病院事件での産科医逮捕~無罪確定までの世論の動き、妊産婦の救急搬送問題の頻出などから、産科についての問題意識はかなり高まっていますが、小児科へのクローズアップはいま一歩、出遅れている感があります。

しかし、母親としての立場からみれば、産科も小児科も、当然等しく大切です。というより、両者が揃って初めて「安心して子どもを産み、育てられる」ひとつの条件が満たされるのです。


ここで、私が“ひとつの条件”と書いたのには理由があります。


あたりまえですが、「安心して子どもを産み、育てられる」ために必要なのは、医療だけではありません。近年の少子化問題では特に、保育園の整備なども優先課題とされています。東京都東部の私の住む区では、このところ毎年1万人のペースで人口が増加しているそうです。とくに我が家の周り(沿岸部)は今もマンション建設ラッシュが続いていて、そこに住む若い世帯と低年齢の子どもが急増しているのです。小中学校の不足に、区はてんてこ舞いのようです。

何を隠そう私たち家族もその一員(私のところは主人の職場に近いというだけの理由なので、積極的にこの地区を希望していたわけではないのですが)です。お陰様で同年齢の子どもたちも多く、保育園もどんどん増えています。近くの大型スーパーは24時間開いていて、とても便利です。都心に近く、通勤も楽。若い世帯にそれなりに人気があるのはよくわかります。


しかし、下町的情緒の残る街で生まれ、武蔵野で育った私には、どうも違うのです。


先日、用があって、都心近くに残る商店街を通りました。ディスカウントストアや大型スーパーの進出で、世の中の多くの商店街は苦戦を強いられ、活気を失っていると聞きます。それでも私が通ったその街は、まだまだ頑張っていました。そして、私がある1軒のお店の前を通った時、とても懐かしいにおいがしました。洗剤や、ほうきや、バケツなどを売っている雑貨屋さんでした。「そういえば、小さい頃育った街では、お店の前を通るごとに、違う匂いがしたなあ!」と思い出したのです。雑貨屋さんのにおい、八百屋さんのにおい、魚屋さんのにおい、お肉屋さんのにおい・・・。スーパーで買い物をしている今では、忘れていたにおいです。


街にもにおいがあります。私の慣れ親しんだにおいは、土や緑のにおいなのです。今住んでいる街は、たくさん通るトラックの排気ガスのにおいがします。

街には色もあります。私の好きなのは、茶色や緑の入り混じった世界です。今住んでいる街は、高い建物に囲まれた灰色の世界です。(本当は海に近くて、そんなはずはないのですが、建物に阻まれて、それも気づかないのです。)


ここは、決して悪い街ではないはずです。大人にとっても、子育てにも、とても便利です。それでもこの無機質な空気を、ふと息苦しく感じる時があるのです。


私は本当にここで子育てをしていていいのかな、とよく思います。私の持っている緑や茶色の原風景を、私の子どもは持たずに大きくなるのでしょうか。それはなければないで、なんとも思わないものなのでしょう。でも、それでいいのか、私にはちょっと疑問です。何かが欠けてしまわないか、ちょっと不安です。


少子化の問題を考える時、そういう数値化できないことは、ないものとして扱われてしまいます。たしかに、多くの人のコンセンサスを得られる議論を進めるためには数字が有効であり、必要なことはわかります。そう思えば仕方がないです。でも、日本が将来、どういう社会になるかは、それを担っている子どもたちをどう育てるかで変わってくるに違いありません。そのために必要な「子育て環境」を、もっと広い視野でとらえ、「街づくり」を考えていかないといけないんじゃないかなあ、と思うのです。問題は、病院(医師)の数、学校(先生)の数、保育園の数、あるいは公園の数・・・そういったことだけではない、と思うのです。


・・・なんてことを、ときどき考えて生きています。もちろん、医療をはじめ、早急に解決すべき個々の問題が世の中にはいろいろあって、私のような漠然としたことを考えていてもあまり意味はないかもしれません。それでもたまに、日々の生活で考えたことなどもブログに交えていってみようかなと思っています。

改めまして、皆様よろしくお願いいたします。

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コメント

こんにちは。今日から心機一転ですね!!

私には、堀米がおっしゃることがよくわかります。私は今、東京の武蔵野で暮らしています。ここは東京にありながら、自治会や回覧板制度が残る古い町です。正直、引っ越してきた当初はめんどうだな、と思いました。

でも、子供が生まれてから考えが変わりました。私の子供は小さく生まれたため、本当に大変な時期がありました。そんな時、地域の温かな励ましに支えていただいたからです。もしも、同じ東京でも、今の住まいでなければ立ち直ることが出来なかったかもしれません。

子供と歩いていると、「大きくなったね!」とたくさんの住民の方に声をかけて頂きます。後から知りましたが、私達家族のことを、大勢の方が見守っていて下さったのです。

それでも今後、町は急速に高齢化がすすむでしょう。今まで若い私達が支えていただいたように、何かご恩返しができるといいな、と考えています。


堀米くんに日本の大統領になってほしいと思た

>一市民さま

私も実はかつて、10代~20代始めの頃は、自分の住む街にまったく関心がありませんでした。地域の集まりに親が参加するのを見て、わずらわしいなあと感じていただけでした。生まれてから何度か引越しを経験しましたが、今の場所に住んで初めて、「どこに住むか」ということについて考えさせられました。それまでは、「どこ」というこだわりは全くなかったのです。「家族のいるところが、私の街」と考えていただけでした。

やはり子どもの存在が大きいのでしょうね。子どもを持って初めて、自分が生まれ育った環境にあって、今の環境にないものに気づかされました。その大切さも。

一市民さんは、素敵な街にお住まいですね!ふと思ったのですが、私自身、住む場所に“有機的な要素”を求めるのは、やはり地域の中で生きる親の背中を見て育ったからなのかもしれません。私たちも、子どもに背中を見られています。一市民さんの「何かご恩返しを」という気持ちは、お子さんにも知らず知らずのうちに何かを伝えていくことでしょうね。

私が住む街には足りないものもたくさんありますが、私も今あるいいところをきちんと見つけて、大切にしていきたいと思います。感謝の気持ちを忘れてはいけないな、改めてそう思いました。そんな姿勢を子どもには見せていきたい、そう気づかせていただきました。

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