「医療志民の会」は明治維新を実現できるか。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月05日 15:48

今週土曜日(4月11日)、「医療志民の会」というのが発足するそうです。数日前の川口さんのエントリーでも紹介されていましたが、プレスリリースを読んで、設立の「背景趣旨」、その発想がなかなか面白いと思いました。


一節を引用してみたいと思います。

【 江戸から明治という時代にかけて、今を生きることで、未来を築き上げた日本人たちの大いなる挑戦がありました。人々は、政治文化経済の鎖国を飛び越え、「明治維新」という新たな時代の『物語』を数多く生み出しました。・・・

維新において役を演じた人びとの気持ちの根底には、身分差別によって「自己実現」が疎外されていることの不満があり、このシンプルで本質的な思いが、黒船来航という前代未聞の危機と重なり合うことで、社会を根底から変革する歴史の流れを生み出したと言えます。その維新から約150 年たった平成の時代。今また歴史は繰り返されるかのごとく、当時の幕藩体制と同様に、既存の社会制度は新たな状況に対応する能力を欠いており、未来への展望を切り拓けないままでいます。(中略)だからこそ、社会の根幹のひとつといえる医療制度の改革に全力で立ち向かっていかなければなりません。そこで、あらゆる分野の人びと連携することで「医療志民の会」を発足し、人びとが健康に恵まれ、安心して暮らせる医療制度の構築を目指して、社会に情報発信および政策提言していく“開かれた”「場」をつくり出します。この「場」から、時代を変革していくエネルギーが創発され、可能性へと開かれた未来が生み出されていくことを確信します。 】


ということで、突然、明治維新の話が出てくるのです。明治維新は確かに日本人自らが起こした歴史上最大の革命といってよいですから、それに習おうということなのでしょう。しかも、例えば、そもそも現在の医師法のルーツは明治7年制定の「医制」にあり、いくつかの条項については度重なる改定を経た今でも、その趣旨を変えないまま今日に至っているといいます。中にはその過程で図らずも曲解されてきたり、日々進展する医療の現状に既にそぐわなくなってしまったものも多くあります(例えば医師法21条も、福島県立大野病院事件の弁護側の最終弁論の中では「違憲」とまで主張されました)。

つまり、医療においては確かに今日まで、「明治維新」が持ち越されてきたといってもよいのです。


のみならず、現在の医療のおかれている状況を見ると、「明治維新」に習うという発想も、あながち大げさとも思えなくなってきます。


昨今の偏った医療過誤・医療事故報道と医療訴訟の頻発は、医師不足による過重労働で疲弊する現場の医師から、ぎりぎりのところで踏みとどまる意志さえ奪ってきました。こうして限界を超えた医師たちは次々と現場を去り、今日まで医療崩壊が加速してきました。しかし一方、これまで私もいくつかご紹介したように、市民による草の根レベルでの“医療を守る”とりくみが、全国各地で生まれ始めています。それはちょうど、日本各地で明治維新前夜の日本の姿に重なるところがあるのです。


もちろん、明治維新は「クーデターの要素が強く、西洋の市民革命とは性質を異にする」とも言われます。しかしそれでも、国家そのものの存亡が問われていた時代の要請として、支配の上下逆転により国のガバナンスの変更が行われたことに変わりはありません(医療に置き換えられそうですよね?)。しかも、明治維新の源流といわれる土佐には、郷士と支配階層の武士たちの間にさまざまな軋轢もあったといわれます。その点も、現場の医師たちと、厚労省や医師会幹部をはじめとする上層部との意見の相違を彷彿とさせます。また、明治維新を主導した薩摩藩と長州藩との間には、その進め方に意見の相違があり、摩擦が生じていたとも聞きます。おそらく「医療志民の会」でも、様々なバックグラウンドを持った人たちが集い、意見をぶつけ合わせることになるかと思います。そうしてやりあう中で、コンセンサスを形成していくことになるのでしょう。


ひとつだけ気になるとすれば、明治維新でも、それが真に市民レベルの革命ではなかったがゆえに、「自分たちにとっては幕府も明治新政府もたいして変わらないんじゃないか」と考えていた民衆が多かったということです。

それでも明治維新が成功したとされるのは、その後の自由民権運動などに理念が引き継がれ、意識改革と制度改革が同時に継続されていったからだそうです。


「医療志民の会」も、もしかしたら台風の目として、全国に生まれつつある市民レベルでの医療改革活動を束ね、大きなうねりをつくり出すことができるかもしれません。しかし、それがどこまで届くのか。おそらく現在すでに「コップの外から内を一生懸命見ようとしている人たち」を巻き込むことは、さほど難しくないはずです。しかし、「コップの外にいてどこか別の方向を見ている人たち」をどれだけ振り向かせることができるか、これは難題に違いありません。もちろん前者の協力だけでも、革命は形の上では達成可能かもしれませんし、それがないことには始まりません。が、明治維新が時間をかけて人々の意識まで変えていったように、じっくり腰をすえた長期的な取り組みがそれに続いたときに、本当に何かが変わるのかなあ、と思えてしまいます。


かくいう私も、日々の生活の中で自分に何が出来るのか、これを機に改めて考えねばなあ・・・などとちょっと焦っている、というのが正直なところです。

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