ウラの思惑が政策をおかしくする?

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月22日 17:28

昨日のニュース「自民党のPRビラで妊婦健診に火ダネ」を読んで、政府や与党の“常套手段”をひとつ知った思いです。今回はそのしっぺい返しを食らったのかもしれませんが、こういうことは、これに限ったことではないのでしょうね・・・。

まず、記事には「国はこれまで1人あたり特に大事な5回分にあたる約54000円を地方交付税で自治体に渡してきた。これが10年度までの時限措置で補助金と交付金が増額され・・・」とあります。


そういえば、私が妊娠中(およそ3年前)も、数回、東京都が発行している黄色や青の用紙を産科の窓口に持っていくと、5,000円程度の検診がタダで受けられました。2~3回だったような記憶がありますが、実際にはもっと多かったでしょうか?


ちなみに記事中の交付金とは、「地方交付税交付金」ということでよいでしょうか。これについては、「税収の地方格差を埋めるために、地方公共団体に実態にあわせて補填する税金」と義務教育時代に習った記憶があります。補助金とは、イコール「国庫支出金」?それは確か使い道を決めて地方公共団体に渡されるもので、そのために地方の代表者が予算編成の頃に霞ヶ関詣・永田町詣をするんですよね?


記事からすると、私が3年前に検診費用の補助を受けていたのは、地方交付税によるものだったんですね。それにしても、54000円分も補助があったでしょうか?私の記憶の5,000円×2~3回、というのは曖昧な過少評価だったとしても、そこまでの額ではなかったように思います・・・。それが政府・与党にしてみれば、「地方交付税」で交付することのからくり=「選挙民と窮乏する自治体との両方に良い顔をした」ということなんですね。


一方、今回問題になっているのは、「無料」という文言ですよね。つまり、記事によれば地方交付税だけでなく「補助金」も増額されたというわけですから、その分には必ず「妊婦検診のため」という“紐”がついていて、最低でも一定額は妊婦に還元されると。しかし地方交付税がいくら増額されても、その分は妊婦が恩恵を受けられるとは限りません。だから正しくは「割引」とか「値下げ」という言葉であるべきだったのでしょうか?(なんだかスーパーマーケットのセールみたいですが。)


それにしても、おかしいですよね。純粋に税収の格差を補填する目的で地方交付税が交付されるならいいとして、先に目的を議論して交付を決めているのに、最終的に渡すお金の名目を地方交付税にしてしまうなんて。それがまさに今回の事態を引き起こしていて、記事の言うところの「ツケ」なんだと思いますが。


妊婦にしてみたら、住む地域で検診費用の補助が受けられる額に差があるなんて、納得いきません。もちろんそもそも住民税も生活コストも住む場所によって違うわけで、みんな平等なんてことはありえません。しかしそれらは、自分たちも承知の上で選択したことです。一方、検診費用の負担減は、本来の目的から言ったら妊婦が分け隔てなく享受できるはずなのに、途中で上前をはねられているようなものです。多くの妊婦の人たちは、そういう理由で自分たちが実質的に損をしていることさえ、知らないんじゃないでしょうか。

政府・与党の小手先技が地域間にいらぬ不平等まで作っている、たいていの人は知らないところで割を食っている、という感じです。


ところで、地方格差といえば、昨日こんなニュースも見かけました。

「地方で不足、医師数格差4・6倍 財務省、診療報酬見直しも」
47NEWS 2009年4月21日

地方の医師不足を示す数字そのものは案の定というところですが、その解決に診療報酬を使うというのです。具体的にはどうやるんでしょう?患者の負担はどうなってくるんでしょうね。いずれにしても、都市部でも勤務医やコメディカルが足りていないせいで「受け入れ不能」問題が頻発していることは、もう多くの人が知るところです。診療報酬を「地方に手厚く配分する」という発想は、そうした都市部の実態を無視しているとしか思えません。目の前で起こっていることでなく、数字とにらめっこしてばかりいるお役人の姿が目に浮かびます。

それにしても、どうしても厚労省は、医療費を増やしたくないんですね。国民よりも財務省に視線が行っているということですか?


先の話にしても、この話にしても、安易だなあ、と思うと同時に、政府・与党が自分たちの都合で中途半端な理屈の施策をどんどん出している現実を見たようで、なんだかますます「振り回されたくないなあ」と思うばかりです。

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コメント

 やがては都道府県別の医師数に介入する政策が出るだろうということは、研修医の計画配置案が出た段階で充分予想できました。

 ただ、アルゴリズムを決定するための基礎的データが厚労省から非公表となっており、具体化されるのはもう少し先だろうと考えていました。また、財務省からの提案という形となったことも、少なからず意外でした。

 残念ながら、出てきた指数を見る限り、あまり肯定的評価ができるものになっていそうにありません。

 人口の大きい都道府県の数値が非常に高くついていますが、実態として都市部での医療崩壊も深刻で、この政策が実現され、効果が出てきた場合の国民の政府・与党に対する反応は、悲惨なものが予想できるからです。

 ただし、診療報酬を資源再配置のためのインセンティブに使うというのは、その効果という点で種種の補助金よりも効果が期待できます。

 金額にして一ケタから二ケタ違うからです。

 また、今の厚労省からの補助金では、ハコモノを立てたり特定の機材を買ったりはできますが、各医療機関が本当に必要としている医療機器の購入や人材の確保には使えないという欠点があります。現場の意見ではなく、厚労省の妄想を材料に使い道が事細かく指定されていて、流用が許されないからです。このシバリが診療報酬では緩くできますから、効果的な運用が行えます。

 ただ、それは同時に、投下された費用が目的の分野に使われずに終わるかも知れないということをも意味します。

 各医療機関の実績を事後的に評価して診療報酬に反映させるなどの新しい仕組みが必要です。

 さらに、事後的評価ができるのであれば、患者単価ではなく(つまり患者負担ではなく)、保険者から医療機関に対してその担う医療機能に対する直接支払いが行われることが可能となります。

 どうなるのかはわかりませんが、早急に医師を増やし、医療費全体を充分に増額した上で、アルゴリズムをより現実的なものに修正すれば、非常に良いものができあがることも期待できるだろうと思います。

中村先生

丁寧な考察をありがとうございます。要するに時期尚早というか、もっときちんと順を追って(医師と医療費全体の増加が先決)、きちんとデータをそろえた上で詳細な仕組みをつくるのであれば、発想自体は悪くないということですね。

>各医療機関の実績を事後的に評価して診療報酬に反映させるなどの新しい仕組みが必要です。

これまでの厚労省の施策は“やりっぱなし”で、事後的評価を仕組みにフィードバックさせる部分が欠けているというイメージがあります。上記の部分を徹底することで、良循環が生まれそうですね。

いずれにしても、補助金のバラマキでなく、診療報酬に手をつけたということだけでも、今後への可能性が見えるということなのでしょうか。

「地方で不足、医師数格差4・6倍 財務省、診療報酬見直しも」

この記事は、財務省の発想で、厚生省のものではありません。

「どうしても厚労省は、医療費を増やしたくないんですね。」という件は、少なくともこの記事については事実には反すると思います。むしろ財務省の力に厚労省が力及ばず医療費を増やせないということかもしれません。


行政の人間です。

パンダさんのご指摘とかぶりますが、お示しになった統計は財務省によるものです。
従って、この記事をもって
>それにしても、どうしても厚労省は、医療費を増やしたくないんですね。国民よりも財務省に視線が行っているということですか?
という感想は少々的が外れているかと考えます。

財務省が財政の健全化をトッププライオリティに据えるのはおかしなことではありません。むしろ、このケチさ具合こそが、彼らが国を支えている力です。
近年、彼らも、医療関係者であっても最近は経済的に合理的な行動をとる、ということを認識したでしょうし、医療関係者は国民の命を直接的に握っていますから、財政上の圧力が外れれば医療費は暴騰するのではないか、それは、経済が成長しない現代においては、国民に急激な負担を招くのではないか、という懸念ももっているでしょう。いずれも、彼らの立場に立てば理解可能です。

厚労省とて、改訂率は頭の上で決められていて、流動させられる部分を作るための削り取りとその移し替えがメインの仕事になっています。政策決定過程で意見具申は行うとしても、一旦政府の方針が決定したならばその枠内でベストを尽くすのが組織のルールであり、政府の決定もまた瑕疵のない手続きを経て行われたものであるならば、厚労省に文句を言われても困る、というのが立場でしょう。

オチになるようないい知恵もないので、一般論で恐縮ですが、相手を責めたり皮肉を言ったりするのではなく、相手の話を虚心坦懐に聞き、よくコミュニケーションし、ともに悩み、ともに協力する、という関係構築が必要だと思います。これは、お互いに。

>「地方で不足、医師数格差4・6倍 財務省、診療報酬見直しも」
47NEWS 2009年4月21日

この財政審の資料ですが、他でも話題になっているようですね。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/

同じ資料の別の部分に関心を当てた記事もありますね。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/21674.html

なんでも、「医療経済実態調査のデータを基に、病院勤務医の「年収」を1415万円、個人開業医の「収支差額」を2804万円と試算し、両者に2倍の開きがあるとした」のだそうですが、これって実態を反映しているのかな?
私の掴みの感覚では勤務医も開業医もせいぜいこの半額くらいで、実際はこんなに貰ってないように思えるのですが...

現場の先生の感覚と実際の統計をもとにした分析に開きがあることは、十分注目に値することだと思います。分析に何らかの欠陥がある可能性もありますから、それを精査する必要はありますし、一方で、EBM然り、統計は感覚を補正するツールであるという考え方に立てば、先生の感覚の外で何かが起きている(例えば、目立たずがっちり稼いでいる勤務医がいる、など)可能性もあります。

財務省の分析には含まれていなかったようですが、一般人の感覚からすれば、人頭で年収1400万ある集団の「忙しい」という訴えに対しては、例えば「一人あたりの人件費を半分にして人を2倍にすれば?」等感じるものだと思います。もちろん、医師の質の確保や特定の医師に24時間対応してもらいたいという患者さんの希望、医学部の定員数など、制約条件はあると思いますが、パイの大きさの話以外に、パイの配分の効率化・最適化に言及した提案にはあまり出会いませんので、指摘してみます。この分野で財務省としっかりと具体的な議論ができるようにすることが、パイの大きさの話をする前のステップだと思いますので。

行政の打ち出す施策の影響を即座にもろにこうむる一般国民納税者です。

>それにしても、どうしても厚労省は、医療費を増やしたくないんですね。国民よりも財務省に視線が行っているということですか?

という感想はじつにするどく的を射ていると感じましたね。

> 前々期高齢者さま
「的を射ている」というのはある意味そうかもしれません。

私が問題提起したかったのは、別の喩えで言うと
「テポドンの話題を出しているのに、アルカイダはけしからん
というのはジャーナリズムとして如何なものか」ということなのです。

中野稀哲さま

>パイの大きさの話以外に、パイの配分の効率化・最適化に言及した提案にはあまり出会いませんので、指摘してみます。この分野で財務省としっかりと具体的な議論ができるようにすることが、パイの大きさの話をする前のステップだと思いますので。

早合点なさらないように願います。

この財務省が作った財政審の資料で述べられている病院勤務医と診療所医師(開業医)の給与の比較では、2007年の医療経済実態調査と称して
 病院勤務医    年収1415万円(月額換算117.91万円)
 個人開業医   収支差額2804万円(月額換算233.67万円)
と示されているようですが、オリジナルを当たってみると病院勤務医については、p83の医師欄(2段目)の18年6月①+②部分である1,179,088円を使ったのかなと思われるのですが、同じ統計を使うのであれば個人開業医については、p85の医師欄①+②部分から、開業医(個人) →個人1,006,984円になろうかと思います。

おそらくは、p85の医師欄は、一般診療所で雇われている医師ということなのだと思いますが、共に労働者性のある医師同志を比較した場合には診療所に勤務する医師の方が、病院に勤務する医師よりも給与が安いというのが、この医療経済実態調査の読み方のように思います。(もっとも、この調査がどこまで実態に即しているのか、甚だ疑問ではあります。例えば多くは非常勤扱いであろう薄給のレジデントなどがきちんとわかるように調査設計を見直す方が誤解を与えず世の中のためになると思いますが。)

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1031-3k.pdf

財務省が敢えてこの数字を使わずに収支差額を持ち出しているところに何か意図というか考えでもあるのかなという気がしないでもありません。よくわかりませんが...

また、厚労省などの公的な統計にはおそらく使われていないと思いますが「開業医」という用語が曲者で、人によって思い描くイメージが
(1)個人で病院や診療所を経営し自らも診療に当たっている医師
(2)診療所で診療を行う医師
(3)上記(1)かつ(2)の医師
などのようにいくつかに分かれると思いますので、注意が必要です。

わざわざ収支差額を持ち出した背景には、個人事業主たる医師(診療所の開設者・経営者)の収入を収支差額をもって充てようとしているのかと思いますが、例えば勤務医を辞めて開業した医師の場合、診療所の建物や患者用の駐車場などの不動産、診療所の設備その他で、仮に初期投資が1億円かかったとして、それを全額金融機関から借り入れたとします。実際に何%の利率で貸してくれるのか知りませんが仮に5%としても利息だけで年に500万円、10%なら1000万円、これに元本を加えた額をこの収支差額の中から個人事業主たる開業医は支払わなければならないわけで、あたかも可処分所得であるかのような誤解を与えるこの財政審の資料のような記載で世の中をミスリードすることはいかがなものかと思います。

パンダさま
お喩えの意味がわかりません。

テポドン(北朝鮮):アルカイダ(アフガニスタン)
ジャーナリズム(三権分立国家内で国家権力行使の正当性を検証する第4権力)
と理解しておりましたが。

前々期高齢者 さま
>お喩えの意味がわかりません。
それは失敬。直接的な方が良いですね。
要は、この記事は、財務省が医療費の配分について検討を始めたという内容です。従って、この記事の時点では厚労省は関係ないので、それについて言及するのは的はずれではないかということです。

勿論、財務省は予算の調整権を持っているので、この検討の結果として、政府の予算配分の方針が決められ、それに基づいて医療費にどれだけの予算をかけるかということが決まり、予算の範囲内で具体的な方策をどうするかということは医療費を所管する厚労省が行うこととなるので、先の話としては通じるということになるのかもしれませんが、結果は同じだよというにしても、井戸端会議でなくジャーナリズムであるからには、丁寧に書く必要があるのではないかということです。

パンダさま

中野さまが「厚労省とて、改訂率は頭の上で決められていて、流動させられる部分を作るための削り取りとその移し替えがメインの仕事」とおっしゃられている部分のご説明だということはもとより承知いたしております。
私も堀米記者も今回財務省が乗り出したこと只一点について厚労省の行政姿勢に疑問を呈しているのではありません(と思います)。
私自身に関して言えば記者の冒頭のコメント「「自民党のPRビラで妊婦健診に火ダネ」を読んで、政府や与党の“常套手段”」と、つねづね厚労省のその仕事ぶりである、どこを削ってどこを流動させるかの「判断」そのもの(厚労省の行政手法=常套手段)に被医療者である国民のほうを見据えた判断がなかったこととを比較検討して、トータルに医療行政の所管責任官庁である厚労省の「メインの仕事」が国民のほうを向いていないで財務省のほうを向いていると、私も医療を受ける者の一人として思いました。記者のコメントに共感したわけです。

パンダさまや中野さまが行政の内部事情をご説明なさっていますが、その事情を詳しく正確に書くべきは業界内ジャーナリズムというべき限定的なものであり、ここのような広く一般国民が持つべきジャーナリズムとは性質を異にするいわば官報のごとき業界広報的記事になると思います。ロハスのブログには不要な記事ではないでしょうか。

(パンダさま)

>「どうしても厚労省は、医療費を増やしたくないんですね。」という件は、少なくともこの記事については事実には反すると思います。むしろ財務省の力に厚労省が力及ばず医療費を増やせないということかもしれません。

私もおそらくはその通りなのかなと思います。
であるなら厚労省は「医療費の総枠を増やせ、少なくとも自然増は確保せよ」と対外的にもっと発信して、財務や保険者、政治家と戦うべきなのでしょう。その姿勢が外から見えないから、国民の方を向かずに一緒になって医療費を削っていると批判され怒られるのではないかと思いますが。

前々期高齢者さま
>「厚労省の「メインの仕事」が国民のほうを向いていないで財務省のほうを向いている」
確かに結果的にはそうだと思います。しかし、それは例えば道路のように自分の自由になる財布を持っていれば抵抗もできるんでしょうが、それがない事には難しいように思います。国の仕組み自体を変えていかないといけないんでしょうね。

皆様

私の稚拙かつ大雑把な文章のために、いろいろとご指導いただいてしまいすみません。(多忙でブログからちょっと離れていた間に議論を進めていただいてしまったようです。)

このところ、医療費がどうやってつけられるか、その仕組みがだんだんと大まかにわかってきて、「そもそも何で厚労省は医療費を増やさないんだろう」という疑問に対して「国民の視点から見て増やす必要性がないからでなく、財務省との掛け合いに勝てないからなんだろう」と考えるようになってきました。そのことを書いてしまったのですが、直前に私が引用した記事は、確かに財務省の方針についてのものでしたので、すぐ後に厚労省についてのコメントを入れたのはまずかったと反省します。

もし本当に厚労省と財務省の力関係で医療費の問題が進展しない状況があるなら、財務省が診療報酬について口出ししてきたのを本当は上手に逆手に取れれば、医療費のアップにもつなげられるのかなあ、とも思います。それができないのが現実なのでしょうか・・・?

いずれにしましても、皆様ご指導ありがとうございました。私がそもそもわかっていなかった部分、表現が適切でなかった部分、またそれを加味したうえでご理解いただいた部分、いろいろありましたが、私としましては反省したり、理解を深めたり、自分の考えを整理しなおすことができたりと、大変勉強になりました。重ねて御礼申し上げます。

些事に属することでいろいろとお騒がせしてしまいましたが、本題についても最後に少しだけ述べさせてください。
この医師数をコントロールする政策については当然現実的な解決策のひとつの柱であろうと思っていました。厚労省主導でなく財務省主導というのは私的にはかなり論外の感を免れ得ませんが。
基本的にはここで最初にコメントされた中村先生の
>早急に医師を増やし、医療費全体を充分に増額した上で、アルゴリズムをより現実的なものに修正すれば、非常に良いものができあがることも期待できるだろうと思います。
に同感するものです。

>KHPNさま
御指摘のような視点が堀米様から出てくる日を待ちたいと思います。

>堀米さま他
何となく、厚労省が財務省と喧嘩をして勝てない、というイメージのようですが、そこまで単純な構造でもありません。
思考回路が組織拡大、予算拡大、権限拡大という単純な部品のみで構成され、財務省や他の省庁を言い負かして所管の業界へ金を引っ張ってくることが仕事、というステレオタイプが当てはまる省庁は、国家予算が右肩上がりだった時代を過ぎた今となってはあまり多くありません。
このことは、かつて見られた、国益より省益を優先する、というような仕事ぶりが厳しく戒められ、いわゆる「全体の奉仕者」であること、つまり、厚労省で言えば医療業界の人や今現在医療の世話になっている人だけでなく、それ以外の国民、例えば自分は健康なのに税金で他人の医療費を払わなければならない人たちについても気を配ることが求められてきたことによるのだと思います。
このことは、行政の現場の実態として、堀米さん含め、皆様にお伝えした方がよいと思い。

>それ以外の国民、例えば自分は健康なのに税金で他人の医療費を払わなければならない人たちについても気を配ることが求められてきた

中野さま
失礼ながら八方美人は誰にも喜ばれないし求められていないでしょう。国民や納税者は必要なところへ必要なだけ行政が届くことを望んでいると思いますが、そのための省庁別行政役割分担ではないのでしょうか。おっしゃっている内容は職業政治家の発言のように思えます。

>前々期高齢者さま

私の投稿は、単なる事実関係と世の中の流れに対する認識を述べたものであって、どちらかの考え方が絶対的に正しいとは考えていません。

おっしゃるような考え方もあるでしょう。個別省庁レベルでは「○○(医療とか、農業とか、建設とか)は大事だからもっと予算や組織定員を回せ」という声の主張に単純化させて、最後は財務省、総務省といったところが絶対的な力で裁定する、というスタイルも、バランスを取る意味ではあり得ると思います。実際に、かつてはこのスタイルも多かったようですし、表の技、裏の技含めて、各省庁にはその類のテクニックも蓄積されています。

ただ、公務員倫理の考え方、公務員制度の考え方(人材の流動化など)、昨今の財政状況に対する考え方等を見ると、そういうガツガツしたやり方はもはや時代遅れになったんだろうな、とも思います。

各省庁は一応財務省に要求はするが、青筋立てて怒鳴り散らすことはしない、政府や財務省は一応は厚労省の顔も立てる、業界団体は渋々ながらも結論を受け入れる、マスコミは立場上、一応批判はするが本気で叩きはしない、という予定調和が日本的かなとも思います。ただこれとて、根本にしっかりした信頼関係があり、かつお互いに協調するメリットが認識されている状況でなければ難しく、逆に例えば信頼・協調の関係を崩すことのデメリットが十分に認識されていなかったり、そのことで利益を得たりする向きがあれば成立しないでしょう。

(中野稀哲さま)

>ただ、公務員倫理の考え方、公務員制度の考え方(人材の流動化など)、昨今の財政状況に対する考え方等を見ると、そういうガツガツしたやり方はもはや時代遅れになったんだろうな、とも思います。

>各省庁は一応財務省に要求はするが、青筋立てて怒鳴り散らすことはしない、政府や財務省は一応は厚労省の顔も立てる(略)逆に例えば信頼・協調の関係を崩すことのデメリットが十分に認識されていなかったり、そのことで利益を得たりする向きがあれば成立しないでしょう。

まるで他人事のように仰るが、役人は評論家になってしまってはいけないし、そんな役人など不要です。

大事なことに関しては体を張って頑張ってくれなければ普段税金で役人を食わせている意味はないです。

例えば、今回の豚インフル対策でどういう効果的な対策を打つかという点などでその真価を問われていると思います。単に休日に会議を開けば良いというものではないです。

すぐには間に合わないワクチンなどを徒に追求するよりも、米やメキシコに調査団を派遣してケースのプロファイリングを行うとか、株を同定し遺伝子配列を突き止めて、まずはPCR検査のプローブを作る方向に手を打つとか、さすがプロは違うというようなお手並みを期待します。

Anonymous さま
>米やメキシコに調査団を派遣してケースのプロファイリングを行うとか、株を同定し遺伝子配列を突き止めて、まずはPCR検査のプローブを作る方向に手を打つ
横レスで失礼しますが、このことは日本が単独で行うべきことでしょうか?それとも世界で一致協力して対応すべきことなんでしょうか?
既にWHOでは対応を進めているとのことのようですし、しかもその責任者は日本人だそうです。
日本政府として行うべきことは、わが国に入れないように水際対策をしっかり行うということなのでは。

(皆様)

本論とはずれますがご容赦ください。興味深い話題なので。

(パンダさま)

>このことは日本が単独で行うべきことでしょうか?それとも世界で一致協力して対応すべきことなんでしょうか?

タイムリーに必要な手が打てるのならどちらの枠組みにと拘る必要はないように思いますが、いつものように世界を当てにして、結果的に日本が置いてけぼりにされないように、ここは単独でも出るぞというくらいの神経は尖らせておく方が良いと思います。

ただ、昔に比べて研究者同志(CDCと感染研)の繋がりが希薄になっていないかなとか、やたらに知的財産権をふりかざされて、肝心なときに病原体株を入手できないなどということに陥らなければ良いのですが。

>日本政府として行うべきことは、わが国に入れないように水際対策をしっかり行うということなのでは。

確かに。でもそれだけではないでしょう。

実体験によって人は物を考え新たな工夫を行うものなのでこの際、人手が足りなくなるであろう検疫所の現場任せにするのではなく、霞ヶ関の若手の役人などを支援のために投入して実際に検疫ブースに立ってもらったり、帰国者の対応に当たらせたりして、組織としての経験を積ませ、机上の空論ではない現実感のある対策が立てられるようトレーニングするのもアリかななどと思いますが。

(すいません。続けさせてもらいます。)
KHPNさま
>結果的に日本が置いてけぼりにされないように、ここは単独でも出るぞというくらいの神経は尖らせておく方が良い
確かにおっしゃる通りです。SARSが問題になった時は、WHOの世界的な協力体制の一環として力を果たしたほかに、わが国独自にいろいろ人を出して調べたりしたようです。今回もおそらく同じような行動を取っているんじゃないかと推測しますが、一種のインテリジェンスに係わる問題なので公にはなりにくいようです。

>堀米さん
>「そもそも何で厚労省は医療費を増やさないんだろう」という疑問に対して
>「国民の視点から見て増やす必要性がないからでなく、財務省との掛け合いに
>勝てないからなんだろう」と考えるようになってきました。

財務省とて、決して医療費を減らしたい訳ではないと思うのですね。

ただ、先立つものがないと言うだけの話だと思います。財務省は与えられた枠内で予算の使い道を決め、厚労省は厚労省に与えられた予算内で使うしかない訳です。医療費を増やそうと思うのであれば、その分税金を増やすことになりますが、国民が増税を受け入れるでしょうか。

医療費が増えないのは厚労省の問題でも財務省の問題でもなく、負担増を言い出さない政治家と、負担増に抵抗感を持つ国民の問題ではないでしょうか。


横レスですみません。

行政におられるという中野様のコメント、
「思考回路が組織拡大、予算拡大、権限拡大という単純な部品のみで構成され、財務省や他の省庁を言い負かして所管の業界へ金を引っ張ってくることが仕事、というステレオタイプが当てはまる省庁は、国家予算が右肩上がりだった時代を過ぎた今となってはあまり多くありません。」
「このことは、かつて見られた、国益より省益を優先する、というような仕事ぶりが厳しく戒められ、いわゆる「全体の奉仕者」であること、つまり、厚労省で言えば医療業界の人や今現在医療の世話になっている人だけでなく・・・」のところ、

元医師の感覚では「患者さんが求める安心な医療を行うためには、現場には金なく人なく箱モノだけは何とかある」状態だから、何とか必要な人手がほしい、患者さんに時間がないから無理、と言わなくて済むような、精神的な余裕がほしい、とずっと願ってきました。
ほとんどの国民が患者または患者の家族・友人です。家族からも医療側の暖かい対応、充分な医療を求められます。それに応えたくても医師も看護師も人手がなく、走り回って限界なので対応しきれないのです。

しかし、行政の方々の感覚では「医療費増大は、”省益”なんだ」と、深い溝を感じました。

かなり絶望したので、思わず書き込んでしまいました。すみません。

>元医師様

お返事が遅れてしまいました。

人が足りない、金が足りない・・・という状況は、医療に限らずあまたあります。というより、余ってます、という業界をあまり知りません。医療は医師数の制御と医業独占によって外からの参入が制限されていますから、人件費単価が高いのに人不足が嘆かれるという非典型的な状況にありますが、人件費単価が安くてさらに人不足、という業界も多くあります。

その中で、それぞれの省庁は「教育は国民全員が関わる大事だから、ちゃんと先生方が余裕を持って働けるように金をつけよう」「国防は大事だからちゃんとお金を使おう」「道路は」「農業は」「金融は」「ものづくりは」・・・と言いたがります。

元医師様は、省益、という言葉のイメージを若干狭くとらえていらっしゃるようです。

省益とは、何も利権の維持、権限の拡大、存在感の向上、といった腹黒役人の私利私欲だけではありません。担当する業界が楽になって発展してほしい、担当する現場の人々がニコニコしていてほしい、という願いも含めて、(酷なようですが)所詮は省の視点ということにはかわりはなく、それをタテにどの程度他を押しのけるか、国全体のことを思ってどの程度自重するかを、各省庁それぞれがちゃんと考える必要があると思っています。

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