チューリップの贈り主は |
|
投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2009年10月06日 23:38 |
日曜日の午後、
トントンが通う塾の説明会に
親子で参加しました。
休憩なし三時間のプログラム最後に、
塾経営者からお話がありました。
学習塾を始めた30年前、
今のように、当然に自家用車が
一家に複数台無い時代、
夜のお迎え(の主流)は自転車でした。
寒空の下、
お母さんと子どもが自転車を連ねて帰る背中に、
自分のやっている事が、これでいいのかと自問したこと、
時代は変わり、数年前の冬、
お迎えのお母さんが、
駐車場の車中で、
エンジンをかけたり切ったりしながら暖を取りつつ、
夜も更け、
ようやく補習を終えた子どもに
「お母さんも明日お勤めあるのよ」
と言ったこと、
そんな、親御さんの想いに、
少しは報いる結果が出せたでしょうか、
これで良かったでしょうかと、
いつも問いながら続けています。
親は、子どもの世話以外にもやることがいっぱいあって、
それは当然の役割で、
特に褒められも、ねぎらわれもせず、
それでも頑張れるのは、
君達(子ども)の人生の後半は
見届けられないことをわかっているからだよ。
人生は順送りだから・・
(自分達がいなくなった)後の可能性に託しているのだよ・・
(上手に再現できませんが、)
このような話を約10分間、
とつとつと話されました。
まわりの保護者席からは
啜り泣きの声が聞こえました。
気づいたときには私も
マスクの下に水溜りができました。
(零れ落ちずに顎で止まっていました。
マスクの威力大!!)
子育てに、
自己犠牲の感情を抱いた事も、
未来に可能性を託す思いも
強くはないので、
もしかしたら、
30年以上前、
どんなに遅い時間でも、
真っ暗の渡月橋を渡って
自転車でどこまでも迎えにきてくれた
母の姿を重ねて
涙が流れたのかもしれません。
そのお話の後、
スティーヴィー・ワンダーの
“We Are The World”をBGMに
生まれながらに目が見えなかった彼が、
どんな教育を受けて
才能を羽ばたかせたかという
DVD放映(10分)で終了となりました。
粋で演出上手な締めでした。
前方の生徒席に座っていたトントンに
『最後は良かったね』
と後で言ったら、
「そお?疲れて座ったまま寝てた」
との返事。
あっそー
ピンクのチューリップを贈ってくださった主は、
熱い理念を長年追求され続けている素敵な方でした。
(チューリップと一緒にいただいたお手紙に
認められた数々の改善策は、
即実行されたことは言うまでもありません)
この塾は、もともと病院勤務時代、
たいそうお世話になって米国メイヨークリニックに留学された
整形外科部長の小学生だったご子息が、帰国後、
国語が覚束なくて、
必死に塾探しをされて、
同学年のトントンにもご紹介いただき通い始めたのでした。
もう3年以上前の話ですが、
良いご縁をいただき、
トントン共々感謝しています。
<<前の記事:搬送・受入ルール策定開始まで一月弱、「国民が分かっていないとどうにもならない」 コメント欄 医療機器また欠品 腹水静脈シャント 先月から:次の記事>>