「医療は医師や患者の勝手になるものではない」 ─ 医療基本法シンポ コメント欄

投稿者: 新井裕充 | 投稿日時: 2009年10月20日 02:40

 日本医療政策機構の理事を務める埴岡健一氏らが推進する「医療基本法」について、読売新聞医療情報部長の田中秀一氏は、「医療は医師や患者の勝手になるものではなくて、公共財という視点で考える必要がある」などと力説している。「医療基本法」は、医師や患者に義務を課す強権的な法律なのだろうか。(新井裕充)

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コメント

「医療は医師や患者の勝手になるものではない」
そっくりそのまま返したい。
「医療は医療政策機構の勝手になるものではない!」

医師の計画配置

「欧米」と書かれていますが「欧州の一部」です。アメリカ合衆国には計画配置はありません。
つぎに欧州の計画配置ですが、GPと呼ばれる一般診療医に対してのみ計画配置があり、専門医に対して計画配置を行っている国はありません。ましてや小児科や産科など特定の診療科に医師の専門を強制している国はありません。
GPの計画配置は、全ての診療所が国営で、国営診療所に勤務する医師を一括募集して配置するタイプと、個人経営の診療所を開設する場所を規定するタイプに分かれます。前者のタイプでは、採用時或いは大学在籍時の成績で希望以外の赴任地に回されます。いずれの場合も、働く医師が納得できるように、医師の所得に関してはかなりの優遇がなされています。普通の技量で仕事をしていれば、患者の数にかかわらずかなり裕福に暮らせるようになっています。頑張って努力が認められれば勤務地を変えられる場合がほとんどです。そして最も重要なことは、これらの計画配置される医師は十分な経験を積んだ者であることです。決してこれまでにわが国で案が出されたような、一人前になるまでのローテーションとしての計画配置ではありません。若い医師はGPになるまでに地方での勤務が必須ですが、敬遠豊かな指導医師と一緒に勤務しています。ヨーロッパで馬鹿な計画配置をやれば、医師はすぐに隣国へ逃げ出してしまいますから、どんな政府も無謀な政策はとれません。1980年代にイギリスはもっとも無謀な政策をとりましたが、医師数の減少を招き、残ったGPは仕事をしなくても収入が保障されてますますひどい事態になりました。
計画配置を口にするのでしたら、良く考えてから発表してほしいものです。地方の住民も都会の住民と同じく、人並みの医療を求めています。地域で医療を行う=高度診断機器に頼らず、遠方の病院まで送る必要のない方、送るべき方、送っても死んでしまいそうな方を見分けること、なるべく地域で治療を完結させることは、非常に深く広範囲な知識を要求されます。そういう医師でないと一人で赴任させられません。そういう医師を赴任させるためには全国開業医の平均給与を大きく上回る給与を用意しなければ就職するはずはありません。

馬鹿な政策を実行しても医師が従うと思うとおおきな間違いでしょう。若干の条件さえ満たせば世界いたるところで医師は不足していますから。

 ナチが共産主義者を迫害したとき、私はそれに反対しなかった。
 私は共産主義者ではなかったから。
 その後、彼らはユダヤ人を迫害した。
 それでも私は黙っていた。ユダヤ人たちがいなくなっても別に困らなかったから。
 次に彼らは同性愛者を迫害した。
 私は口を閉じたままだった。私は同性愛者ではなかったから。

 そしてナチはついに教会を攻撃しはじめた。そして私は神父だった。
 私は抵抗しようとしたが、私のために弁護してくれる人はいなかった。
 もう誰もいなかった。
http://blog.m3.com/ishi-atama/20091020/1

計画配置は外国でもやっている,という大嘘に怒りを覚えます.

本当に実現したら,産科や救急に意に反してなれと言われたら医師自体をやめる人が続出しそうな気もします.

医療は医師や患者の勝手になるものではない?もちろん1マスコミの勝手になるものではありません。読売新聞の偉い方がプロ野球選手に対して「たかが選手が!」と言っておりましたが、そのような感覚で公共財である医療に対して物を言うのは、思い上がりも甚だしいと思います。

石さま

石をやめる必要はないと思います。
ただ働く場を日本ではなくすれば良いだけでOKです。
少し日常会話を練習すれば働く場はたくさんあります。


医師の応需義務
ところで記事の中の応需義務の解説はちょっと引っかかります。医師免許取得者だけに医業が許されているのだから、応需義務があるとするのはかなり無理があります。特別の免許が必要な職業は数多くありますが、応需義務が規定されている職業はほかにはありません。もちろん看護師にも応需義務はありません。これはもともと論理構成によって定められた法律ではなく、赤ひげ信仰による医師としてのあるべき論だからです。そのために当初罰則規定がありませんでした。その後一時設けられましたが、現在も罰則規定はありません。ですから応需義務を果たさなくても、訴えられるべき刑罰はありません。ただ、民事であるべき論に立脚して責任を問われる(賠償額に影響する)ことはありえるでしょう。ちなみにこれは医師法ですから、どこかのサイトで論じられたような、保険医療機関での話ではありません。また生命の危機を前提としていると考えるようになっているようで、明らかに見る必要のない、軽微な健康問題に対しては応需義務はないのではないかと思います。少なくても訴訟に持ち込むのは困難でしょう。軽微な健康問題の場合、「応需」してもらえないことによる遺失利益はあまりに少ないですから。

ここでいったんCMはいりまーす。

日本の病床数は多いのか

日本の病床数は他のOECD諸国に比べて人口対で多いとされている。おそらくこれを受けての話であろうと思われるが、社会的入院と言われる状況は医療だけの問題ではありません。
核家族化が進み、あるいは結婚(同棲を含む)自体が減少し、単身世帯が際立って多いことがわが国の特徴です。加えてわが国では離職・再就職というシステムがまだ十分に醸成されていませんので、介護による長期休業=社会で生きていくことが困難になる、という前提で話をする必要があります。
言い換えれば親族の誰かが長期療養を要する状態になったときに、その親族を支援する仕組みが非常に乏しく、介護保険が使えるようになったものの、基準年齢に達していない場合はどうしようもない事態が訪れることを認識していただく必要があります。そのような社会事情の中で医療が介護を肩代わりしてきたことは周知の事実であり、長期入院を避けるために介護保険が始まりました。しかしまだ十分な制度とはなっておりませんので、社会システムとしての長期入院への対応を考えずにベッドが多いというのは片手落ちでしょう。
そもそもその他の我が国が劣っている項目にはまったく手をつけずにベッド数だけを問題とするのは経済優先、国民を見ずに自己の懐だけを心配しているエコノミックアニマル(古い言葉ですね)と呼ばれても仕方ないと思います。

>エコノミックアニマル(古い言葉ですね)

古いようですが新しい言葉のうちです。もっと古くから、銭の亡者とか拝金主義とか我利我利亡者などと呼ばれていたもののカタカナ外来語への言い換えですから。

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