またまた患者死亡で医師逮捕

投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2010年02月06日 12:58

 以前、NHKの報道に関して当ブログのエントリとしました奈良県郡山市の山本病院事件ですが、詐欺罪で実刑判決を受け、控訴中である同院理事長が、元同院医師の一人と共に、業務上過失致死罪の疑いにて奈良県警察本部に逮捕されたそうです。

 医療行為に伴う業務上過失致死容疑での逮捕については、その必要性などについて議論のあるところです。そして、その容疑の内容は、全国の外科医全てに対して破壊的影響を与えるます。医療崩壊を一層進め、まもなく、大学病院ですら必要な手術が受けられなくなります。

奈良診療報酬詐欺:山本被告と医師逮捕、患者出血死関連で
【上野宏人、大森治幸】
毎日新聞 2010年2月6日 10時13分(最終更新 2月6日 12時33分)


 記事によると、「十分な技術や経験がなく、人的態勢も確保しないまま手術を行い死亡させた」ことが刑罰に値するという判断を奈良県警察本部が下したということのようです。

 容疑者の一人は別件での有罪判決を受け、また控訴中であるという事情はありますが、それと業過罪での逮捕は基本的に別問題です。

 また、医師として患者のために最善の努力をしたか否かという点については、特別な事情がなく、報道されている内容が事実であるとするなら、自分もまた医師の一人として思うところはあります。しかしながら、それとこれとはやはり後述するように別問題です。

 まずこの記事自体については、御本人達の意見を取材する事前の時間は「十分に」あったにも拘わらず、捜査情報に基づいた一方的取材で良しとされているところは問題です。「人的態勢の確保」が難しかったのかも知れませんが、取材不足で記事にしているのではないかと思います。取材してあるのであれば、にも拘わらず本人達の意見を記さないということは、やはり公平とは思いません。

 また、充分な医学「知識」を勉強しながら取材に当たっているのか、医療についての報道で「充分な経験」を持っているのか、専門家の発言を十二分に咀嚼できているのかどうか、やはり後述する理由で、いつもながら極めて疑わしいと考えています。

 密行性が求められる所であるにも拘わらず、捜査情報がマスコミに漏らされているところは、その意図と合わせて警察組織の問題でしょう。


 医療について言うなら、患者のために最善の態勢を整えることは理想ですが、現実には、慢性的な医師不足とキャッシュ不足という状況が続いています。外科医の人数は常に不足、輸血製剤は高額で返品が効かず、大学病院を含めて、多くの医療機関で不充分な体制の下で手術が行われています。医師を増やそうにも特に外科医の志望者は減少しており不可能、輸血も最小限度の確保に止め、出血してから追加を考えるというのが現場の現実です。そしてどんどん悪化しています。報道機関はその辺りの事情をどこまで知っているのでしょうか。

 態勢整備ができないなら他の医療機関に紹介すべきというのは正論ですが、紹介先だとて決して充分な体制にないとき、その主張は根拠がありません。その事情を知っているのであれば、記事はそれを度外視しています。

 また、医師免許を持つ者全てに対して、技術や経験の有無によって特定の医療行為を禁ずる法令はほとんどありません。専門医制度は、その枠内であれば一定の経験と技術の基準を要求していますが、その制度の外にいる医師に対しては皮肉なことに一切の制約を行うことができません。法に定められていない罪を裁く、言わば法外な判断がここにあります。

 これを裁くなら、まず法令に明文によって定める必要があるでしょう。

 そしてより深刻な問題として、今後、これを先例として警察組織と検察官が「十分な技術や経験がなく、人的態勢も確保しないまま手術を行い死亡させた」なら業務上過失致死と判断することが一般化されることは、充分に予想できます。さらにこの論理が逆転して、「患者死亡=不充分な知識と経験+不充分な人的態勢」となることもまた容易でしょう。

 裁判所の判断が待たれます。

 福島県立大野病院事件では多くの医療関係者による声が上がりましたが、今回は詐欺での有罪判決を受けて控訴中である被告人という特殊事情から、支援が拡がることは期待できません。

 それでもやはり、この事件の与える影響は甚だ深刻かつ大きいと言うべきでしょう。

 また、これを機に、医療専門職全体として、やはり倫理問題について自律する仕組みを進めていく必要があるのではないでしょうか。


…ただし、厚労省のための岡っ引きとして振る舞うのでは自律になりません。念のため。

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コメント

このニュースで「業務上過失致死罪を医療者に適用するのは謙抑的云々」というのは嘘だったのだ、とショックを受けています。
おっしゃる通り

>法に定められていない罪を裁く、言わば法外な判断

だと私も思います。
医療の問題について(半端な理解で)警察・検察が裁くのではなく、医療者内部で医療専門職を自律する制度が必要です。

 厚労省への医療安全調査委員会(仮称)の設置が先送りとなっている現在、厚労省・警察庁・法務省ともうひとつの4者間で結ばれたという合意は、現状ではまだ効力を持ちません。

 従って、「業務上過失致死罪を医療者に適用するのは謙抑的云々」というのは嘘ではなく、まだ効力を発していないと考えるべきと思います。

 さりながら、別の問題があります。

 警察幹部は全員国家公務員ではありますが、形式的には都道府県警察は各々が別組織であり、知事の指揮下にあります。たとえ総理大臣が何と言おうと、法令に明記されていない限り、警察の行動を直接掣肘することはできません。

 もっと言えば、現場の警察官には各々の正義があり、悪いことをした奴を罰することが仕事の一つです。極論すれば法律はその為の道具であるに過ぎません。良い上司とは、犯罪者に対して適切な法令の適用を考えてくれる人であると言い換えても良いでしょう。

 検察官や裁判官となると、さらに独立性が高くなりますので、明文によらずに個々の行動を縛り付けることはさらに難しく、ほぼ不可能になります。また公正な裁判制度を守るためには、彼等の高度の独立性は必要なことでもあります。

 未来永劫、三省間の合意は実効性を持たないだろうと個人的には考えています。これが有効に機能する条件を考えることは難しいのではないかと思います。

業務上過失致死罪で起訴できると検察は簡単に言いますが、業務上過失とはなにか、誰が過失と断定するのか、そもそも過失を罪に問うのは現実の世界に存在する物理的不可抗力の存在を認めないという非科学的で非理性的な宗教裁判だけが為せる業であり、政教分離を憲法に明記する(第二十条:最下段付記参照)わが国で検察行政が非合理的宗教的判断に基づいて人を起訴していかなる裁判を国に要請して刑罰を加えようというのでしょうか。
その観点から本事件での業務上過失致死罪起訴に関しては、
>法に定められていない罪を裁く、言わば法外な判断
であり、さらにそもそも業務上過失そのものが法理上の刑事犯罪として定まっていないと考えます。

付記:日本国憲法より
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 前々期高齢者 さま、こんにちは。

 業過の判断に恣意性が残らざるをえないというご指摘は、その通りと思います。特に今回の場合、宗教というよりも倫理の問題に警察がクビを突っ込んでいることは間違いないところと思います。

 本事案の難しさは、報道されている内容が事実であるとすれば、専門職倫理として多くの医師によって赦されざる行動があったのではないかと考えられるという辺りにあります。

 対して、警察から容疑として掲げられた行為自体は、微妙ながら決定的に倫理問題からかけ離れています。しかもこれを認めることは日本の医療体制にとってあまりにも過負荷となります。ほぼ全ての医療機関にとって外科手術が行えなくなる…より正確に言えば、外科手術を行って患者さんの死亡があれば直ちに業務上過失致死容疑での逮捕を覚悟しなければならない…というリスクが生じることになります。

 法令適用に無理があると考えます。…もちろん、自分は法曹資格を持っているわけではない素人であり、また、裁判所が警察からの請求通りに逮捕状を発行したところから見られるように、法律実務家の目から見れば、一定の正当性がある行為であることもまた承知しています。

例えばたまたま喧嘩になって成り行きのなかで素手で人を殴った場合、素手で怪我させないようにと思って手加減して殴っても相手が怪我をすれば傷害罪、相手が死んでしまえば殺人罪になります。
この事件でも検察は被疑者を業務上過失という定まっていない概念で起訴するより、殺人罪で起訴して刑事裁判で公開の審理を要請するほうが、公平で公正な裁判になるでしょう。

(付記:日本国憲法より
第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。)

前々期高齢者さんが殺人罪での起訴について書かれておられますが、その後の報道を受けて「業務上過失致死」ではなく「傷害致死」の方が適切ではないか、という意見があることを知りました。
http://bassisha.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-79ba.html

確かに、良性腫瘍に対して意図的に悪性腫瘍の治療を行った、という報道が真実であるのならば「業務上過失致死」という罪名が不適切に思えます。
「傷害致死」ならば納得できます。

診断業務にあたっている医師の一人として、日々業務上過失におびえながら仕事をしています。どんなに注意を払ったとしても人である限り過失を犯すものだと知っていますし、医師である私が「決して(医療)業務上の過失を犯さない」とはとても思えません。人一倍注意散漫で、そそっかしい性格でもありますし。だから「業務上過失○○」という罪名には敏感に反応してしまいます。大野病院事件が残したトラウマかもしれません。

>医療専門職全体として、やはり倫理問題について自律する仕組みを進めていく必要があるのではないでしょうか

大変重要なご指摘だと思います。問題の一つとして「専門職倫理として多くの医師によって赦されざる行動」が暗黙知に留まっていることがあるのではないでしょうか。
そこを法令や判例に委ねるのか、専門職集団として国民の理解を得ながら明確な方針を示していくのかということかもしれません。

タイトルの 『またまた患者死亡で医師逮捕』 が議論をおかしな方向に引っ張ってるような気がします。事実解明はまだ進行中ではありますが、この病院では利益優先の診療行為が日常的に行われていたように報道されています。マスコミと警察が結託していると単純に批判するのはいかがなものでしょう。医師としての善意に基づいた診療のなかで”たまたま”起きるような事故が、”またまた”起きてしまった、という話ではないですね。
例えば死因分析解明モデル事業にこの件を委ねたとしても、やはり警察に通報されるべき典型的なケースになると思われます。医療界の自律性では処理できない事件であり、大野事件など警察が過剰に関与した事例と一緒にすべきではないでしょう。この件に関係して倫理をいうのなら、犠牲者が出る前になぜこの病院の診療を止められなかったのか、という論点で考えてみてはどうでしょうか?

初めての手術はどのようにインフォームド・コンセントを取るべきか、外科学会や医師会は内規を決めるべきでしょう。
こんな手術を決行するのはごく一部の不心得者、と言ってしまえばそれまででしょうが、そう言っていては信頼は得られません。
どのぐらいひどい診療行為だったら通報すべきなのでしょう。
どこで一線をひくか。同業者の無能や詐欺行為を見て見ぬふりをしているのも同罪か。自浄作用が問われていると思います。非常に困難な、でも、患者の信頼を得るためにはきちんと対応すべき問題です。
(論点はずれますが点滴バーなるものも実在します・・・あろうことかメディアは点滴バーを取り上げはしても科学的に無批判。集団セラチア感染でも起こらない限り、OKらしい。)

>この件に関係して倫理をいうのなら、犠牲者が出る前になぜこの病院の診療を止められなかったのか、という論点で考えてみてはどうでしょうか?

後知恵はあとから湧くものです。この件では単に人の行為について「業務上過失致死」というものを取り上げているだけであり、行為でない倫理に言及して論点を拡散しても予防策が得られるような意義はまったくないでしょう。

たまたまCNNニュースを観ていたところマイケルジャクソン氏の主治医が起訴されたというニュースを知りました。
日本語では「過失致死」と訳されていましたが、画面ではinvoluntary manslaughterという法律用語が使われていました。
(付記:involuntaryの意味とは
>研究社 新英和中辞典

―【形】
1 (自分の意志からではなく)思わず知らずの,無意識な,何気なしの; 故意でない.
用例
an involuntary movement (驚いた時などの)無意識[反射的]な動作.
involuntary manslaughter 【法】 過失致死(罪).
2 不本意の,気の乗らない.
3 【解】 不随意の (⇔→voluntary).
用例
(引用終))

また主治医は起訴されても身柄は拘束されず医師として医業を続けることも禁じられませんが、裁判長から判決が出るまでは医師として睡眠薬を処方することを禁止されていました。

あの。
刑法上の規定では、業務上過失致死罪の「過失」は、日常語での 過失 の意味ではありません。

本件については、恣意性が強く、また、日常語としての故意が非常に濃厚に認められるが、証拠として立証できる内容自体が薄い故に「業務上過失致死罪」での立件を目指したものと思われます。他例とは明らかに異なります。

参考に以下をご覧ください。
> http://d.hatena.ne.jp/DrPooh/20100208/1265579286
過失については、ここも参考になります。
> http://d.hatena.ne.jp/hascup_jr/20100211#c1265862399

 luckdragon2009 様、こんにちは。

 お時間ありましたら、こちらも御覧下さい。

2009. 5. 20
検察官は医療事故調査に何を見るか?
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200905/510704.html

 なお、アクセスには無料の読者登録が必要であったかと思います。

情報ありがとうございます。
私はこちらで読みました。
> http://medg.jp/mt/2009/05/-vol-108-mric.html

過失の英訳を調べてみました。

1.研究社 新和英中辞典

〈失策〉 a fault; 〈誤り〉 a mistake; 《fml》 an error; a blunder; 〈不慮の事〉 an accident; 〈怠慢〉 negligence
[N16-A26B]過失を犯す blunder; 《fml》 commit an error; make a mistake [a blunder]
[N16-A26B]過失を認める admit one's fault
[N16-A26B]業務上過失 negligence (in the performance of one's duties); professional negligence.
用例
それは過失でなく, 故意にしたことである. It was not done by accident, but by design.
出火の原因は過失か放火か. Was the fire accidental or deliberate?
過失傷害罪 accidental [unintentional] infliction of injury
過失致死罪 (a) homicide by misadventure; manslaughter.


(ちなみに、Manslaughter 故殺 {人を死に至らしめる罪の一類型}
>http://en.wikipedia.org/wiki/Manslaughter)

2.翻訳blog>>http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/54827890によると、業務上過失致死の英訳として以下は間違いだそうです。
業務上過失致死 【法】 professional negligence resulting in death   研究社英和大辞典

そこを読むと日本の刑法用語である業務上過失致死の業務とは、道交法上の運転を業務とみなしたことがそもそものはじまりであるように読めます。professionalが間違い英訳となる理由として揚げてありますから。

 アメリカの刑法は日本とその体系が異なります。

 特にmanslaughterやgross negligenceの辺りは、聞くところによると、日本の法制度と微妙ながら決定的なズレがあるようです。

…これ以上は刑事法の国際比較をご専門とする方々でないと、正確な議論は無理だろうと思いますので、ご容赦願います。

>刑事法の国際比較
は専門家にしかできないものではありません。どの国の法も不完全な存在である人間が作ったものであることに変わりはないからです。
私は日本の刑事法の業務上過失の「業務」の定義はアメリカに比べ非常に出来の悪い劣悪な法理に基づいているので、実際のところ比較することさえ恥ずかしいと感じています。

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