医学生さんが見学に来てくれました② |
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投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2011年09月30日 15:18 |
東大医学部5年生の二宮英樹君が、私の仕事を見学に来てくれた話の続きです。
遠路東京から来る彼に、「学生さん大変やから、どうぞ泊まっていってください」と声をかけてくださったのが、日頃取材でお世話になっている、介護者の集い場「つどい場さくらちゃん」を主宰する丸尾多重子さん。
彼は「さくらちゃん」に宿泊し、30日には丸尾さんと私からの歓迎の場というか未来の医師への希望を託す(ぶつける)場が開かれたが、関西女性のトークに圧倒させてしまったように思う。
それについての彼のレポートがこちら。
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◆30日(火)@西宮の串カツのお店 with熊田さん、丸さん(丸尾さんのこと)
①熊田さん「医療の取材でも、その人の生活や家族のことを知らないと、望むような取材はできない。むしろそういったことをして初めて本質を見ることができる。」
「医療にどこまで求めるか?」ということをテーマに掲げている熊田さんにとって、医療や病気というその人の一部だけを見るだけではなく、その人全体を包括的に見ることは必須であろう。
②丸さん「行動が一番大事。行動して初めて、色んな出会いがある。そしてその出会いが後々生きてくる。」
おっしゃる通り。今回僕はactionを起こしてみて、たった3泊だったけど色んな出会い、貴重な経験を得ることができた。実に有意義な4日間だった。
③丸さん「今は医療の方が介護より上。医療は天上人。しかし、医療は必ずその後の生活や介護に関わってくる。もっと医療と介護が対等になるべき。」
人はどうしても分かりやすいものや派手なことが好きで、泥臭いものよりも大きく優先させてしまいがちだ。だからバランスに欠け、様々な問題が生じている。いい加減今まで目を背け続けたことにも、ちゃんと向き合っていかなければならない。
④丸さん「食が一番大事。介護者もいい食事をとっているかどうかでパワーが違ってくる。嚥下障害者でも、美味しい串カツだったらペロリ。普段は熱いものが食べれないのに、串カツだったら熱くてもペロリと食べる。」
熊田さん「水を誤嚥するような人でも、ビールは普通に飲めたりする。」
へぇー。
⑤丸さん「今の病院は色んな科に分かれている。総合病院と言いながら色んな科に分かれていて、専門外はどこどこの科に行けと言われる。それはおかしい。もっと人間の体全体を見て欲しい。そもそも患者は、初めどこの科に行ったらいいのかわからない。科を分けるのは完全に医師側の都合で、患者はそんなこと望んでいない。」
確かに。今のような状況で総合病院を名乗るのは詐欺だな。
⑥丸さん「親は介護される側になっても、子どもを成長させる。」
へぇー。
⑦丸さん「介護とは、普段自分とは全く関係のない、遠くにあるもの。まだ病気は違う。みなある程度は、いつか来ると意識している。まさか自分が介護するとは、介護されるとは、みんな思っていない。それが突然やってくる。」
確かに。だからこそ一般市民はなかなか介護に関心を持たないのだろう。
⑧丸さん「人が病院で医者に見せる顔は本当の顔じゃない。よそ行きの顔だ。なんか言われても、『はい。大丈夫です。』と。」
僕にとってこのことはほとんど意識したことがなく、ハッとさせられた。
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31日、私の方からメディアについての話をさせて頂いた。
せっかく東京から来てもらっているのだから、一般的に語られていないようなことを伝えようと思った。中には、私が弊社代表の川口から学んだ内容も多く入っていた。話す時間が短く、裏話が多かったので、ちょっと偏ってしまったかとも反省。でもメディア論なんかの講義では絶対に聞けない話だと思うので、一般的な話にある裏の面としてバランスを持って聞いてもらえればと思った。
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◆31日(水)@熊田さんの仕事場with熊田さん
①熊田さん「メディアには必ずスポンサーというものがいて、資本主義のシステムの一つである。そのスポンサーが考えていることは一つ。メディアを使って行動変容を起こすということである。」
話を聞いていて、メディアは自分が思っていたより、ずっぷりと資本主義につかっているんだなと思った。
②熊田さん「今はマスメディアになっている日経もそもそも業界紙。経団連など経済、金融、工業などの分野の人たちが、自分達の意見を言うために作ったメディアであることが成り立ち。医療崩壊だと散々騒がれても、結局医師は国が作り維持している税金と保険料(または自費診療)から収入を得られる仕組みの中にいるため、食いはぐれることはない。患者さんが困るだけ。しかし、例えば工業分野にいる人達なら、自分達の業界がつぶれると食いはぐれる。危機感が違う。だから、自分達の主張をうまく伝える手段として、自ら資金投入してメディアを作り、成長させ、維持している」
言われてみれば確かにそうだ。メディアには必ずスポンサーがいる以上、公共性を実現するのは非常に難しい。
③熊田さん「メディアには独自の調査能力というものがない。特にコストカットが行われるようになった今、地方の記者は悲惨(会社による)で、あらゆる分野を一人で担当し、常に締切に追われている。ストレートニュースの場合、自分の書く記事について中身に踏み込んで検証する時間はない」
なるほど。
④熊田さん「ストレートニュースは多くの場合誰かからの横流しである。そして記者、あるいはマスメディアは、必ず責任回避する。『厚労省によると…』『県によると…』『警察庁の○○によると…』。検証する時間がないということもあり、情報について責任をとらない体質」
言われてみれば確かに。この前のとある記者会見で朝日新聞社の記者が、『ある週刊誌では○○のように言われていますが、本当ですか?』と質問。質問された人:『どこの週刊誌がそんな記事を書いているんだ?(怒)』。記者:『週刊朝日です。』って笑い話もあった。確かに自分の言葉に責任を持つというのは、非常に勇気のいることで、僕もあまりfacebook、mixi等で自分の意見はあまり書かない。書く時は、かなり吟味した上で発信している。ましてメディアとして情報や意見を発するのは、非常に勇気がいる。どうしても人間楽な方、楽な方に流れてしまうのだろう。情報を発する時に「○○さん曰く、」という形をとるのはまだしも、自分の意見、主張に代弁者をたてるのは本当にあり得ない。
⑤熊田さん「政治家、官僚、警察、業界団体などにコネクションを持ち、横流しを元に記事を大量生産できる記者が、組織において有能な記者とされ、出世していってしまう。」
メディアに関わらず、多くの組織が陥ってしまう罠だろう。
⑥熊田さん「(上記のような状況下で)思いのある記者は皆ジレンマに悩み、苦しんでいる。辞めていく人も多い。時間のない中、いい記事を書こうと一生懸命な記者も多い」
このことを聞くと、まだ救われる。メディアの世界にも、光は残っているのだ。
⑦熊田さん「政治家や芸能人など著名人はたたけばホコリが出てくることが多い。火のないところに周りが煙を立ててしまうこともできる。突然の起訴やスキャンダルなどには、何かあることが多い。メディアがひたすらバッシングを続けることで他の重要な情報を隠したり、その人を社会的に抹殺したかったりという動機があることが多い。情報をみる時、なぜこの情報が今流れるのか?誰が一番得しているのか?を考えるのが大事」
なるほど。これからはこのことをもっと意識した上で、情報をみてみよう。今まで見えてこなかったことが見えるかもしれない。
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午後からは、在宅往診の現場を取材。私は「医療にどこまで求めるか」をテーマに、現在は在宅医療、特に胃ろうの患者さんについて取材と勉強を進めている。長尾クリニックの長尾和宏院長先生が往診に行く際に同行させていただき、ご家族のお話を伺った。その後、午後からの診察も見学させていただく。ちなみに、下の感想で彼は「全員胃ろう賛成」と書いているが、私自身はグレーな方もいるように感じられ、これは今後取材を進めようと思っている部分。
14時に往診開始、車と徒歩での移動。
◆定期的な往診11件(うち、胃ろうをされている患者さん5件)
◆しばらく前にお亡くなりになった患者さんのご自宅を通った際、ご家族にお会いしたため仏前での合掌1件、
◆往診中に患者さんから電話「転倒した」と。そのまま訪問1件、
◆往診した際、ご家族から「息子の体調が悪いので診てほしい」と言われて診る1件
18時にクリニック到着、車を降りて外来診察室の椅子に座るまでの所要時間2分。20時10分に外来終了。患者数20人、認知症、がん、リウマチ、糖尿病、うつ、禁煙相談、依存症、精神疾患、抗酸球性胃腸炎、腎不全、甲状腺機能亢進症、C型肝炎、けが・・・など。中には往診中にイレギュラーに診た患者さんの息子さんも詳しく診察を受けるために来ていた。患者の介護者が来ている場合には、介護者の体調もチェック。「今日の患者さんは難しいケースの方は少なく、他の日に比べてかなり空いていて余裕があった」(長尾医師)。その後書類整理、日刊紙4紙(夕刊含む)すべてに目を通してめぼしいものは切り抜き。
20時10分、再び往診開始。普段はそのまま夜中までの往診となるが、この日は私たちがいたため途中で夕食とを取りお話を聞かせて頂いた。
ちなみにこの時往診に行った高齢の患者さん夫婦は、複数の医療機関にかかっていたため何種類もの薬をもらっており、自分で管理できていなかった。飲まれないまま残っている多量の薬。長尾医師は対策を考えるとのこと。
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◆31日(水)在宅医療~外来~晩ご飯@尼崎 with熊田さん、長尾先生
まず、5人の胃ろうの患者宅をまわった。最初は48歳男性が介護している80歳の母。当然彼は仕事をしておらず、母の年金暮らし。長屋に暮らしていて、なんというかすごく独特な雰囲気を発している家、及び息子だった。次に75歳の女性が介護している101歳の母。いわゆる老老介護。食べれるし呼吸もできるのに、胃ろうをつけ気管切開をしている。手で外すのを防ぐために両手はしばってある。介護者は胃ろうの交換の時には、「失敗して死んだら訴える。」と言うらしい。次は81歳の男性が介護している同い年の奥さん。6年前まで知識0の夫が、医師やヘルパーの手を一切借りず一人でずっと介護していたらしい。さすがに心配になって、長尾クリニックに夫がかけこんできて、それ以来在宅医療を行っているとのこと。少しの間しか家に滞在しなかったが、十分夫が奥さんのことを愛しているのが伝わってきた。その次は娘が介護するお母さん。夜から朝9時まで吉野家で働いて、生活費、医療費を稼いでいる。絶対に生活保護を受けず、自分の稼ぎで生きているとのこと。最後は姉が介護している、55歳くらいの男性。彼は昔2年弱胃ろうをしていたが、口から食べれるようになって、今では胃ろうを卒業している。
このように胃ろうの患者を5人見たが、全員胃ろう賛成派だった。
その後も在宅訪問を続け、終わった後はクリニックで外来を見学した。長尾先生の外来の特徴は、何といっても患者さんの疾患が非常に多岐に渡っていたことだ。認知症、肺癌、リウマチ、骨折?、抗酸球性胃腸炎、うつ、腎不全、甲状腺機能亢進症、C型肝炎、脱毛…。町医者だとはいっても、これほど広い範囲の疾患をカバーしている医者はほとんどいないのではないだろうか。本当に凄い。また、長尾先生が疾患や臓器ではなく、人間を診ているということがよくわかった。総合病院であれば、自分の専門外の疾患はすぐ安易に「どこの科に行ってください。」と医療を外注するが、長尾先生はできるだけ自分の中で医療を完結している。他科に紹介する時もその患者のこと、疾患のことを把握した上で、より専門的な治療を外注しているのだと思われる。
以下は長尾先生の言葉(要点を抜粋)。
①長尾先生「医療にもホームとアウェイがある。いわゆる現在の普通の医療、つまり病院内での医療が、ホームでの医療である。アウェイの医療とは、在宅診療のこと。今こういったアウェイの医療は新しいと言われているが、全くの逆で、医療の原点とはアウェイである。昔に今のような病院、クリニックなんてあったはずがない。」
なるほど。
②長尾先生「医療ってのは泥臭いものなんだ。みんな遺伝子だとか派手な方にばかり目が行くが、こういう泥臭いことこそ大切にしなきゃいけない。」
③長尾先生「人間は20歳で完成する。医者も2年で完成する。」
④長尾先生「病院側はもっと長く入院しろと言っているが、自分が患者を説得して退院させ、在宅で診ることにした。彼らはいわば脱北をしたわけで、自分にはその面倒をみる責任が発生する。そして脱北をした患者はすごく不安。入院してる時でさえ不安なのに、退院して家にいる時はなおさら。だから、安心を与えるために在宅訪問をするんだ。この安心を与えることが重要。」
◆1日(木)@熊田さんの仕事場with熊田さん
①熊田さん「記者の本分は一般市民の生の声を聞くことだと考えている。中央(霞が関、永田町)にいると現場の声がない。そして権力と金が渦巻く中で官僚も政治家も記者もみんな感覚が鈍麻すると思う。自分たちが偉いのだと勘違いしてしまう人は多い」
②熊田さん&丸さん&長尾先生「医療はone of themに過ぎない。医療も生活の一部。そして高齢者ともなれば、多くの病気を抱えている。100個ある病気の全てを治す必要はない。その人が生活の中で何をしたいかということを考え、それを邪魔する病気を治すのが大事なんだ。優先順位の高い3つを治せば十分。そもそも、どんな病気を持っていようとも本人が笑って生きていたらいいじゃん。」
◆今回、見学しながら考えたこと
①“愛”の形
長尾先生の在宅医療を見たわけだが、その中でもある老夫婦のことが一番印象的だった。81歳の男性が、同い年の奥さんを介護している。彼は6年前まで、一切医師やヘルパーの手を借りず、知識も0の状態でずっと奥さんを介護し続けていた。さすがに不安に思ったのか、ある日突然長尾クリニックに駆け込んできたとのこと。この話を聞いてから、老夫婦の入る家に入った。奥さんは認知症末期で、話しかけてもほとんど反応が無い。胃ろうもしている。事前に聞いていたエピソードの効果もあいまって、奥さんを見守るおじいさんの顔が本当に優しくみえた。以前から薄々感じていたのだが、老夫婦の“愛”というものは美しい。血もつながっておらず、元々は全くの他人であるはずなのに。恐らく“初恋”に似た純粋さを持っているのだろう。“初恋”に浮かれる子供たちも、時が経つにつれ、その上に余計なものを修飾させていく。性欲。自己顕示欲。将来の保身。打算。しかしさらに時が経つと、その修飾物も削ぎ落とされていき、再び純粋な“愛”へと昇華するのであろう。そこに無駄なもの、余計なものはない。故にただただ純粋で、非常に強固である。その愛を目にするだけで、心が打ち震わされ、キュッと苦しくなる。正直コレが手に入るのであれば、全てを投げだしもいい。と思ってしまうほどである。
②あらゆる視点について考察した上で、自分の考えを持つ。
keyとなるのは“想像力”である。例えば僕が医療について考える時、直接的には“医学生(医師)”、“東大生(東大卒)”、“男”といった視点からしか考えることができない。そのような見方では物事の本質を見ることができるはずもない。自分以外の様々な視点を加えることによって初めて、本質に近づき、より高度な解に近づくことができる。というのは当たり前のことであるが、今回そのことの難しさを痛感することができた。
以下は『つどい場 さくらちゃん』にいた介護者の方がしてくれた話である。「介護施設において、着替えの時シャツをズボンの中に入れるだの入れないだので施設利用者とヘルパーがもめて、怒った利用者がヘルパーのことを噛んだ。施設側は暴力沙汰だと大騒ぎして、この人は病気でおかしくなっているから施設利用時は薬を使って大人しくすることを要求してくる。だけど、ちょっとした癇癪持ちくらい健常の人にもいるわけで、彼の場合は体が不自由で顔と口以外他に自由に動かせるところがないから噛んだだけなんだ。介護施設の人も、もっと利用者一人一人を見て、性格や個性を把握した上で介助してほしい。薬でおとなしくするなんていうのは、完全に施設側の都合なんだ。」
次は上にも書いた丸さんの話。「今の病院は色んな科に分かれている。総合病院と言いながら色んな科に分かれていて、専門外はどこどこの科に行けと言われる。それはおかしい。もっと人間の体全体を見て欲しい。そもそも患者は、初めどこの科に行ったらいいのかわからない。科を分けるのは完全に医師側の都合で、患者はそんなこと望んでいない。」上記のような意見に対して介護施設側からは「ヘルパーも安月給の中、人手も足りずギリギリの状況下で仕事をしていて、とても一人一人に合わせた介護を提供できない。」という意見や、医師からは「医学がこれほどまでに発展した現在では、一人で多くの科をカバーするなどとても不可能だ。」「一つの疾患を治すという観点では、分業制にした方が効率がいいし、医療のレベルも上がる。」といった意見が上がりそうだ。大事なのは自分の中で、あるいは医療者の中で、あるいは日本国の中で、違った視点からの意見を徹底的に議論させ、1つの理想形や、意見を形作っていくことである。僕はこれから医師になり、介護施設利用者側の声や患者の声を聞く機会があまりなくなって、どうしても視点が偏ってしまうであろうということを今回痛感できた。意識していないと、どんどんそういった声は頭の片隅に追いやられていく。既にまだ医学生に過ぎない自分も、十分医師側の考えに偏ってきつつあったのだから。
③謙虚さについて
最近大人の人に会うことが増えているのだが、この人好きだなぁとかすごいなぁと思える人は、以下の3パターンに分けることができる。A.非常に能力が高い人、頭がいい人、B.強固な信念を貫いている人、C.謙虚で、人の話を聞くことができる人。もちろんこの3つは強い相関関係を持っているのだが、社会的に成功していて非常に能力が高い人であっても、こいつ性根腐ってるなと思うこともあるし、まだ成功はしていないけど自分の信念を貫いている人もいる。現時点ではA、Bがまだまだな人でも、謙虚な人は僕にとって魅力的に思える。好きだ。一方、本当に頭が良くて社会的にも成功していて、立派な信念を貫いていても、お世辞にも人の意見を聞くとは思えない人もいる。
今回色々な人と話して、自分も謙虚さをもっともっと大事にしていなかければと思った。大人になっても、決して頑固になり思考が凝り固まってしまうことなく、人の意見を聞くことのできる柔軟な頭を持った人が多くいた。これからどんなに成長しても、『何事からも学ぶ』、『全ての人から学ぶ』という感覚を大切にしていこう。
④その人のルーツ
先ほどの話とも関係しているのだが、僕にとって『すごい人』=『超えなければいけない人』である。これは特に今年から、自分に言い聞かせている。さて、今回関西に行って確信できたことがある。自分が出会った『すごい人』を越えていく上でその人の“ルーツ”を知ることは、その人の“今”を知ること以上に有用で大事であるということだ。「その人が持つ強みはどのようにして形成されたのか?」「その人自身を形作っているものとは一体何なのか?」より具体的に言えば、「親の職業は何なのか?」「子供(小学生)くらいの頃何をして過ごしていたのか?」「どういう中学、高校に行っていたのか?」「どんな部活をしていたのか?」「大学生の時どんな経験をしていたのか?」といった質問たちである。これらを知っていくことにより、その人の強みについてもより深くまで知ることができる。“ルーツ”を知った上でその人の“今”を見つめると、『人生』について哲学的な教訓も見えてくる。
今まで僕が出会った『すごい人』の“ルーツ”と“今”から導けたことは以下の3つである。一つめ。彼らが持つ満ち溢れたエネルギーの源泉は、不条理に対する“怒り”である。その“怒り”は②で言及した“想像力”が強ければ強いほど、大きくなり、凄まじい原動力を持つ。二つめ。一つのことを徹底してやり抜くと、それが突き抜けた時に外の世界が開ける。三つめ。思考は現実化する。
以上のことは、自分がその人を越える上で非常に参考になるのだ。なお、後の二つについてはこれからさらに詳しく考察してみる。
⑤一つのことを徹底してやり抜くと、それが突き抜けた時に外の世界が開ける。
これが今回関西に行って得たもの、考察の中で、2番目に素晴らしい収穫物である。今までもこのようなことは感じていたし、実体験にもこのようなことがあったのだが、今回より具体的なイメージができ、さらなる確信を得ることができたのだ。
どういうことか説明する。世の中の事象はある軸を設定するといくつかの階層に分けて考えることができる。ある階層の中で頑張り続け自らの理想を実現しようとしても、その階層が他の階層とつながっている以上、その階層の中ではどうしようもないという段階に達してしまう。例えば、[(とある)医師による患者の治療(末端、現場)]‐[病院]‐[(いくつかの病院に支えられた)地域(町とか市)]‐[国]という連続階層について考えてみる。ある医者が一生懸命病院で患者のために働いていたとする。彼が自分の技術を神業といえる域まで高めたとしても、まだ最高の医療を提供できるとは限らない。医療とは医師一人が提供するものではなく、看護師を始めとする医療従事者と協力して提供するものだからだ。そのため、スタッフの質が低ければ、当然自分が提供する医療の質も下がる。また、病院の施設、検査機器等にも自分の提供する医療の質は左右される。つまり[(とある)医師による患者の治療(末端、現場)]という階層で自分の理想を追求しようとすれば、その階層において一定の段階に達すると必然的に、その階層と連続した[病院]という階層の問題にも着手しなければいけないのである。そしてその[病院]という階層において様々な試みをして、レベルをあげていけば、さらにその上の[(いくつかの病院に支えられた)地域(町とか市)]という階層に達する。医療を行う以上、近隣の病院との連携は必須だからだ。連携以前にも、非常にレベルの低い病院があれば、その地域の患者は質の低い医療を受けて苦しんでしまう。今度はその階層で理想を追求しようとしても、そのうち医療に関する法律とか診療報酬点数といった[国]の階層の問題に到達してしまう。もちろん、[(とある)医師による患者の治療(末端、現場)]において理想を追求しているうちに、いきなり[国]という階層での変革をしなければどうしよもない問題にたどり着くこともある。いずれにせよ、世の中の問題というものは、突き詰めれば限りないと言えるほど広大な領域につながってくる。上記のような[医療]の階層で理想を追求すれば、[医療]‐[(福祉などを含む)社会保障全般]‐[(経済や政治、哲学を含む)日本国]‐[(情報と貨幣を介してつながり合った)世界]といった具合に[世界]のことを考えなければいけないのだ。
前置きが長くなった。結局何が言いたいかというと、自分は[とある病院における、ある科を専門とする医師による医療]という階層で理想追求のために頑張っているうちに、絶対に他の階層を変えたい、あるいは全ての階層を変えてしまいたいと思う種類の人間であり、でも一人の人が、一人の職業人ができることの範囲は限られていて、じゃあ自分は一体どういう階層で働くのが一番いいのだろうか?という非常に難しい問題が目の前に現れ、しばらくの間(といっても数ヶ月)ずっと悩んでいたのである。
その問いに対して今回導き出せた一つの解が、「一つのことを徹底してやり抜くと、それが突き抜けた時に外の世界が開ける」ということである。つまり自分の考えが一周して、この問いが生まれたきっかけに回帰してきたのである。非常に面白いなと思った。そのような解の根拠は、次の「思考は現実化する」というところにあるのだが、この解に対して一つ断言することができる。それは、自分自身がまだこの解を100%信じていないし、その通りには実行していないということである。僕がこれを100%信じているなら、「今この時間と意識の多くを再び、アメフトに捧げる」はずである。現段階では、この解に大きな可能性を見出したという程度にとどまる。
⑥思考は現実化する。
今年の7月に、尊敬する医師に言われた言葉。彼がナポレオン・ヒルのことを意識していたのかどうかは知らない。が、自身に非常に大きなインパクトを与えた言葉である。そして今回、「思考は現実化する」ということを確信できた。これが、今回関西に行って一番大きかった収穫である。
さて、「思考は現実化する」とはどういうことだろうか?それは僕が「すごい」と思う人の“今”を見て、その“ルーツ”を辿った時に導き出された。彼らの話を聞いていると、何も最初から、あるいは大学を卒業した時点から、“今”しているように、広い範囲にわたる活動をしているわけじゃないのだ。最初からどの程度大きなことを夢見ていたかについては個人差があるが、大事なことは、ある階層で徹底的に理想を追求しているうちに、違った階層での変革の必要性を感じ、それを強く望んでいると、自然に道が拓けたということである。もちろん彼らが何も行動していなかったわけではない。それを望んで、自ら行動し、情報を発信し、仲間を集めたりしているうちに、自然に道が拓けていくのだ。
面白いことに、僕が尊敬する2人の医師が同じことを言った。『自分が今していることは天命なのだ。』と。神様が望むから自分はそのような活動をしなければいけないし、勝手に導いてくれるという趣旨だ。そう導いてくれる。僕はまだ神様の存在など信じていないが、「望めば道が拓ける」ということに関しては確信を持っている。現に、「僕が望めば道がどんどん拓けていっている。」
最近の自分は焦りすぎていた。まずは自分の能力、立場、役職に見合い、そして今の自分が一番したいことに集中すればいいのだ。その上でより大きなものを望み、行動し続ければ、自然に道が拓ける。思考は現実化するのだ。
「思考は現実化する」ことの前提条件として、正しい思考をしているという条件がつく。それについての考察は、また今度。ただ「思考が現実化」していく過程では、多くの人の好意、協力を受けている。自らの力で「現実化」させているわけではない。だから、“自然に”(=自らの力だけによっているわけではなく)道が拓けていくという表現を使った。そういった意味で、自らの活動は天命なのかもしれない。
◆最後に。
せっかくの貴重な体験なので、じっくりと考察し、文章にしてみた。このword文書は関西での出来事を振り返ったものであるが、書きながら、今年の夏休みは今までで最も実りある長期休暇だったなぁと思った。7月の中旬に始まり、8月いっぱいまで続いた夏休み。北原国際病院での実習→パプアニューギニアでの実習→関西での熊田さんの仕事見学。色々なことを体験し、考え、自分の中でもかなり考察が進んだ。人生を変えるであろう貴重な出会いもたくさんあった。今回の見学は、僕の2011年度の夏休みを締めるにこれとない最高の経験だった。
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二宮君、ありがとうございました。
東京からわざわざ私の仕事を見たいと言って来てくれた、バイタリティと行動力、そして色々な現場を静かに観察して深く考察する姿勢に私も学ばされました。これからどんどんと病院実習の中に入っていくと、今回見たようなものはなかなか感じにくくなってくるだろうと思います。だからこそ、見てもらいたかったのです。これから未来の医療を担うあなたに、私が自分なりに確信を得ているものを感じてもらいたかったと思っています。二宮君なりに、とてもいろいろ感じてもらえたということを、本当にうれしく思っています。
一つだけ。
「彼らが持つ満ち溢れたエネルギーの源泉は、不条理に対する“怒り”である。その“怒り”は②で言及した“想像力”が強ければ強いほど、大きくなり、凄まじい原動力を持つ。」という部分。
その「怒り」の根底にあるものは、私は「愛」だと思っています。彼らが何のために憤り、悲しんでいるかというと、この世に対する慈悲のような深い愛を私は感じます。だからこそ、人々の賛同を得てこの世を動かし、思考を現実化させ、さらに飛躍するのだと思います。そして社会が変わる。私はあなたもそこに向かおうとしている人ではないかと感じています。これからも悩んだり、笑ったり、遊んだり、怒ったり、泣いたりしながら、たくさんのものを感じ、得ていっていただきたいなと思います。素晴らしい可能性の種を見せてくださって、本当にありがとう。いつか頑張っているあなたを取材させていただく機会ができたら、それほどうれしいことはないだろうなと思います。いつでも関西に遊びに来てくださいね!これからも応援しています。
ちなみに、彼を契機にその後も一橋大学の学生さんが「つどい場さくらちゃん」に来てくれたりと、面白いことが続いています。学生さんには、本当に学ばされます。元気を頂きます。彼らは素晴らしいなあと思います。日本の医療の未来は捨てたもんじゃないぞと思える素敵な時間でした。二宮君、ありがとうございました。
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