「いのちの授業~がんを知る」狛江三中第二部前半

投稿者: 川口利 | 投稿日時: 2012年07月06日 13:26

「いのちの授業~がんを知る」第二部前半についてご報告いたします。

いつも通り私が吉野さんにインタビューする形式で進めていきました。今回は、全学年の生徒が、1時間ずつ吉野さんについての事前学習をしてくれていました。先生方のお力添えによるところが大きいのですが、2008年5月に放映された日本テレビ系モクスペ感動ドキュメンタリー「5年後、私は生きていますか?」のユーチューブ映像を一部生徒に見せ、ワークシートに記入させるという道徳授業を展開してくださいました。

したがって、吉野さんが元ダンスのトッププロであったこと、肉腫という希少がんと闘っていること、2度目の手術後に5年生存率が7%であると知ったこと、ブラインドダンスに関わっていること等を基礎知識として持った状態で授業に臨んでくれたことになりました。

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まず、簡単な自己紹介をしていただいた後で、私から「既に肉腫という稀な「がん」と闘っていることは分かっていると思いますが、もう一度簡単に肉腫について説明をしていただきましょう」とお願いをしました。

「がん」というのは悪性腫瘍全般を指す言葉で、大人の場合、その中の99%は食道癌・大腸癌・乳癌など癌腫と呼ばれるものである。わずか1%を占めるのが肉腫と呼ばれるもので、患者数が少ないので研究も進まず効く抗がん剤もなく、“忘れられた「がん」”と言われている。

との説明がされました。

ここからは、吉野さんがどのような気持ちで肉腫と闘ってきているのかをお話ししていただくことになります。

質問は六つです。それぞれの質問と、それに対する吉野さんのお答えの概要を以下に書かせていただきます。

(1)「がん」を医師から告げられた時、どのように感じたのか?

事前に「がん」の可能性がある場合は、「がん」であった場合にそれを聞きたいか聞きたくないかをあらかじめ医師に伝えたりする機会があるが、自分の場合は、良性だと思われていたため、告げるしかないということで、直接告知を受けた。手術後、“これで(治療は)終わった”と思っていたが、病理検査で「がん」だと分かり、その中でも肉腫という聞いたこともないものだったので、ショックであったというよりは何が起こっているのかが分からない状況だった。

(2)「がん」告知を受けたことをお兄さんに知らせた時、どのように思ったか?

自分の親や兄弟などに自分が「がん」であると伝えることを逆告知という。自分の場合、母親が高齢でその時病気であったことや、兄が1人既に亡くなってしまっていたこともあり、母親にはショックを与えたくないと考え、兄にだけ相談して乗り越えようとした。

(3)医師から再手術と抗がん剤治療を勧められたのに断ったのはなぜか?

肉腫に効くという抗がん剤が存在していなかった。現在でも存在していない。肉腫というのは再発・転移の可能性が高く、何回も手術を受けなければいけない種類の「がん」なので、今再手術を受けるとか、効かないであろうに抗がん剤治療を受けることはやめ、今は経過観察をして、実際に再発した時に手術を受けようと考え、断った。

(4)再発してしまい2度目の手術を受けた後で、5年生存率が7%であることが分かった時に、どのように考え、どのように乗り越えたのか?

実家に戻ると自分が病気であることが分かってしまうので、年末年始を東京で過ごした。インターネットで肉腫のことを調べていたら、5年生存率が7%であることが分かった。乳癌の場合は、5年生存率が87%くらいあるので、100人患者がいれば13人は亡くなってしまうが87人は生きていられるということになる。自分の場合は、100人のうちで7人しか生きられないということなので、かなり確率が低いということで大きなショックを受けた。元旦と2日はベッドで泣いて過ごしたが、3日にダンスの新年会があり、出席しないと失礼だと思い奮起して出かけた。周りのみんなは何も変わらず明るく接してくれており、自分の心だけが(生存率のことを)知ってしまい変わったけれど、他は何も変わらないのだと分かった。悩んだところで病気が治るわけではないので、悩むのはよそうと思ったことが一つ。
もう一つは、5年生存率が7%しかないのなら、自分が生きて8%とか9%にしてやろうと思った。

(5)3度目の手術後お母さんへの逆告知をするのだが、なぜ伝えようと思ったのか、伝えた時にどう感じたのか、それに対してお母さんはどのように言ったのか?

下の兄が既に亡くなっており、子どもが親よりも先に亡くなってしまうということを経験していたので、自分までが重い病気であるということは絶対に言えないと思って母親への告知はやめていた。“忘れられた「がん」”と言われているものをそのままにしていたら“忘れられた「がん」”のままになってしまうので、みんなに知ってもらったり、いろいろな活動を自分がしていかないと改善されないと思い、3度目の手術が終わった時に、活動を始めようと決断をした。決断するにあたって、まずは今まで黙っていた母に自分の口からきちんと丁寧に伝えて、賛成を得てから活動を始めようと考えた。とてもつらかったのだが、母親に伝えたところ、“頑張りなさい”と言ってもらった。それまでも黙っていることがとてもつらかったのだが、心が少し楽になった。

(6)再発・転移を繰り返す中で自分の病気についてどう思うか?

肉腫という希少な「がん」に有効な薬もない時代にかかったことにはとても意味があると思っている。もちろん嬉しくはないが、神様から与えられた試練だと、最初思っていた。活動を始めていくうちに、それが自分の使命だと思うようになった。「がん」になった、肉腫になったからこそ、出会えた人とかもの、得られたものとかことがたくさんある。今日もこうやって皆さんに出会っている。そういうことにとても感謝している。

というように、非常に心を強く持ち、病気に立ち向かっていらっしゃる姿がいつもながらとても印象的でした。この部分に関する生徒のアンケート結果に注目したいと思っています。

次回は、吉野さんの活動に関するインタビュー部分をご紹介いたします。

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