昔帝国陸軍、今医学部

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2016年12月06日 00:00

ちょっと間が空いてしまったのだが、今回からしばらく、11月26・27日に開かれた『現場からの医療改革推進協議会 第11回シンポジウム』から印象に残った話を紹介していきたい。


今回のタイトルは、最終セッションの『医学部、受験エリートとテロリズム』で登壇者の倉石寛・立命館稲盛経営哲学研究センター副センター長が手書きで出したフリップから拝借した。


そのココロは、秀才を集めた組織だけれど、純粋培養ゆえの視野の狭さで国を滅ぼしかねない、ということのようだ。


昨今は受験生の人気が医学部に集中しているらしい。やりたいことがあって選ぶなら結構なことだが、将来が安泰だと思って選んでいるのだとしたら、社会状況を全く見ていないとしか評しようがないと考えているので、わずかな文字数で、その辺りの異常さを切り取って分かりやすく見せてくれたことに驚嘆した。


倉石氏は、灘校の元名物教師。教え子たちから大変慕われているそうで、実は私も『ロハス・メディカル』の創刊前、同校出身である上昌広先生のご紹介でお目にかかって、思いがけず「イエスキリストの癒しの奇跡は、疾病概念を当時のものとして考えれば事実として考えてもおかしくない」という講和のようなものをいただいたことがある。


何を書いているのか意味不明と思うので、もう少し説明するなら、病ゆえに社会から排除されていた人たちを再び社会に包摂したイエスの行為は、近代の概念では病を癒していないかもしれないけれど、社会から排除されるという病の最も大きな痛みは確実に癒していたのであり、充分に奇跡と呼ぶに値したのでないか、というのだ。


この講和の精神は、ロハス・メディカルを作っているうち、どんどんコンセプトの中心に近くなってきている。というよりも、ロハス・メディカルのコンセプトが、講和の精神の方にどんどん近づいていっていると書く方が正確だ。


で、その精神で現代医療を見ると、結構ヒドイかもしれない。


実はシンポジウムでは、プログラムに載っていない裏セッションとして、HPVワクチン接種後の体調不良から回復したお嬢さんをお持ちの母親4人が話すという時間が26日の方に設けられていた。聴いて非常に憤りを覚えたのが、全員、受診した医療機関で心ない言葉をかけられた経験のあることだった。


医療は、患者を癒すことこそ社会から求められているのであり、医療行為は手段に過ぎないこと、医学部では教えているだろうか。教えてないとするなら、国を守るために存在したはずの軍が暴走して国を滅ぼした歴史を、あれは現代社会と関係ないとは思わない方がよいのだな、と倉石氏のフリップを見て思った。


どこまでできるか分からないけれども、暴走を止める存在としての「よそ者、バカ者」(もう若者とは言えないので)であろうと改めて思った。

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