PR会社という存在 |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2017年02月22日 00:00 |
ワセダクロニクル「買われた記事」の第3弾が昨日アップされた。今回も、映像(音声)を見た方が、より情報が正確に伝わると思う。
この後どういう報じ方をするつもりなのか分からないが、私なら構造の問題を指摘するな、と思った。
つまり
・メーカーは一般人向けに新製品のプロモーションをしたい
・医療用医薬品の一般向け広告は厚労省に規制されているためPRしかできない
・PR会社に依頼する
・PR会社は、メディアに記事として(あるいは記事のように)採り上げてもらえるよう、ありとあらゆる手を尽くす
という前提が、まずある。
資本主義である以上、この前提を全否定することはできまい。
で、PR会社が費用対効果高く業務を遂行するには
自分で取材しないで与えられた素材で記事を書いちゃう横着な記者
の存在が欠かせない。
むしろ、そういう記者が多いから、PR会社は存在できていると言うこともできる。
ただ、企業体としてのメディアから、この状況を見ると
お金をもらえるのはPR会社だけで
自分たちは、記者の背任的行為によって商品にタダ乗りされていることになる。
これに、どう対抗するか。
共同通信の場合
KK共同というPR会社もどきを作ってPR会社の上前をはねる
そんなビックリな解法を導いたということになりそうだ。
ただ、この結果、今度はさらに下流の新聞社が商品にタダ乗りされることになった。
私個人はPR会社という業態をあまり好きじゃないけれど、顧客企業のエージェントと見るならば、やっていることを責められない。問題は、メディアや記者が自分たちを誰の利益代弁者・利益擁護者と位置づけているか、ということになりそうだ。