自己犠牲とネズミ男 |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2017年04月09日 10:00 |
この6日に、厚生労働省が「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会報告書」なるものを公表し、この検討会座長だった渋谷健司・東京大学大学院教授がハフィントンポストに「自己犠牲の上に成り立つ医療は、もう終わりにしよう。」なる一文を寄稿していた。
名文だと思った。特に
のくだりは、しびれる。
大事なのは、医療に関わる人たちが、「自分の人生を取り戻す」ということなんじゃないかと思っている。誤解を恐れずに言えば、今の医療は、自己犠牲産業だ。医者や看護師という仕事に誇りを持って働き続けるためには、働き方から変えていかなければならない。医療に携わる人たちがその人生と時間を主体的に選び取ることが、ひいては救える命を増やすことにつながる。私はそう、信じている。自己犠牲が積み重なれば、いつしか、医師たちは患者への優越感を持ってしまう。「何でも分かっている」という全能感を持ってしまう。だから、自らと向き合い、自分の在り方、家族や社会との関わりを見つめなおす時間を持つこと。何かに守られて生きようとせず、自分の足で立つこと。そして、生涯をかけて、自分の力を尽くすこと。これをするのが、真のプロフェッショナルであり、それが医療を求める人々への眼差しに温もりを与える。そう私は信じている。
故・水木しげる氏が描いた「ネズミ男」は、強い者に対して媚びへつらう多くの日本人を象徴しているという見方が私のツイッターのタイムラインに流れてきて、ものすごく納得がいったと同時に、どんよりとした気持ちになった。その後で、渋谷教授の文章に出会ったから、余計に救われた気分がする。
自己犠牲を、私たちは何だか美しいもののように勘違いしがちだが、本当にそれを自分で選んだのか。実は自分ではない誰かに人生の選択肢を委ね、媚びへつらっているだけのことではないのか。医療従事者たちがネズミ男の集団になってしまわないよう、自分自身で人生を選び取っていただきたいと切に願う。