産後、何が、なぜ大変になるのか?⑧死の瀬戸際

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2017年05月24日 16:17

ある日の私が買ってきたものは、牛丼チェーンの丼物2食、ドーナツ屋でドーナツ10個、コンビニでラーメン、パスタ、チョコレートビスケット、ポテトチップス、プリン、シュークリーム、ケーキ3個。

これらを帰宅後にテーブルの上に広げ、パソコンでネットサーフィンなどしながらだらだらと食べ続ける。

とにかく体に悪そうなものがいい。

明らかに太りそうな炭水化物や油ものなどカロリーの高そうなもの、お菓子など。ダイエットをする際には敬遠したくなるものばかりを選んでいた。

大丈夫、思い切り食べても、後で吐けばいいんだから、と。

当時の私の胃袋は一体どれほどの大きさだったんだろうと思う。成人男性の食事の3~5倍は食べても平気だったと思う。

食べることだけに集中すると食べ物への罪悪感が出てきてしまうので、ネットサーフィンなどあまり頭を使わなくていいことをしながら食べるのが一番だった。

そして食べ続けて、1間弱ほどするとだんだん胃が苦しくなってくる。

あまり長く胃の中に食べ物を置いておくと吐きづらくなるし、消化が始まると嫌なので「そろそろかな」と思う。

そうして立ち上がるときは、いつも体が重たい。

自分が今からすることが、体にも、世間体としても、食べ物やそれを作った方々に対しても、よくないという罪悪感が体中に広がるからだ。

だけどこのままにしていたら体は太って大変なことになってしまうから、トイレに向かう。

そして便器に向かってかがみ、指を喉の奥に突っ込むと嘔吐したくなる部分があるので、そこを押す。

するとそれまで食べたものが一気に逆流して勢いよく便器の中に流れ込む。

この瞬間が「やった、全部吐き出した。これでもう大丈夫」と快感になる。

そうやって何度か嘔吐を繰り返し、最初に食べたものが出てきて、大体出切ったと思ったら、そのままシャワーを浴びる。

もしくは手を綺麗に洗い、うがいをして歯を磨く。

その時、さらに自虐するために、鏡の中を見ることがある。

そこに映るのは、吐きすぎて顔が土気色になってぱんぱんにむくんだ、酷く不細工な自分。目も虚ろで生気がない。

食べ物にこんなことをして、なんてもったいない。作った人に申し訳ない。体にも悪い、いいことなんか一つもない。自分にも親にも世の中にも悪いことをしている。恥ずかしくて顔向けできない。最低の人間だ、こんなやつはいなくなればいい。

それなのに、やめられない。

吐き終わった後は、頭がぼーっとしている。

よく嘔吐するとイオンバランスが崩れると言われるがそうなのだろう、手が震えて体中が冷たくなる。

私はベッドに倒れこんで、自分を責める言葉をこれでもかこれでもか、というほど繰り返し続けた。
 
 
 
最初は会社から帰ってきた夜だけだった。

会社でたまったストレスも、帰宅時にあれこれ買っている時には吹っ飛んだように楽しくなった。

そのうち、帰宅時だけでは収まらなくなり、会社にいる時もお菓子を食べ過ぎたと思ったら吐いたことがあった。

ただ、仕事中に吐くと頭が働かなくなり手も震えて明らかに仕事に支障をきたすので、やりたくなかった。

でもストレスがたまると食べずにはいられなかったし、食べると「このままでは太ってしまう」という恐怖感が押し寄せてきて、吐かずにいられなかった。

だんだん、ちょっと食べただけでも「太ってしまうんじゃないか」と怖くなってきた。

酷い時は昼食も吐いた。少しのお菓子も吐いたり、夜もなるべく限界まで吐こうと胃液で喉が痛くなるまで吐き続けた。

そのうち精神状態がおかしくなってきた。

とにかく自分が太ることが恐ろしくて恐ろしくて、ビスケット一枚でも胃の中に残ることが許せなくなってきた。

しかし嘔吐では胃の中を掃除するように綺麗にすることは無理だし、ある程度は残る。

そこで、私は下剤を飲み始めた。

下剤を使うことで、体内に入ったものが吸収されないうちに流れてしまえばいいと思った。

夜に過食嘔吐した後に、下剤を飲み、朝に排泄した。

朝の通勤電車の途中に腹痛が来ることも多く、よく途中下車してトイレに駆け込んだこともあった。

下剤による下痢はつらかったが、排泄物を見たときに「これで大丈夫、太らない」という安心感があった。

そんな風に毎日過食嘔吐と下剤服用を繰り返したことで、一時期の私の体重は健康な時に比べて10kgほど減り、40キロ前半まで落ち込んだ。


酷い時は朝昼晩と過食嘔吐した。フラフラになって朝の満員電車に乗ったこともあった。

それでもまだ太ることが怖く、その頃は世間一般で言う美しさの基準など消えていて、とにかく瘦せることが使命のようだった。


一時期、過食嘔吐が原因で体調をひどく崩して心身が危険な状態になった。

その時期を越えてからは、、だんだん「適度に」過食嘔吐するようになってきた。

翌日に響かない程度に嘔吐したり、吐く量を調節して少しは胃の中に残るようにしたり。

下剤はやめた。

仕事に差し支える時間帯は抑えることもできるようになった(それでも我慢できない時はあったが)。

そんな風にして、私は自分の過食衝動を少しずつコントロールできるようになってきて、「今は思い切りやっても大丈夫」という時にめいっぱい食べて、吐いた。

そんな風にして摂食障害と共存し、年月が経った。

しかし毎日心の中では「もうこんなことはやめたい、食べたくない」と思っていた。

だけど、それが一番のストレス発散だったし、他にすっきりする方法を知らなかった。

運動やカラオケ、他の趣味なども試してみたが、過食嘔吐にかなう快感を与えてくれるものがなかった。

食べるという行為は五感をフルに使う。食べ物に触る、箸でつまむ、口の中に入る、噛み砕く(その音がする)、味がする(匂いがする)、飲み込む、胃にたまる。そして口の中から喉を通って胃に入り、またその胃の中から出す、という行為による刺激は内臓にダイレクトに響く。こんな刺激は他では早々ないのだ。

食費も問題だった。

たくさん買って食べるため、一日10,000円ほど使ってしまうこともあり、働いた収入のほとんどを過食嘔吐のために使ってしまっていた。

だからなおさらこんなことはやめたいと思っているのだが、まったくやめられなかった。
 
 
 
食べる、胃にためる、というのは得られなかった両親の愛を得る代替行為だ。

身近にある食べ物を使うのは手っ取り早かった。食べ物は向精神薬より買い物より恋愛より、ずっと手近だった。

しかし自分が満たされていないので、延々と繰り返されるだけだった。

毎日食べて胃の中をいっぱいにしながらも、心の中は空っぽだった。食べれば食べるほど、満たされない自分を感じた。

胃の中はいっぱいで、その瞬間は満たされたと思うのだが、吐いた後のとてつもない空虚感とうすら寒さ、自己嫌悪の大波。

吐きながら私は泣いていた。

こんなことをしている自分への腹立ち、どうしてこんなことをしているのか分からない悲しさ、それなのにこうしてしまう悔しさ、誰にも言えない孤独感。これらの感情が涙になり、嘔吐によって出てくる涙と鼻水と混ざってグチャグチャになった。

誰か助けて、といつも思っていた。

私を大切に思ってくれる友人はいたが、私も友人を大切だと思えば思うほど、このことは打ち明けられなかった。打ち明けて嫌われるのが怖かった。

誰か助けてほしい、もうこんなことはやめたい、もう嫌だ、苦しい、つらい、悲しい。だけどやめられない・・・! 寂しい、寂しい、とてつもなく寂しい…。
 
 
 
ある日思い切り吐いた後、手足が痺れて冷たくなって動けなくなり、トイレの前で倒れていたことがあった。この日は元々体調がひどく悪い時で、過食嘔吐はやめようと思っていたのに、我慢できずにしてしまった日だった。

その時期はDV男性と付き合っていて、心身ともにかなり滅入っていた時期だった。身体的暴力もあったので、体は疲弊し切っていた。

体は全く動かないどころか、どんどん感覚がなくなっていって、一層動けなくなってきた。ぼーっとしていた頭にさらに霞がかかったようになり、その時に小さい頃の自分の思い出が甦ってきた。

小さい頃は父のこともそんなに怖いと思わなかった。父も私を可愛がってくれた。母も笑っている。私が見たかった両親の笑顔があった。

これはよくある「死ぬ直前にこれまでの思い出が走馬灯のように駆け巡る」というやつなのかなと思いながら、こんないい風景が見れるならいいかあ、そういえば摂食障害が原因で亡くなった女性もいたと聞いたことがある、などと思っていた。
 
私もそうなるんかな、当たり前だよな、こんな悪いことして、その罰が当たったんだ、私は死んで当然だ。
 
 
そしてだんだん体から寒さも痺れも何も感じなくなってきた。
 
 
向こうの方から暖かい光がやってくる感覚があった。
 
 
これで楽になれるのかな、今までずっと死にたいと思ってたけど死ねなかった。
 
 
やっと死ねるんだ。


そしてその暖かい光に包まれたと思った瞬間、


世界が真っ暗になった。


その時、自分の中に大きな稲妻が落ちた。


その瞬間、


「生きろ」


という言葉が自分を貫いたような大きな衝撃を受けた。


言葉で言われたというより、稲妻がそう伝えてきたような感覚だった。


私は「嫌だ」と言った。


「こんなつらいところ、私は嫌だ。いつも私は傷付いている。苦しくて悲しいことばかりだ。楽しいことなんて、何一つない。誰にも私を分かってもらえない。誰も私を愛してくれない。こんなつらいところで私は生きていたくない!!」


私は思い切りそう叫んだが、「それ」には届かなかったのか、届いても知らぬふりをされたか。


体の周りにあった暗闇が消えていき、体の感覚が戻ってきた。


体は痺れていて寒く、頭はまだぼーっとしていた。

変わらない、私の部屋だった。

意識を取り戻して思った。

なんだ、死ねなかったんだ。

みっともない、大事な食べ物を吐いて、世の中の役に立たないことばかりして、頭も悪くてブサイクで、使えない最低のダメ人間。

涙が落ちた。

そんな自分が、こうやって生きている。
 
 
 
私は体を引きずるようにして起き上がった。
 
 
それなら、生きてやる。

死ねないなら、とことん私は生きてやる。

もがいても、あがいても、みっともなくて情けない醜態を晒してでも。
 
 
 
私は自分を立ち直らせるために、心療内科やカウンセリング、自助グループ、セラピーなどを探し始めた。

都内で探して色々と訪れたが、相性が合わなかったり、逆に私が気を遣う羽目になったり、どうも今一つここだと思えるところがなかった。

でも、どこかにあるはずだと思っていた。

自分が求めている、「私の中にすっぽり抜け落ちている何か」を知るヒントになるところが。
 
 
そして出会ったのが、「アダルトチルドレンと摂食障がい・DV被害者の自助グループ ACOA(アコア)」だった。
 
 
 
つづく

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