産後、何が、なぜ大変になるのか?⑪消えた摂食障害

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2017年05月29日 13:04

こうして私は、様々な人たちの助けを借りながら、少しずつ回復の道を辿っていった。

30代半ばになった頃には、以前ほど自分のことを嫌いではなくなっていたし、それなりに好きだと思えるようになっていた。

人間関係も以前のように滅茶苦茶な共依存や支配・被支配になることも少なくなった。もちろんたまにはそうなったこともあったし、「またやってしまった」と思うこともしょちゅうだった。でも「またやってしまった」という自覚が持てるだけ、何をやっているのかワケが分からなくて苦しんでいた以前よりは相当ましだったし、次からもっと気を付けようと思えた。

少しずつではあるが、この人は私が近づかない方がいいタイプの人だ、この人とは気持ちよく過ごせる、という感覚も出てきた。

20代の頃の理由の分からない生きづらさ、息苦しさ、またそれに飲み込まれて頭が狂いそうになる、という感覚も少なくなっていき、だいぶましになってきた。

ただ、やはり「自分は誰からも愛されない」という信念体系は相当に根深く強固で、疲れた時やストレスがたまった時など、余裕をもって自分を見られないときには大きく自分にのしかかってきて、その思いにとらわれて苦しさに呻くこともしょっちゅうだった。

私に残っていた唯一の依存症の摂食障害は相変わらずだった。ただ、時には過食嘔吐しないで済む日もあったし、一週間以上せずにいられる時もあった。しかし、もう治ったのかな? と思った頃にまた出てきた。

そんなこんなで約15年が経ってしまい、私は摂食障害と共存していけばいい、と腹を決めてしまっていた。もちろん食べ物や作ってくれた方々に対する申し訳なさはあったが、以前のような自分を刺し殺したくなるほどの罪悪感はなくなっていた。

仕事でストレスがたまったら買い物に行って家で過食嘔吐し、憂さ晴らししていた。

しかし、年齢と共に過食嘔吐も体に響くようになってきた。

20代の頃は一日に5回ほど過食嘔吐しても全然平気だったし、その後に仕事もできた(能率は悪いが)。翌日に体が怠くなることもあまりなかった。過食嘔吐しながらも、基本的に元気だった。

それが15年も続けていると、普通に飲み込む時ですらちょっとむせたり、喉につかえたりすることが出てきた。あれだけ無茶な過食と嘔吐を毎日続けていれば、そりゃ嚥下機能だっておかしくなって当然だろう。もしかして私の最期は誤嚥して吐物がつまるとか、誤嚥性肺炎かもな、と思ったりした。それもこんな私への罰で、これだけ食べ物を粗末にしてきているのだから、当然の報いだと思った。

嘔吐した翌日の怠さもつらくなってきた。年齢はこういうところにも響いてくるんだなと思った。過食嘔吐で使うエネルギーは心身ともに大きいので、負担が相当大きくなってきた。

そういう意味でもやめたいとは常に思っていたものの、やめられなかったので、もうこれでいい、と思っていた。

私は死ぬまで過食嘔吐と付き合い続けるのかもしれない、とも思っていたし、それでもいいや、仕方ないと思っていた。無理にやめようとしなくてもいいと思い、自助グループにも通わなくなっていた。
 
 
 
 
 
仕事で大阪に住んでいた頃、今の夫と出会った。

夫はテレビ関係の仕事をしており、取材先のお寺(エンディングセミナーをやっていた)のご住職から、同業者だといって紹介されたのがきっかけだった。

話が合ったので最初は仕事のことなど色々と話すようになり、ずいぶん落ち着いた人だったのですっかり既婚者だと思い込んでいたが、違うと分かってからは個人的に会うようになっていった。

私は恋愛で傷付いたり疲弊したりを繰り返してきたので(相手を悪く言っているのではないです。書いてきたように、私の内面の影響が大きいです)、男性はもう懲り懲りだと思って恋愛にも辟易していた。

それが、夫にはそういうことを全く感じなかった。初めて会うタイプの男性だったのだ。

とてもよく話を聞いてくれ、真面目だった。とにかく何に対しても真摯な人で、私のように滅茶苦茶なことをしてきた人間だと常に物事に対して穿った見方をしたり、斜に構えて見たりするのだが、そういうところが全くなかった。

おかげで、私は異性といるのに同性といるような安心を感じ、そんなことは初めてだった。

今までのような一触即発の大恋愛悲劇に足を踏み入れる時の緊張感や、期待と不安の入り交ざった興奮のようなものは全くなかった。以前の私なら物足りないと思ったのかもしれない。でも、そういう緊張と興奮は、私の求める穏やかで健全な人間関係をもたらしてくれるものでもない、ということも分かりつつあった。そういうものはもう十分だ、と思っていた。

私は疲れ切っていたのだと思う。

少しはましになってきたとはいえ、「自分は愛されない」という再確認を続ける厳しい現実と、摂食障害を繰り返す日々、自分を責め続ける自分に。

夫が穏やかに笑って話を聞いてくれたり、ここの店の主人は作り方や素材に徹底してこだわってるんだ、という話を聞いたりしていると、心がほっこりと和み、「この人の前では無理したり頑張らなくていいんだな」と思えて、肩の力が抜けた。

彼も私に好意を持ってくれるようになり、私は千葉県の亀田総合病院への出向の話が来たのでしばらく遠距離恋愛となり、そのうちに結婚しようという話になった。

私はもしかしたら一生結婚せずに一人で過ごすのかもしれないとも思い、女一人で暮らしていくための人生設計も考えておかねばと思っていたところだった。しかし夫と出会ったことで、この人となら一緒に過ごしていく人生を描けそうだと思えた。

結婚を決めて、しばらくしてから子どもができた。

私は20代の頃は「救児の人々」のあとがきに書いていたように結婚願望もなく子どもを欲しいとは思っていなかった。しかし人の思いなんて変わるもので、私もいつか子どもを持ちたいと思うようになっていた。妊娠はとても嬉しく、有り難いことだった。

そして私の体に驚くべき変化が起こった。

結婚が決まったころから摂食障害がなんとなく収まることが多くなっていて、自分でも「あれ、そういえばここ数日食べ吐きしてないな」と気付いたりすることもあった。

それが、妊娠が分かった時から、ぱったりと収まったのだ。

今日まで、まったく出ていない。

私はこれに気付いた時、本当に驚いた。

あれほど、どれだけやめたいと思っても、もう嫌だ、誰か食べる私を止めてくれと泣きながらも食べずにはいられなかったのに。

約15年前に会社でアイスクリームを食べた時に現れて以来ついぞ消えることのなかった、突如湧き上がる噴水のような過食衝動が消えてしまった。

あれほどやめたくてもやめられなかったものが、一体なぜだろうと考えて思い至ったのは、安心感かもしれないということだった。

自分は愛されることなど決してないと思っていたところに夫という人が現れ、「私はここにいていいんだ」という安心感が得られた。

そして子どもを授かり、自分の役割が、自分を見詰めて苛むところから、新しい命を育むというところにシフトしたのかもしれない。私は今、母親として、おなかの中の子どもに必要とされているのだという感覚がそうさせたのかもしれない。

とにかく妊娠以来、今日まで過食嘔吐をしていない。したいと思ったことがない。
 
 
そうやって私は摂食障害を克服して幸せな夫婦生活を送り、楽しく育児をし、自分自身と楽に付き合えるようになった・・・。
 
 
という話なら、私はこんなブログを書いてはいない。

(そもそも妊娠して摂食障害が終わってバンザイという話なら、何の参考にもならない)
 
 
確かに摂食障害は収まった。

当時の私は、「もしかしてこれで本当に私は過食嘔吐と別れて、まっとうな人間として暮らしていけるのかな? これで、私はやっと『普通』の仲間入りができたんじゃないか?」と、長かった人生の苦悩に出口を見出せたと感激していた。

しかし、私自身が30年以上かけて上書きし続けた「私は愛されない」という信念体系は、そんな生易しいものではなかった。
 
 
私の根本は、全く変わっていなかった。
 
 
決して変わることのない「私は愛されない」という思いは、私の中で熾火のようにくすぶり続け、産後うつという形で私を爆発させた。
 
 
 
つづく

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