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■ 裁判に訴えなくても命が大事にされる社会をつくる
 

「社会保障基本法」シンポ.jpg このような社会保障の裁判というのは、貧困から人間の命と尊厳を守るという闘いなんです。貧困というのは、最も重大な人権侵害なんです。貧困は、人間らしさを人間から奪う。「これを救済するために裁判がある」と、私たちは思っております。

 しかし、現実には......、「憲法25条によって、その闘いが十分なものになっているかどうか」ということです。

 私の自慢話になりますが、弁護士になって25年、生活保護の裁判をずっとやっていました。本当にたくさん勝ちました。普通、弁護士は勝訴すると、ガバッとお金をもらえるんですね。(会場、笑い)
 私、生活保護の裁判で十何回勝ちましたが、不幸にして、お金をもらったことがない。(会場、笑い) 「裁判に勝っても貧困になる弁護士」というのは私のことです。(会場から拍手)

 本当にこれは、笑い事では......。余計なことを言いますと、ドイツとかイギリスで社会保障の裁判をやると、弁護士は裕福になるんですよ。そういう意味では、日本はちょっと間違っているんだと思うんです。(会場、爆笑) ま、それは冗談として......。今日は、私の生活を訴える会ではないので、この辺にしておきますけれども......。(会場、笑い)

 なんと言っても、裁判というのは個別の救済が基本です。制度を変えるまではなかなか進歩しません。私は生活保護を中心に、あるいは障害者問題、年金問題などたくさんやってきました。
 でも、本当に"モグラたたき"みたいなものなんです。「あっちで悪い行政が行われた」「こっちにひどいケースワーカーがいた」、あちこち全国を飛んで歩きましたが、それですべての人権が救済されるか。そうはいかないと思います。

 ましてや、裁判に訴えるには勇気が必要です。すべての人が裁判で解決できるわけではありません。しかも、裁判で救済されるのはごく一部の人です。結局のところは、憲法25条と13条、そういう立派な憲法の下で、個別の裁判で救済されなければならない現実を目の当たりにしてきた。

 しかし、それだけではやっぱりあかんだろう。もう少し......、裁判という手段は大事だけれど、裁判に訴えなくても、あるいは裁判で3年、5年をかけて命を削らなくても、命が大事にされる社会をつくるにはどうしたらいいのか。憲法25条がそのための力になるにはどうしたらいいのか。この25年間、それを考え続けてきた。

 「障害者自立支援法」という法律ができて老齢加算や母子加算が切られて、全国で裁判が起きている。こんなことをやっているだけでは、やはり駄目だと私は思います。そういうことを、もっと制度的に、あるいは国の成り立ちとしてそれを解決できるにはどうしたらいいのか。そのことが、「社会保障基本法」という、仮の名前ですけれども、こういうことを考えるきっかけになると思うわけです。

 私自身は、弁護士としてこれからも個別の人権問題、貧困問題と闘うことを誇りに思っております。だけど、その闘いだけで解決するということには無理があるわけですから、その闘いを片方でやりながらも、もっと制度的に、もっと大きなとらえ方で制度が安定したものに、みんなが貧困のどん底で命を失うことのない法律の仕組みを考えることを、「社会保障基本法」を勉強する中で感じた次第です。

 個別の救済も大事ですが、制度的にみんなが救われる、そういう道筋をつくる。それが私の25年間の想いです。以上です。(会場から大きな拍手)
 
  
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