医師が悪いのか、患者が悪いのか

投稿者: 新井裕充 | 投稿日時: 2009年10月25日 07:36

 救急患者の受け入れ先が決まらないのは、医療機関の怠慢だろうか。勤務医の環境が悪化しているのは、患者の権利意識の向上や医療訴訟の増加などに原因があるのだろうか。十分な医療を提供できないのは、医療機関の責任だろうか、それとも患者の責任だろうか。医師が悪いのか、患者が悪いのか。(新井裕充)

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コメント

医者が悪い患者が悪いというわけでなく、医学医療の進歩を文明論としてとらえてこなかったことのツケが回ってきただけのことだと思います。その意味では評論家が悪い、ということですかね。
医学が進歩しワクチンや避妊法が普及し健康で長生きできるようになる⇒子供が死ななくなるし産まない選択は確実になる⇒子供を多めに産んでおくという生物としての生存本能が無視され、かたや、産みたいと思って避妊を解いたら不妊だったと判明して慌てて治療に走っても、不妊治療の成功率は約20%と、まだ「母なる自然」の謎が解けておらず医療の限界がある⇒行き過ぎて出産数減少に向かう⇒健康長寿で高齢者人口は増え続ける⇒社会福祉制度や医療制度が高齢者負担に耐えかねて財政困難や人手不足、さらに、人為的延命治療の負担で現場が疲弊し始める⇒患者(国民)は自分の都合の良い変化にはとびつくが、不都合な真実は受け入れようとせず、疲弊した医療者の「人間性」を糾弾する。
  誰が悪いというわけではありません。日本の医療が、費用対効果の頂点を極めたのち、バランスを崩し始めているだけの話。頂点は永続しないのです。

生涯いち様

これまでの歴史についてはその通りですね。
ただ、この記事が扱っているのは社会福祉の在り方。
社会福祉は高度に成熟した社会でのみ成り立つもので、アメリカは文化レベルが低く「共産主義的」という乱暴なレッテルにより金持ちのエゴで動いています。日本はヨーロッパをお手本として明治維新を行ったおかげで、システムだけは高度成熟社会型となっています。しかし社会のコンセンサスとして作られた福祉制度でないため、その運用はめちゃめちゃです。

母子家庭で、母親が難病で働けない家庭
子供が大学(公立)に進学を希望したら、贅沢だと言って生活保護を打ち切ろうとした。

ちょっと怖い系のおじさんと付き合っている女性
おしゃれは女の基本的人権だとLVのハンドバックを持ち歩いている。さらに「きれいになれば仕事に出ることができる」と美容整形を医療として行う事を要求。担当者はこれを認めようとした。

飯場で働いていた男性
1年程度で工事が終了し次の勤務地へと移動する生活を続けていたが、病気になって働けなくなり、生活保護を希望。担当者は「定住性がなく、どこへ行くかわからない」と保護の適用を拒否。

例を挙げだすときりがありません。著しく不公平かつ不適切な運用がなされています。

労働基準法も、労働者の「生存権」憲法25条の具体化だと言われてます

患者が生存権を持ち出すのは理解できるとしても(肯定はしないが)、勤務医が労働基準法以下で働かされている現状(特に救急、夜間・休日)では、勤務医の生存権を侵害する病院管理者の責任を問うのが先で、現場に患者をこれ以上押し付けるのは無理と言うものです

受け入れできないのは、医療機関の怠慢が原因ではなく、労働基準法違反が積み重なってできた人的資源の枯渇が原因です。

それと、残念ながら、憲法の定める生存権は、国民が国に対して求めるものであって、個別の医療機関に求めるべきものではありません。
憲法の私人間効力は、直接に適用されるものではありません。
権利の行使先を間違えてます。
こんなことを言い出すから、益々モンスターが増えることになります

医療機関は国や自治体の設立であったとしても、公権力行使の外に置かれている行為と見做されてます。

多くのコンビニ受診、軽症者の受診は、権利の濫用として、公共の福祉(重症者の医療)の前に、抑圧されるべきものだろうと思います
この点では、「患者が悪い」が正しいと思います。
悪い患者が圧倒的多数であることを前提に、「悪い患者」でも理解できる利用者負担(救急車の有料化、救急受診の自己負担の増額)が必要だろうと思います。

診療機関への利益付けではなく、「悪い患者」でも理解できる仕訳ルールが必要なのだろうと思います。
本当に重症で入院・治療する人は、その自己負担も高額療養費補助の制度で救済すればよろしい

患者の権利意識の向上と見合った患者の義務・責任感が欠如しているのが最大の問題点だろうと思う

ふじたん様
生活保護者が多い地域は、実のところ、周辺の無責任な地域の尻ぬぐいをしているのです。実例として、北九州市に流れ込む、福岡市を含めた周辺地域からの生活保護を必要とする人たちは、自らの意志というよりは、周辺地域から追い出される形での移動なのです。
その結果として、地域で生活保護を受給するべき人間が受給しにくい状況ができています。

 この時期本当に重要な指摘です。本文も、これまでのコメントも総べてみました。
 看護学校で法律を教えていますが、活きた法律、たたかう法律を心がけています。でも、経験にないことを理解するのは、正直、学生には困難のように思われます。
 社会保障に関する憲法の要請は、すべて国に対する義務付が基本です。医療も国民的な社会システムとして提供されている限りは、社会保障の問題だと理解します。その点を基礎におくと、個別事例の対立関係が、大きく全体の見える視点からみると、実は解決策が見えてくる、ということかなと思います。
 しかし、国に求め勝利し、改善を実現したことのない国民は、それを理解できるのか。国の在り方を問われ、問うた経験のない国民が、それをなし得るのか。挑戦的な課題に思われます。

 結局のところ、国民が税金や社会保険料をどれぐらい負担するのかでどの程度の医療が提供できるのかが決まります。

 問題は、納税者の大半は健康な人であって、医療現場や患者さんの負担よりも、自分の手取りを優先するということです。

 官僚も政治家も多数派としての健康な納税者の意見には逆らえません。

 健康な納税者が多数派の横暴を止め、然るべき負担をしてくれない限りは、問題解決は困難です。

中村利仁様

いえ。健康な納税者が社会保険料について大きな声をあげたことはありません。政治家(自民党)に圧力をかけてきたのは、国民と社会保険料を折半してきた会社経営者たちです。また診療報酬請求に対して基金の査定よりもきつい査定を強要しているのも企業組合です。止めなければいけない横暴な団体は経団連です。マスコミ報道にも影響を与えています。医療費が増加することに対して抗議行動を起こした市民団体を私は見たことがありません。

> いえ。健康な納税者が社会保険料について大きな声をあげたことはありません。

 彼等が立ち上がって声を上げたことはありませんが、負担増を求められる局面では常に投票行動で反対の意思表明をしてきました。あるいはそう取られるような投票結果を出してきています。

 マスコミ報道が果たしてきた役割の大きかったことに異論はありませんし、それが広告費収入を通じて経営者団体の意見を斟酌した結果ではないかという疑いは極めて強いと言うべきでしょう。

 しかしながら、健康な納税者が社会保険料について負担増を求める声をあげたこともありません。

 そしてそのことが問題を深刻化させてきたわけでもあります。

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