「相手の何を大事にして介護するのか」―認知症患者の介護家族の声④
■医療と介護を両輪にしておく
――そうですね、今は本人や家族が主体性を持って医療と介護を使っていこうというより、介護保険という制度が先にあって、そこに乗っかる形でサービスを使っている。というか、介護保険に「使われている」現状もあると思います。
介護保険に振り回されるのではなくて、自分がどう介護したいかを先立たせないといけないと思います。「安全、かつ人間らしく」は無理ですが、どう介護したら、というところで介護保険を使うのだと思います。生活にかかってくるので、介護保険の点数を考えざるを得ない現実はあるのですが。
――手段として介護保険や医療を使えるようにならないといけないですね。こういうことは、介護が始まっていない時から考えておかないといけない。
医療と介護は、常に同時進行でないといけないと思います。本人の健康診断や血液検査などをして、状況を把握しておくこと。その人を見送る時が来ることの覚悟をしておくためにも、健康状態を知っておく義務はあると思います。何もないからお医者さんに行かない、ではなくてまずそこからじゃないでしょうか。例えば看取りの時に、「お母さんを死なせてあげたいから病院に運ばない」ということだけが正しいのではなくて、病院に運ぶその人の状態がどうであるかを知っておかないといけないと思います。病院に運ばなくて良いということを考えるなら、それまでにきちんと医療にかかって、医師の意見も把握しておく。そうすれば何かあった時も、「きっとこうなんだろう」と慌てないですみます。だから、医療と介護は両輪であることが望ましいと思うんです。離してしまうと、いざとなった時に病院に頼るしかな場合もあると思います。医療には治療だけではなくて、普段からその人の健康を意識して、医者の判断を仰ぐということも含まれると思います。
――医師との関係づくりが大事ですね。
お医者さんにある程度物を言わないといけなくなります。二人三脚になって、横ではなく向き合って時に意見も言っていく。人間関係を作るという心づもりで意見や希望を言い、お医者さんの意見を聞いていくことが大事ではないでしょうか。
――今は普段から看取りや、死について普段からあまり考えず、救急車を呼ぶという方法しか分からなくて、医療に頼らざるを得なくなっている家族もおられますね。
みんなが「よりよい生活を」とか、生活の向上に関心が行き過ぎるあまりに、高齢者に関わる時間がないとか、余裕がなくなっているような気がします。乳児検診があるように、大人や高齢者にも健診は必要です。ある意味、他人任せ過ぎたり、家族や本人も大変なところまで来ないとお医者さんと向き合おうとしなかったりするところもあると思います。私の在宅医は、生まれてくることも死ぬことも病気じゃないので、病院で死ななくてもよいというようなことを言いました。私も義母の看取りを経験して、死は病気ではなく、人間は老いていくものであり、機能も一つずつ衰えて肉体は滅びていく、それは自然なものなのだと、怖がったりしなくていいものなのだと分かりました。自然に受け入れていいものなのだと。そういう会話は家でこそできるのであって、病院ではできないですよね。在宅医を勧めるというわけではないですけど、在宅医が家に来てそういう話をすることには意味があると思うんです。死は病気じゃない、病院に行かなくていいとお医者さんから言ってもらえると本当に安心します。