「相手の何を大事にして介護するのか」―認知症患者の介護家族の声④
少々アップが遅くなりましたが、「それゆけ!メディカル」4月25日号表紙を飾って下さった介護家族の方へのインタビュー、最後は栗栖典子さん(48歳)です。栗栖さんは、昨年10月にアルツハイマー型認知症とパーキンソン病だった義母の幸子さん(享年85歳)を自宅で看取りました。幸子さんは有料老人ホームに入所していましたが、栗栖さんは施設の介護内容に納得がいかず、在宅で介護することを決意。約1年半の在宅介護を経て、幸子さんは栗栖さんや息子、栗栖さんの母、栗栖さんの友人、在宅医や訪問看護師など親しい人たちに囲まれて亡くなりました。栗栖さんは、「介護を安全に綺麗に楽しく頑張る、なんてことはできません。危険も苦労もあります。相手に対して何を尊重するかが大事ではないでしょうか」と話します。(熊田梨恵)
■介護で「あれもこれも両立は無理」
――お母様には在宅でどのような介護をされてきたのでしょうか?
施設から戻って来た時の義母は元気がなく、自分では食べられなくなっていました。でもデイサービスとショートステイも使いながら、私も毎朝4時半に起きて、自分で食べてもらえるよう、トイレにも行ってもらえるように介助しました。認知症の薬もやめ、義母は私たちと一緒に外出できるぐらい良くなっていましたね。去年の夏の終わりごろから体調が悪くなってきて、それからはベッド上でオムツ介助をするようになりました。
――お母様は最期、皆さんに囲まれてお亡くなりになられたのですね。
義母が最期に息を引き取る時は、旅立つという感じでした。肉体は滅びて、内臓の機能も止まっていきますが、魂は最後まで凛としていたと思います。義母はみんなにお礼を言いたいがために、最期に瞳孔の開いた目を開けて、持ち上がらない首を持ち上げて会釈して、皆に「さようなら」と告げるようにして、旅立ちました。義母は管も何もつけていませんでした。あったのは手動の血圧計と、看護師さんの手だけです。亡くなる前の3時間、頑張る義母の姿は素晴らしかったです。
――在宅介護や看取りには、どんな心の準備がいると思われますか。
介護を「安全に、綺麗に、楽しく頑張る」なんて無理なのです。危険も苦労もあります。結局のところは、相手に対して何を尊重するか、相手の尊厳をどう大事にするか、ということではないでしょうか。怪我をしないということを第一優先にするなら、寝た切りやオムツ、流動食となります。でも人間の尊厳を考えるなら、多少の危険を冒してでも歩いてもらい、食事をしてもらい、トイレにも行ってもらいたい。安全ばかりを願う介護なのか、人間らしく生きることを願うのか、これは自分の中で分けないといけないことだと思います。本人が怪我をした時に自分が責められるのが嫌だから安全を選ぶのか、その人が嫌だと思うことはしないようにするのか。何を選ぶかは、本人の性格や生き様にすでに出ていると思うんです。義母の場合は「安全」よりも「人間らしく」のほうがよかった。どちらかしか選べないです。あれもこれも両立するなんてことは絶対ないと思います。
――そうですね、徹底的に安全を目指すなら、極端に言えばベッドに縛ってしまえば怪我はしない。
そうですよね。縛ること自体を責めるんじゃなくて、それは安全を目指しているからそうしているんです。でもそれは誰のための安全なのか、ということです。誰を主役に考えるのか。安全に健全に清潔に、と考えてオムツを替えて流動食にするのが本当に良いのかと真剣に考えないといけないし、在宅ではそこを考えないといけないと思います。