「平穏死の10の条件」―長尾和宏日本尊厳死協会関西支部長が講演
6、24時間ルールを誤解するな!
がんの末期で寝たきり、老衰など、看取りを前提にして診ている方が亡くなっても、それは「事件」ではありません。
医師法20条(*)が医療者を縛っています。正しい解釈は、「24時間以内に診察していれば、死亡に立ち会わなくても死亡診断書を発行できる」。でも、「24時間以内に診察していなければ、死亡診断書を発行できない。つまり、警察に届けなければいけない」と誤解しているんです。何もしていないのに警察に関わるのは誰も嫌に決まっていますから、医師は在宅を避ける。9割の医師が誤解しています。そんな誤解があるので特養では死ぬたびに警察が来て、警察の方から「勘弁してくれ」と言われるんです。病気で家で亡くなるのには、在宅主治医がいれば問題ないんです。主治医が往診する場合、病的なものじゃなくても寿命と判断したら診断書を書けます。予期された死については大丈夫です。私の周囲では在宅死の死体検案が非常に多いんです。警察からよく電話がかかってきます。ヘルパーが朝、独居の患者がトイレで亡くなっていたのを発見し、救急車を要請したと。救急車が出てこられなかったら、警察が来ます。そして警察が見たら事件性はないということで、「先生来てください。診断書を買いてください」と言われます。主治医が「今日明日がヤマ」や「死期が近い」と感じて亡くなっていく時、それは事件じゃありません。救急車を呼ばなくてもいいんです。そういう時は在宅医に電話してください。在宅主治医がいれば問題ないということはぜひ知っておいてほしいです。
*医師法20条・・・医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。
7、救急車を呼ぶ意味を考えよう!
老衰で救急車を呼ぶということは救急病院に行って、気管内挿管をして、心肺蘇生マッサージをやってくださいということ。延命して下さい、ということです。たまに「延命処置、蘇生は拒否。だけど生かしてください」と言われる方がいて、どうしたらいいか分からなくなります。救急車はすぐ来てくれますが、なかなか受け入れ先が見つからない場合もあります。救急車の意味をよく考えないといけません。亡くなってから、遠くの親戚が来て呼べと言われて呼んだけど、乗せてくれないこともあります。すると警察が呼ばれるんです。そしたら僕のところに連絡が来て、「先生助けてください、取調べが始まった、看取りのはずなのに救急車を呼んじゃった」と。そういう時はまず在宅主治医に電話してもらえればよかったのにと思います。
8、死ぬ前に葬儀屋さんと勇気を出して話してみよう!
病院と在宅の違いは何か。病院は生かすことしか考えません。全く文化が違うんです。生かすことが使命だから1秒でも長く生かそうとします。でも在宅では違います。亡くなった後のことも家族と相談しながら準備していきます。死期があと一日二日、となったら必ずこういう話をします。患者さんをお見送りする時の着物は何にするかとか、どんなご葬儀にするかという話もします。皆さん必ず泣きます。事前にこの気持ちを経験しておくことで、いざそうなった時の悲しみが軽減され、必要な行動を取れるようになります。こういうことを行うのが在宅医療なんです。そうやっていくことで、心の準備ができるんですね。最近は自分で葬儀を演出するかたもおられます。私の患者さんの中には、お亡くなりになる前に自分で葬儀屋さんを呼んで、お金も渡し、焼き場のことも話していたという方がおられました。私が行ったら葬儀屋さんがいるので驚きました。そういう人もいます。こういう準備をしていくことで、今何をすべきかと考えられるようになるんです。
9、「がん」も「非がん」も、脱水は友
2人に1人ががんになる時代です。3人に1人はがんで亡くなります。なぜかがんは特別扱いされますね、国立がんセンター、県立がんセンター、がん専門医、抗がん剤専門医もいます。がんは特別視されますけど、がんになるかそれ以外かです。それ以外の代表は老衰、認知症、骨粗しょう症、パーキンソン病などの神経難病ですね。がんは急激な経過をたどります。平均の在宅期間は1.5ヶ月です。がんでも穏やかな進行のものと急激な進行のものがあります。緩和医療を行います。非がんだとその倍、10~20倍の期間を過ごしますから、家族が介護を続けられるようレスパイトケアが大事です。医学管理も非常に重要で、検査と入院を繰り返すことになると思います。
食べられなくなって脱水が起こります。脱水は悪いことのように言われますし、脱水になったらいけないような気がしますが、終末期においては脱水は良いのです。なんで良いかというと、脱水のほうが苦痛が少ない、長生きする、そういう論文もあります。脱水は悪いことじゃないんです。カラカラの方が楽で長生きするんですね。がん末期に高カロリー輸液にしてしまうと、がんがどんどん大きくなります。がんが栄養を取って大きくなるから、胸に水が溜まって、痰が出て、吸引しながら亡くなっていくという事もあります。自然に任せると良く、脱水は悪くないことを覚えていただけたらと思います。
昔は8割の人が家で亡くなっていました。1970年代半ば、病院での死亡が在宅死の数を上回りました。がん患者の約9割が医療機関で亡くなっています。自宅はたった6%程度です。病院に入ると何かいいことあるかもしれないと病院に行く人もいたり、核家族化で家にいられない人もいると思います。兵庫県はがんで亡くなる方の数がトップです。でも1割の人しか家で亡くなっていません。厚労省は家で過ごせと言います。その方が医療費も多少は少ないかもしれないし、その人らしいQOLを保てるという意図もあります。しかしそれはなかなか実現しません。なぜならお医者さんが大変だからです。24時間診るというのは本当に大変で、私も診ていますが、夜中も起こされるし、朝から往診に行くし、ひっきりなしに電話がかかります。ほとんど眠れません。これでは病気になる人もいると思うし、奥さんに怒られる人もいると思います。
在宅看取りをしながら気付いたことがあります。医師からすらなかなか信じてもらえないのですが、自然経過に任せると本人の苦痛は少ないです。自然な脱水があると胸水や腹水がたまりにくいのです。水を抜くこともほとんどない。亡くなる直前までADL(日常生活動作)は良いです。癌性腹膜炎でも結構食べられます。腸閉塞だから食べられないのが普通だけど、食べられるんです。生きるとは食べることだから、私もちょっとでもいいから食べて生きていきたいと思います。
10、すべての病気に緩和医療を!
緩和医療とは「痛み」を和らげる医療です。「痛み」には、身体的苦痛(疼痛、呼吸困難など)、社会的苦痛(働けない、ハンディキャップなど)、精神的苦痛(治療や病気への恐怖、見通しへの不安など)、スピリチュアルな苦痛(「なぜ死なねばならないのか」など答えのない問い)があると言われます。それも含めて、いろんな痛みを和らげます。麻薬は体の痛みを和らげるもので。今は非常に便利になって、様々な剤形があります。液体、貼るものなどとても使いやすくて普通に使えるようになったと思います。在宅医で大丈夫かと思われるかもしれませんが、緩和医療をちゃんと勉強しているので大丈夫です。
痛みは痛みでも、がんじゃない痛みを感じている人はたくさんいます。腰部脊柱管狭窄症が非常に多いです。緩和医療はホスピスで、諸外国で対象として多いのはがんとエイズです。緩和医療はすべての人に適用すべき概念だと思います。今まで麻薬の使用はがんしか通らなかったけど、がん以外の痛み、何にでも使えるようになっています。でもいい。線維筋痛症、骨粗しょう症にも使えるようになりました。緩和医療の対象が広がってきたというイメージを持ってもらいたいと思います。
在宅で看取っていると、皆が尊厳死だったと思います。不謹慎な言い方かもしれませんが、皆さん、亡くなった後に安堵の表情があります。大往生をしたと、仕事をやり終えたと、めでたい雰囲気すら流れる時もあるんです。尊厳死、平穏死だと感じます。
胃ろうはすべてが悪いものではありません。生きて楽しむための胃ろうもあります。胃ろうは元々、約30年前にアメリカで嚥下障害のある脳性まひの子供のため開発されたものなんです。口から食べられない人でも栄養摂取が可能になって長く生きられるので、先天性の奇形のある赤ちゃんのように、未来ある人には必要です。でもそれがなぜか日本では高齢者の延命に使われるようになってしまいました。何かおかしくないですか? 認知症終末期で、全く意識のない状態の人への胃ろうをどう考えるでしょうか。病院で研修医は「退院時に胃ろうにしないと家族が困る」と教育され、十分な同意なしに胃ろうにしてしまうと聞いています。そして内視鏡で胃ろうを入れていく技術がどんどんと発達する。その結果、日本では毎年20万人も胃ろう造設者が増え、亡くなる方を除いても合計すれば甲子園球場8個分の40万人にもなるそうです。中には胃ろう専門の高専賃まであるそうです。特養に胃ろうの人は受け入れられにくいので、逆に入れるよう枠を用意しているという訳の分からないことになっているようです。
胃ろうの何が問題かというと、注入を中止できないことです。本人が植物状態になっても中止できない。やめれば医師が罪に問われる可能性があります。だから、日本静脈経腸栄養学会というところで、注入中止のガイドラインを作ろうとしています。生きて楽しむための胃ろうは必要です。活用して、床ずれが治って元気になったり、口から食べられるようになったり。またALSの方については延命ではなく福祉用具として捉えることができます。胃ろうがすべて悪いのではなくて、病気、病態、病期を考えて活用することが大事です。
尊厳死のキーワードとしては、人間としての尊厳が保たれること、そしてあくまで本人の医師であって、家族は関係ありません。不知、かつ末期であるという事です。憲法13条には、幸福追求権があります。私たちはそれを求められるんです。尊厳死と安楽死はまったく異なるということをご理解下さい。死を早める積極的安楽死や自殺幇助を尊厳死とは考えません。
日本では、助かる見込みのなくなった時に延命処置を行わないでほしいと意思表示する「リビング・ウィル」と言われる方法があります。私は臓器提供カードにリビング・ウィルも書いていいと思っています。たとえ認知症になった時でも、延命を拒否する権利は備わっていると思います。延命中止の合法化は、医療者ではなく国民を中心に進められるべきと思います。
私自身は尊厳死ではなく「尊厳生」だと思っています。患者さんの中にも、生きていることがどうなのだろうかと思う人がおられます。尊厳を持って生きておられる状態でないといけないのではと思うのです。リビング・ウィルと緩和医療を両輪に、議論を進めていくべきと思います。
1992年には医師会が尊厳死を容認し、厚労省の終末期医療のガイドラインもできました。2005年には尊厳死法制化を考える議員連盟が発足して、今議論が活発化しています。この法案を通してほしいという活動が尊厳死協会の役割の一つです。どこの国もこの問題に悩んでいますが、なんとかしないといけません。こんなにも胃ろう患者がいるのは日本だけです。
私は、延命中止を合法化すべきと思っています。実際の現場では、医療者とご家族が、"阿吽の呼吸"で中止している場合も多くあります。医療者に聞くと、皆そう言います。でもこのままではいけません。これから確実に高齢者は増え、尊厳ある状態とは言えない状態で生かされる方が多くなってしまいます。ご家族が尊厳ある死を望んでも、医療者は逮捕されるから中止できない。その人が生活の中で最優先していることに寄り添った結果が逮捕とは、おかしな話です。患者さんの力が必要です。患者さんの理解、力がないと世の中は変わっていきません。
私は尊厳ある「生」を生きること、その結果が尊厳死だと思っています。
*『「尊厳ある生」の「尊厳」とは何か』と講演終了後に長尾氏に聞いたところ、「嫌なことをされないこと」。
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