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「一度自宅を見に行きたい」いわき市からの避難者の声

DSC_0117.JPG 東日本大震災による津波で自宅を失い、兵庫県尼崎市で避難生活を続けている新妻清茂さん(福島県いわき市、80)は、「避難してから一度も戻れていないので、流されてしまった自宅がどうなっているか一度自分の目で見たいです。ここで避難生活を続けながら行き来して、あちらの様子を見ながらゆっくり復旧や、今後の生活を考えていけたらと思いますが、移動にお金がかかってしまうので難しいです」と話した。(熊田梨恵)

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ロハス・メディカル関西版「それゆけ!メディカル」の取材で、長尾クリニックが主催する在宅患者さんやご家族とのお花見にお伺いしました。するといわき市から避難されている方も参加されているとのこと。ご家族のお一人が風邪をひいて、避難している住宅の近くにあった長尾クリニックを受診したのがきっかけだそうです。関西で避難生活を続けておられる方の生の声を伺いたいと思い、自宅にまでお邪魔させて頂きました。
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 福島県いわき市内の海沿いの地域に暮らしていた新妻さんは、東日本大震災による津波で自宅を流され、住宅から家財道具などすべてを失った。しばらくは高台の地域に住む親戚の家に妻の満利恵さん(74)や息子夫婦と身を寄せていたが、原発事故が発生して親戚も県外に避難することになり、息子夫婦とともに移動。仕事の都合で栃木県宇都宮市に残ることになった息子夫婦と別れ、新妻さんは17日から弟の持つ尼崎市内の事務所用マンションの一室で満利恵さんと共に暮らしている。途中で合流した親戚の佐藤六郎さん(83)琴子さん(77)夫妻も一緒だ。
 
 新妻さん夫婦はいわき市内で賃貸業などを営んで生活していたが、自宅は流され、マンションも一部倒壊。新妻さんは「流された家がどうなっているか、マンションも見に行きたいです。それに復旧には長い時間とお金がかかります。いわきに戻りたいと思いますが、まだ原発のことが今後どうなるか分からないのでとても不安です。尼崎もいいところなので、ここに住みながら、行ったり来たりして様子を見ながら生活するようにできたらとも思います。安全な場所にいながら落ち着いて、今後のことを考えていきたいと思っています。でも家にあった現金も流されてしまい、行き来できるようなお金の余裕はないのでなんとかしてもらえないかと思います」と話す。新妻さん夫婦は着の身着のまま、通帳など貴重品をつめた小さなハンドバッグだけを持って避難してきた。新妻さんが持っているメモには預金残高やマンション建設のための借入金の額が書かれている。
 

 佐藤さん夫婦の自宅は地震による被害は受けたもの、高台にあったため津波からは逃れた。落ち着いたら自宅の様子を見に一度帰りたいと言う。ところが尼崎市に避難してから、琴子さんの変形性膝関節症が悪化し、車椅子での生活になった。六朗さんは「一度自宅に帰りたいのですが、妻のこの足では新幹線は難しいです。タクシーでいわき市まで帰ったら25万円もするといいます。最初はそれを値切って一人3万円ぐらいで帰れないかと考えたりもしていたんですが、そうもいかなくて・・・・・・」と話す。六朗さん自身も避難後に体調を崩しており、「避難してから精神的なショックで尿がしばらく出なくなりました。本当に苦しかったです。今も精神的なストレスで夜も眠れません」と言う。
 
 
 日中は、股関節の亜脱臼を患う満利恵さんと車椅子の必要な琴子さんは部屋の中で編み物などをして過ごしている。「することがないし、余計なことを考えてしまうので」と満利恵さんはセーターを編みながら話す。清茂さんと六朗さんはそれぞれに散歩や買い物などをして、夜は4人で被災地のニュースを聞きながら眠る。清茂さんは「昼はいやなことを考えなくて済むんですが、夜になると気弱になって原発のこととか悪いことばかり考えてしまいます。でも安全な場所にいるから、落ち着いて今後のことを考えることもできると思うんです。あちらでは余震が怖くて精神的に参ってしまうと思います」と話す。
 
 清茂さんは続けて話した。「いわき市は原発のことばかり報道されますが、地震や津波による被害も大きくて、私のように家が流されてすべて失ってしまった人もいます。息子も会社はありますが、自宅待機を言われています。他にも会社がなくなったり、職を失った人もたくさんいますよ。まだ『放射能』も怖いですし、福島の人たちは原発の影響を受けてこれから結婚とか就職とか・・・色々言われることがあると思います。悲しいですけど、人間にはそういうところもあると思うんです。福島は、家が流されてなくなってしまった人、そして原発、それから経済の問題。この大きな3つがあると思うんですよね。私も家の中のものが流されてしまって一体どうなっているのか、最近は盗難も出ているというので気が気じゃないです。私達はまだ関西に逃げてこられたからいいけど、ツテがない人はずっと避難所にいるしかない。それはとてもつらいですよ。仮設住宅もクジで当たった一握りの人しか住めない・・・。私もここでお世話になった人たちに、福島の沖で採れるウニやアワビをお送りしたいですが、漁業も大変なことになっていてやめざるを得ない人たちがいる。農業もそうです。私も本当のホームレスになりました。息子夫婦とも離れ離れです。マンションをどうにかしようにも、そのお金だってないです。借り入れは残っているままなのに、収入は入ってこなくなる・・・。でもここからがんばらないといけないと思います。まだ現実を受け止め切れていないところはあると思いますが」
 
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