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どこまで倫理的に許されるのか。

 ゲノム診断の対象となるのは、この世に生まれ落ちてからとは限りません。母親のお腹の中にいる胎児のころから始まっています。
 これは出生前診断あるいは胎児診断と呼ばれ、妊娠中の母体の血液や羊水を通じて胎児の障害や病気を調べるもの。今では100以上の病気が分かるようになっています。なかでも、母親の血液を調べるだけで胎児がダウン症かどうかの確率がわかる「母体血清マーカー検査」は、1994年以降急速に広まりました。
 もともとこの検査はダウン症の可能性を見極めるためではなく、胎児の脳や脊椎など神経系の障害について調べるために開発が進められたものでした。それが偶然、同じ指標から、染色体異常によるダウン症や心臓奇形についても確率が推測できると分かったのです。
 母体血清マーカー検査で高確率と診断された妊婦さんの場合、お腹に針を刺して羊水を調べる「羊水検査」を行えば、ダウン症かどうかの確定診断をできます。
 ただし、リスクもあります。3百人に1人はこの羊水検査が原因で流産するとも言われます。また、費用は胎児ひとりあたり10万円ほどかかります。
 そして何より、この出生前検査・診断にはさまざまな倫理的問題を含んでいます。
 検査の結果、胎児がダウン症と診断された親御さんのうち、9割以上が人工中絶の道を選ぶとされます。
 残念ながら、日本の現状では、ダウン症などの障害者に対する社会的サポートはまだまだ充実しているとはいえません。そこへ障害者を出生前にあらかじめ排除するような社会的風潮が生じれば、彼らにとってますます「生きにくい」社会となっていきかねません。障害を持つ人の「生きる権利」にも関わってくるのです。
 それにもかかわらず、そうしたことをしっかり考えないまま、「念のため」出生前診断を受けてしまう妊婦さんが多いといいます。また、事前の説明が不十分な場合もあり、それが問題を大きくしています。例えば、検査で陰性と診断されたのに実際には障害を持って生まれてきた場合、親としてそうした子どもを受け入れることが心理的により困難になることが多いそうです。それで訴訟にまで発展したケースもあります。

知らずにいる権利

 出生前診断だけではありません。この世に生まれてきてからも、「ゲノム差別」が実際に起きてきています。国の新生児検査で遺伝情報から先天性疾患と診断された子どもたちが、保険への加入を拒否されたり、障害の事実を伏せていたために契約違反で解約させられたりしているのです。新生児検査でわかる病気はほとんど、早期に治療すれば問題はなくなるものにもかかわらず、です。
 今後、ゲノム情報は技術的にはより簡単に入手できるようになっていくことでしょう。その時には逆に、「病気のなりやすさ」だけで保険会社等が〝患者予備群〟を作り出し、契約に利用するなどというケースも出てきかねません。
 それに、治療法の見つかっていない難病の発症可能性が容易に分かってしまうようになれば、ますます「生きる権利」が具体的に問われてきますし、本人の生きる希望という意味で心のケアが必要になってきます。
 ゲノム情報利用の社会的ルールが確立しない現状のままでは、保険だけでなく、将来的には雇用や結婚などでもゲノム差別が進んでしまう恐れもあります。
 病気の治療や予防など、個人のゲノム情報からわかること、そのメリットが多いことは、これまで見てきた通りです。しかし予防や治療の手立てがある病気ならまだしも、治療の見込みのない病気を知ることは、かなりの覚悟を必要とします。自分や家族の未来を決定する上で、覚悟して「知るべき」という決断を下すならかまいません。しかし、読解の技術が進み、ゲノム情報が簡単に入手・流通しやすい世の中になった時、知りたくないことを「知らずにいる権利」がきちんと守られていなければならないですよね。個人としても、自分自身のゲノム情報にどう向き合うべきか、あらかじめ心構えをしておくべきなのかもしれません。

デザイナー・ベビー  ゲノム読解の技術を受精卵に応用して、受精卵をふるいにかける「着床前診断」や、受精卵の遺伝子を操作する「受精卵治療」も、現実のものとなってきています。これを突き詰めていけば、親が望む体質、容姿、能力等を備えた「デザイナー・ベビー」が誕生することになるでしょう。  しかし、子どもの生命や人格を親あるいは医療者が勝手に操作するもの。子どもに選択の自由の無いところにまず倫理的な問題があります。また、未来の子孫のことを考えたとき、人類全体の多様性や生命力に影響が出るのではないかという懸念もあります。  そのため現在、着床前診断については、日本産科婦人科学会が重くて治療法のない病気に限ってこれを認めています。
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