福島県立大野病院事件第八回公判

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2007年09月29日 08:29

大変お待たせしました。
またしても証人1人なのに午後7時半までのロングラン。
証人は弁護側が病理鑑定を依頼した
中山雅弘・大阪府立母子保健総合医療センター病理科部長。


ただでさえ素人には病理の話が難しいうえ
検察側病理鑑定者の証人尋問の際
傍聴を半分しかしてないため
ハッキリ言ってチンプンカンプンだった。
いずれ周産期医療の崩壊をくいとめる会サイトに
精密な尋問録が載るはずだが
それまでのツナギとして、できる限りの報告をしてみたい。


この日は3カ月ぶりに地裁で最も広い1号法廷。
直近2回を狭苦しいところに押し込められた甲斐あって
一昔前の映画館程度には座り心地の良い椅子になっていた。
くつろぎながら待つが
開廷の午前10時になっても裁判官が入ってこない。


はて? と思っていたら
吏員が「三者協議を行っております」と告げた。
何かトラブルか? と思ったら何のことはない。
尋問に立つはずの弁護士が
資料一切をタクシーに置き忘れてしまったのだという。
結局22分遅れで始まり
尋問の冒頭に弁護士が深々と頭を下げた。
この時点では、そんなに長引かないと思っていたので
笑っていられたが
あんなに長引くとはじめから知っていたら
傍聴席もきっと殺気立ったに違いない。


長引かないと思ったのには
それなりの理由がある。


病理鑑定は
検察側が立証すべき予見可能性、回避可能性のうち
現在までの流れでいうと
どちらかと言えば予見可能性立証のパズルピースである。
つまり
S講師が鑑定したように前壁にも癒着があったならば
事前に危険を予見できたはずという理屈が成り立つが
前壁に癒着があったかどうか分からないということになると
業務上過失致死が成立しなくなってしまう。
その意味で
弁護側はS鑑定の信用性を疑わせれば十分なのに対して
検察側は中山鑑定を完膚無きまでに葬り去ったうえで
S鑑定の信用性を守らねばならない。


だが、第一人者は中山部長の方である。
確かに病理はクリアに線引きできる類のものではないので
因縁をつけようと思えばいくらでもつけられるらしい。
とはいえ「そもそも病理に100%はないんでしょ」的な尋問をすれば
天ツバでS鑑定の信用性にも響く。
だからグダグダと尋問することはないだろうと思ったのだ。
しかし、検察には、そんな「一般人の発想」は通用しなかった。


前置きはそれくらいにして本題に入ろう。
中山部長は、いかにも大阪の人という感じで
初めての証言台だと言うのに緊張した色も見せずに
サービス精神旺盛に大阪弁で滑らかによく喋る。
単に聴いているだけなら楽しいのかもしれない。
でもメモを取る身からすると
「もう少し端的に答えてください」とお願いしたくなる。
質問の途中から答え始めるので
裁判長や検察官から
「質問が終わってから答えてください」と何度も言われていた。
もし答えがぶっきら棒に読めたら
それは中山部長ではなく、メモ起こしをした当方の責任である。


弁護側の尋問に答えたところによると
中山部長は大学卒業後
いったん小児科の臨床医として4年ほど働き
その後、病理医に転身した。
神奈川県立こども医療センターで研修を行い
英国留学を経て当時新設の府立センターへ。
以後26年間ずっと
ハイリスク母体、ハイリスク新生児を扱う同センターに勤務。
過去に病理診断した胎盤が5万例、子宮が710例ほどという。
凄まじい経歴である。
腫瘍全般を専門としていた検察側鑑定人のS講師とは
まさに見てきたもののケタが違う。


では、ポイントになりそうなやりとりを拾う。
弁護人 (顕微鏡で診断するための試料をつくる際に作業工程が試料に対して)影響を与えることはありませんか。
中山部長 もちろんあるわけです。
弁護人 そういう人工操作の影響をアーチファクトと呼ぶのですね。 
中山部長 はい。
弁護人 具体的にはどのような影響がありますか。 
中山部長 たとえば胎盤絨毛はバラケやすいです。
弁護人 と言いますと。
中山部長 パラフィン固定をする時、カセットに入れてやるんですけれど、他の臓器のカセットもいっぱい同時にやるので、絨毛が移動します。カセットに小さな穴が空いているからです。穴が空いていないと液体も出入りできません。
弁護人 アーチファクトの影響はどのように判断しますか。 
中山部長 別の臓器に乗っている場合は、あり得ない場所に細胞があることになるので比較的わかりやすいです。しかし同じ臓器の場合は要注意です。
弁護人 子宮に絨毛があった場合、見分けるのはより慎重にすべきということですね。 
中山部長 そうです。
弁護人 ほかにアーチファクトはありますか。
中山部長 手術操作もアーチファクトです。


(中略)


弁護人 残存子宮片について伺います。肉眼で分かったことは何ですか。 
中山部長 後壁に対応する部分がザラザラで前壁は滑らかでした。
弁護人 胎盤が癒着していたのは前壁ですか後壁ですか。 
中山部長 後壁です。
弁護人 前壁には?
中山部長 肉眼ではありません。
(中略)
弁護人 顕微鏡で見て分かったことは何ですか。
中山部長 全体としては大体肉眼と合いました。
(中略)
弁護人 絨毛は、どこに観察されましたか。
中山部長 結構いろいろな所に見えました。
弁護人 それは胎盤が癒着していたということですか。 
中山部長 先ほども説明しましたようにアーチファクトの可能性がありますので、癒着がないところでも見えます。
弁護人 S博士の鑑定では、絨毛があるということは、胎盤があったことになるというのですが。
中山部長 肉眼での所見と合わせてみれば、ちょっとムリな想定だと思います。絨毛があっただけで、そこに胎盤が乗っていたというのは乱暴です。
弁護人 癒着胎盤の場所は、肉眼所見と一致しましたか。 
中山部長 ほぼ一致しました。


(中略)


弁護人 まとめますと、癒着は後壁のみで前壁には認められないということでよろしいですか。
中山部長 はい。


第一人者にここまで言われてしまったら
普通はバンザイするしかないはずなのだが
本日も登場のS検事、静かに淡々とネチネチと粘るのである。
それも4時間以上。
正直に白状すると、その4時間
また因縁をつけているとしか思えず、メモをほとんど取れなかった。
何を4時間質問していたかは、「くいとめる会」サイトを見てほしい。
だが
証人が疲れてからの最後の10分にやはり見せ場を用意していた。
それも懐かしのそり込み検事と同じイリュージョンだった。
どうやら検察の伝統芸らしい。


その最後の部分である。
検事 平成18年の8月に試料を見て、11月に最初の鑑定書を書き、ことしの8月に追加の鑑定書を書いたということでよろしいですね。
中山部長 そうです。
検事 当初の鑑定書ではアーチファクトの可能性について言及がされていないこと、前壁の一部から絨毛が観察されていることはよろしいですね。
中山部長 はい。
(中略)
検事 最初の鑑定書は本文2枚と経歴、参考資料でしたが、追加鑑定書は本文が10枚になりましたね。それから写真の説明も当初は手書きで上下左右などと書いていましたが、最初のものは一人で作成されたのですか。
中山部長 基本的には一人です。
検事 ワープロ書きもご自身で写真添付もご自身でやられた。
中山部長 (うなずく)
検事 追加鑑定書は随分立派になりましたが、どなたかに手伝ってもらったのですか。
中山部長 弁護士さんに手伝ってもらったりしました。
検事 どの辺りを弁護士さんに手伝ってもらったのですか。
中山部長 写真の向きを変えたりといったことです。
検事 具体的にどのような作業ですか。
中山部長 写真の並び換えなどです。
検事 S博士の写真との対照なんかもコンピュータでやっているようですが。
中山部長 ええ、やってもらいました。写真と説明があっているかの確認も、一部はやっていただきました。
検事 要職にあられるわけですから、ご自分でおやりになる時間はありませんよね。
中山部長 いえいえ、基本的には私が自分でやりますよ。
検事 職場の府立母子保健総合医療センターの部下の方に手伝ってもらったりはしなかったのですか。
中山部長 ほとんどなかったと思います。
検事 すると手伝っていただいたのは弁護士の方々だけということですね。
中山部長 写真の並び換えなんかをですね。
検事 書式も最初と追加のものとでは随分変わりましたよね。
中山部長 少し細かくなりましたので。
検事 最初のは単なる箇条書きだったのが、追加のものは大1、1、(1)、①という風になりましたね。
中山部長 内容に即してですね。
検事 この書き方は、法律家が使う公文書のものと同じですが、ご自分で考えられたのですか。
中山部長 どうでしょうか。
検事 どうでしょうかと言いますと。
中山部長 自分で書いたか覚えてないです。
検事 書いたものを弁護士の方々に見せてから清書したりはしませんでしたか。
中山部長 ディスカッションとか確認をしたことはあります。
検事 ディスカッションとは何ですか。
中山部長 写真の並べ方とかです。
検事 結論の相談とかではありませんか。
中山部長 結論は僕が書くんですけど。
検事 下書きをあらかじめ見て(メモ不完全)
中山部長 自分で見て書きます。
検事 あらかじめ目を通してもらったことはありませんか。
中山部長 ああ、まあ見ておられるとは思いますけどね。
検事 その結果、これを書いてくださいとか、削ってくださいとかいうことはありませんでしたか。
中山部長 それはありません。
検事 じゃあ、なぜ相談したのですか。
中山部長 写真の向きとかですね、それから表現が分かりやすいかどうかなんてのは相談しないと。
(中略)
検事 追加の鑑定書は、体裁も資料もたいへん立派ですね。どうして最初から作らなかったんですか。
中山部長 すみませんね。
検事 終わります。


弁護側が自分たちに都合の良い鑑定書を書かせたのでは、と
中山部長の信用性を疑わせる手法であり
それが社会正義にかなうかどうかは別にして
なかなか見事な追及である。
しかし繰り返しになるが、この
みんなグルだぞイリュージョンショーは、過去に二回見たことがある。


5分の休憩をはさんでN検事による補充尋問。
このN検事、第二回公判でチョンボをして
そり込みT検事の最初のイリュージョンを台無しにしたことがある。


(前略)
検事 アーチファクトの考え方は、いつ頃から変化してきたのですか。
弁護人 異議。アーチファクトに関して1回目の時に考えていなかったとは証人は答えておらず、考えが変わったというのは誤導です。
検事 1回目の鑑定書に書かれていないことが出てきた経緯を聴いているのです。
裁判長が裁定を下す前に中山部長が答えてしまう。
中山部長 いつぐらいからかは分かりません。段々とで、きっかけがあってということではありません。
検事 きっかけはないのですか。
中山部長 どんなきっかけですか。
検事 きっかけになるような出来事です。
中山部長 こうひらいめいたということではないですよ。それとも何ですか。誰かから吹き込まれたということでしょうか。それはありませんよ。ハッキリ言って。
(中略)
検事 一回目の鑑定でアーチファクトに言及していませんよね。
中山部長 書かなかっただけで、一回目に書かなかったからといって、まったく考えてこなかったわけではありません。
検事 (略。自然科学の研究手法について滔々と述べ)仮説が変わっているなら、実際に試料に戻って検証するべきではありませんか。
中山部長 でも、絨毛のある場所といった基本的なところは一回目と追加の鑑定書とでほとんど変わっていませんよ。


ここでさらに追及を続けようとした検事に対して
裁判長 ちょっと待って。何が聴きたいの? 端的に聴いて。
法廷に失笑が漏れ
この後は、中山部長が、検事に対してケンカを売る感じになった。


S検事が寸止めで思わせぶりに質問して
証人に言いたいことを言わせず、なかなかの幻影を浮かべたのに
またしても
N検事が聴かなくていいことまで聴いて墓穴を掘ったようにみえる。
これは果たして偶然か?
検察側が勝手に失点するのを
こちらが心配する必要はないのだが
大きな手が画を描いているような薄気味悪さを感じた。


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コメント

 こういう意図的な引き延ばしとも取られかねないような長時間の尋問を続ける様子を見聞していると、検察官に対する信頼が著しく低下していく気がします。

 こういう検察官ばかりとなると、日本の法廷の真実追究の姿勢と正義の在り方に、疑問を感じざるをえません。

 現在までの所、警察の捜査の在り方についてはあまり取り上げられてきていませんが、もしも、検察官と同然の姿勢で事件に臨んでいるのであるとすれば、少なくとも自分は警察・検察の捜査に積極的に協力したいという気持ちになりません。

 もちろん、警察官もいろいろ、検察官もいろいろ、尊敬できる人も少なくはないのでしょうが…。

 警察官、検察官の質の管理はどうなっているのでしょうか。

>中村利仁先生
コメントありがとうございます。

法律を使ってゲームしているように見えますね。

 川口さん、こんにちは。

 随分昔になっていまいましたが、交通事故死や不審死の検案を引き受けていた関係上、何人か警察官の知り合いがいた時代がありました。

 先方が自分のことをどう思っていたのかは分かりませんが、田舎の警察官は与えられた条件下で精一杯まじめに業務に取り組んでいたように思います。

> 法律を使ってゲームしているように見えますね。

 随分昔から法廷小説という分野があって、このゲーム性が人気の源だと思うのですが、現実の方が小説よりも格段に不真面目な印象を受けるのはどうしたものでしょう。

…あるいは不真面目というよりも、自己の利益を追求しているというか、まわりがそのための道具立てになってしまっているというか…。

 頭の良すぎる人というのは、こういうものなのでしょうか。

>中村利仁先生
法廷では、法律家とそれ以外の人とが
対等でないからではないかと思います。
法律家もチョンボしたら罪に問われるようにすれば
もっと緊張感が出るのではないでしょうか。

川口様

医療崩壊と切り離して、この裁判の経過をこのブログで読んだ正直な感想です。

お医者様のブログですから、当然に、皆さんは、被疑者の味方のようですが、どなたも被害者のことを考えていらっしゃらない様子。このブログを読んだ限りでは、被疑者があのときにこうしておけば、患者が助かったかもしれないと感じられます。患者の家族は当然にそのように思っていることでしょう。

そのような、患者の家族の立場に立てば、検察官は当然のことをしています。検察官は犯罪を犯していると思慮する被疑者を有罪にするのが仕事ですから。

>読者より様
コメントありがとうございます。

水掛け論になるかもしれませんが
犯罪を検証するためなら
関係者はどんな仕打ちを受けても
我慢しなければいけないのですか?

 読者より さん、こんにちは。

 まず、刑事裁判の目的には。患者さんやそのご家族の救済は入っていないと考えていただいた方がいいだろうと思います。附帯私訴という制度もはじまりますが、あくまでも附帯して行われるものであって、主目的とは遠いものです。

 検察官は患者さんやその遺族のために働いているわけではありません。法に尽くすことによって国家・国民にために働いているのです。

 民事訴訟では経済的損失の帰属先が決定されますが、金銭的なものだけで患者さんやご家族が納得されることはありません。却って不幸になる場合が見受けられます。…だって、そもそもがお金の問題ではないのですから。

 医療訴訟に対して患者さん側が求めているのは真実です。全ての事実が法廷に提出され、専門家の評価がなされ、弁護人と検察官が意味づけをして、裁判官と国民、患者さんとご家族の目に真実が明らかになることが求められています。

 しかしながら、現実の法廷では、弁護人と検察官が互いの主張に有利な証拠が採用され、不利な証拠は採用されないように努力をするところから全てが始まります。このことを見ても分かるように、期待されている真実の追究からほど遠い方法論が採用されています。

 とくにこの裁判の検察官のゲームとしての裁判のやり方には、目に余るものがあると感じています。

 誰かが何かをすれば、あるいはしなければ患者さんが助かったかも知れない、とお感じになっていらっしゃるのは当然と思います。

 しかし、ほんとうにそうでしょうか。

 この裁判の被告である医師がその場にいなければ、この患者さんはやはりほぼ確実に亡くなっただろうと自分は考えています。そして、分娩医療に従事する多くの医師が、たとえ自分自身が充分な設備・薬剤・マンパワーのもとで同じ患者さんの診療に従事しても、やはり救命できなかったであろうと考え、その意見を表明しています。

 事件が報道されはじめた頃から既に、医師の間ではこの事件の医学的検討がされていたからです。

 今回の病理学的検討が明らかにされたことによって、最後のピースが埋まりました。

 少なくとも自分の意見は変わりません。

 亡くなった患者さんとご家族の不幸は言うまでもないことですが、患者さんの不幸を思うことと、この医師を罰することの間には全く何の関係もないと考えています。

 医師をはじめとする医療関係者が亡くなった患者さんのために尽くすことは、専門職としての知識と経験の蓄積によって、次の不幸を生み出さない工夫をするところにあります。そして残念ながら、現場の人手不足、ベッド不足、資金不足の状況の中では、その実現は極めて困難であるとも考えています。

誰かが医療行為を受けて亡くなったときに、犯人を捜さずにはいられないという意識を捨てないと、この国の医療崩壊は止められないでしょうね。

ロハス・メディカルともども読ませてもらってます。

>読者より様

>お医者様のブログですから、当然に、皆さんは、被疑者の味方のようですが、どなたも被害者のことを考えていらっしゃらない様子。

何か勘違いされておりませんか?
ここは基本的に我々患者向けのブログですよ。医療裁判の記事だから当然お医者様も見ておられるようですがね。というか、「お医者様のブログですから、当然に、皆さんは、被疑者の味方のようですが」という表現に、レッテル貼りによりこのブログの価値を貶めているような印象操作を感じるのは私だけでしょうか?
また、「被疑者」という誤用(正しくは被告人)もされておりますが、普通この表現を使うことは稀ですよね。これも意識的になされている印象を受けます。ぱっと見、「被疑者」の方がより極悪人におもえますから。
もうひとつ、当然「被害者」でもありませんよね。「亡くなられた方」と「御遺族」であるべきです。

>読者より様

>このブログを読んだ限りでは、被疑者があのときにこうしておけば、患者が助かったかもしれないと感じられます。

数年前から医療過誤報道が報じられるようになり、当時は私もそう考えた時期がありました。
自分なりに(病気の情報収集も兼ねて)書籍やネット等で調べて初めて、ごく一部を除いてこういった考えの殆どは浅はかであったと確信しました。
読者より様
「あのときにこうしておけば、患者が助かったかもしれない」というのは無駄とは言いませんが、所詮「後出しジャンケン」です。医師は刻々と変化する妊婦の変化に、(結果的に後からわかった)情報が少なくともその時点で決断し、対応しなければなりません。根本的な誤りがあれば別でしょうが、この裁判を通してそのようなものは一切ないようです。「あのときにこうしておけば、患者が助かったかもしれない」というのは、医師の自省や検討会レベルでのみなされるべきで、この一言で医師を裁いておれば今頃日本国内の医師は全員塀の中ですね。

より様

患者側に立つ者として、率直な意見であると思います。その気持ちも理解できます。

しかし、もし、これを犯罪として認めてしまったらどうなるでしょうか?今回の事態はどんな名医でも防ぎきれなかった可能性が高いと思います。予見できないことが治療中発見されてしまい、それをすべて「誤診」という範疇ではなく、犯罪という範疇に含めてしまったら怖くて医療なんてできません(医療というのは確実な者ではなく、確率論です。何が起こるかわかりません)。そして現実に医療従事者たちはそれをおそれて逃散し、結果は皆さんのおわかりの通りです。

私は医療者側の立場の人間ですが、最近の訴訟の傾向として論理的思考が感情的思考よりも優先する傾向があると感じています。我々医療者も救いようのない過誤とかであれば、文句なく「糾弾されて仕方がない」と思うでしょう。しかし、最近は医療崩壊を導くような判決が増えています。
ここ10年くらいの間に起きた患者側のために処罰を、という世論の結果が現在の医療崩壊だと思ってくださればなおわかりやすいと思います。
患者がかわいそう、というのと医師を犯罪者として裁くか、ということは全く別の次元の問題です。当の被疑者だって亡くなった患者の冥福を祈っていますよ。個々に出入りしているブログの医療関係者住民だって冥福を祈っていますよ。だからこの医師は犯罪者、というのであれば、正直言って世の中の医師の多くは犯罪者になっています。少なからずとも死亡や傷害に至らないまでも、医療過誤を起こした医師は大多数、と思ってくださって結構です。そうなると日本は犯罪医師大国になってしまいますよね(念を押しますが、日本の医師が未熟なのではなく、医療というものがそういう性質なのです)。

ようやく昨年あたりから国民も気づき始めましたが、いずれにしても最後に損をするのは患者、ということを忘れてはなりません。
もう少しこれらのことを勉強をされて正しい道が何かを模索してみることを願います。

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