安心と希望ビジョン会議2(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年01月29日 20:37

舛添厚生労働大臣肝入りの標題会議。
本日夕刻に2回目がありました。
(1回目の模様はこちら


文句なしに面白かったし勉強にもなったので
早速、ちょっとずつご報告する。


本日は有識者2人へのヒアリング。
世界の中から日本の医療を見るということで
尾身茂・WHO西太平洋地域事務局長
歴史の中から現代の医療を見るということで
新村拓・北里大学一般教育部長。


余計な前置きはなしに、尾身事務局長の話から拾っていく。

「日本を離れて20年になる。外から日本の医療を見ているし、また他の国の保険制度も見てきた。そういった視点から少しお話をしたい。

日本の医療を少し評価してみると、一般に使われているOECD各国の医療費の対GDP比比較であるとか、人口千人あたり医師数で見ると、マクロで見れば日本の医療は大変効率的であると言える。つい最近まで、WHOの中でも、特にフリーアクセスを実現しながら、あまり医療費を使わず、スタッフの数も少ないということで優等生であった。もちろんミクロで見るといくつか改善しなければならない問題はあって、たとえば1年間の医師の診療回数がOECDの中でも圧倒的に多い。それから、たとえばCTスキャンの普及率は断トツの一位であるとか、まだまだ効率化できる点はある。今まで述べてきたことが数値で表せる日本の医療の特徴である。

その他に数値では表せない、いわく言いがたい日本の医療の特徴が3点あると思う。

まず一点目。極端に社会主義的、平等主義的なことと極端に自由主義的なことが混在していることは世界の中でも際立った特徴だろう。前者の代表は、国民皆保険であり、個人的には大変素晴らしい制度だと思っているが、それから診療報酬で卒後一年目の医師だろうが20年30年経ったベテランだろうが同じ医療行為に対する点数が同じということは平等主義だろう。一方の自由主義的なところはどこかというと、開業が経済的条件を除けばほとんど自由である。そんな国は日本くらいしか知らない。それから医療費のマネジメントの面でも一部にDPCは導入されてきたが、ほとんど出来高払いで、その点も自由主義である。

次に二点目。欧米と比較すると、医療の量の評価はあるが、質についての客観的評価が甘くなっている。立派な先生もいるけれど、一方でたとえば専門医の資格が欧米に比べて簡単に取れるように、全体として評価のシステムが弱い。それに派生して、質に見合う報酬がない。もちろんお金だけでやっているわけではない、お金なんか関係ないという先生も多いことはよく知っているが、早く良くなったからといって収入が増えるわけでなく、むしろヘマをして何度も処置をした方が収入が上がる。

最後の三点目。欧米では、専門医とゲートキーパー、かかりつけ医とか家庭医とか総合医とか呼び方が混在していると思うけれど、それがハッキリ分かれていて役割分担されている。英国が典型だけれど、その点が日本と違う。

以上3点の特徴を備えた日本の医療を外から見ていて、素晴らしい制度が崩壊しかかっていて、新臨床研修制度がそのトリガーになったという説明も聞くのだけれど、たしかに新臨床研修制度がトリガーになったかもしれないけれど、既にその前から日本の医療は3つの根元的な課題を抱えていて、それが顕在化したに過ぎないと思う。

3つの課題とは、まず一つ目。医療サービスは本来公共財として扱われるべきものであり、車やテレビのように好みとかお金のあるなしで受ける受けないが決まるものではない。誰もが病気になるリスクはあるのであり、そのリスクを皆でプールする仕組みであり、決して一部の人のものではない。断じて医師のものでも一部の患者のものでもない。その認識がこれまで低かったと思う。

次に二点目。全体として見れば日本の医療はターニングポイントに来ているにも関わらず、そのビジョン、イメージ、あるべき姿が国民的コンセンサスを得ていない。どういった医療、保険、システムのあり方を考えずに、ややもすると場当たり的で来たのかもしれない。

三点目。機械の共有とか、地域全体でダイナミックな連携をすることが、やや足りなかったのだろう。

この3点の課題を踏まえて私見ながら、どんなコンセプトが必要なのか5点挙げる。

1、医療・医師に関して公共財としての概念を浸透させる。プロフェッショナル集団としての職業の自由は最大限に尊重するけれど、同時に公共の福祉も考えないといけない。どこに行っても何科の医師になっても自由というのは、どこかで是正しなければならない。

2、そろそろ大きなデザインを構築する必要がある。今の人口動態、病気のパターン、人の動きを考えれば、各地域ごとに何科の医師が何人必要か、もちろん100%一致することなんてあり得ないにしても最大公約数的なものは求められるはず。それは臨床研修の人たちの地域配分も同じで、もちろん教育機関としての適格性は見ないといけないけれど、基本的に地域ごとに配分が決まっていていい。それから、そろそろ結果に対するインセンティブを入れる、つまり診療報酬の中に医療の質を反映することが必要でないか。

3、専門医と総合医の役割をハッキリさせ、分担させて連携させる。

4、プロフェッショナル集団としての自浄性が必要。個人的な感覚で述べると、特にヨーロッパの医師集団に対する社会的な尊敬度は日本より高い。医師側にも努力が必要だろう。

5、国民的な議論の場が必要であろう。そこには政治家、官僚、医療者、マスコミ、患者が参加する。そして結論を急がず、数年かけて腰を据えて議論する時期に来ている」


非常に論旨が明解である。
医師たちには素直に受け取れない点がいくつかあるだろうが
いみじくも朝日新聞の28日付社説とシンクロしており
この流れは止められないと考えた方がよいと思う。
問題は、お上にやられるか、自分たちでやるか、だ。


なお、実は国会が荒れているため(らしい)
この時まだ舛添大臣は来ていない。
次の新村教授が話し始めたところで定刻より25分遅れで到着。
テレビカメラの頭録りがここで始まる。
どうせ放送しないくせに、なぜ議論をブチ切る? と思うが
まあ万が一ということもあるしな。
登場の舛添大臣
「一言言った方がいいの?」と事務局に尋ねてから
「本日、官邸の社会保障国民会議も第一回会合を持った。この検討会と同じテーマで国民を代表する人々が議論する。私達の検討とも接点を持つだろう」とだけ言って新村教授に場を返した。


新村教授
「歴史を踏まえて現代の医療をどう見たらよいのか、課題を6つ提示したい。

まず看取りのありかた。古代において既に看取りの方法がマニュアル化されていた。それは主にお寺さんの中でのことであった。中世になると、その辺のことを一般向けに教える指南書のようなものが出てくる。江戸時代には、それが広く踏襲されて教養・常識として定型化していた。しかし明治に廃仏棄釈もあって人心の仏教離れが進む。また同時に西洋から医者、看護婦というものが入ってきて、看取りの場に加わる。それまでは、家族・親族・信仰仲間が看取り、死を確認して、死後の処置も行ってきた。しかし、明治7年以降は医療者が前面に出てきて、家族・親族は背後に引っ込んでしまう。つまり医師に国家資格が付与され、半公人としての医師が死を確認して死亡診断書を出さなければ、火葬も埋葬もできなくなった。それでも、しばらくはターミナルフェイズに医者が関与することはなかった。なぜならば死は穢れを伴うし、死は医療の敗北でもあるから。でも段々死亡前の状態にも関わるようになってくる。

それで1960年代まで来たところで高度成長の核家族化によって、伝統的な看取り文化が消失した。地域からも家族からも失われた。ここへ来て厚生労働省が在宅死を推進しようとしているけれど、そう言われても看取りの文化を持たない家族の方は、どう看取ればよいか分からず困ってしまう。頑張ったとしても最後には救急車を呼んでしまう。在宅死が必ずしも望ましいとは限らないと思うけれど、少なくとも推進するからには、看取りの文化を再び勉強し直す必要がある。

文化というものは教育がなければ失われるものだ。実は、かつては高等女学校の家政学で看取りを教えていたし、農村の女子青年団でも講習会を開いたりしていた。父母や地域を通じて教育をされていた。今は死は老人にしか起こらないことになっているけれど、戦前は死亡者に占める65歳以上の人の割合は23%に過ぎなかった。4分の3は若い人が死んでいて、死亡があらゆる年齢層に行きわたっていた。だから、人の死を直に勉強する環境にあった。それがない以上、学校教育の中で看取りの文化を教えなければならない。あるいは公民館などで介護の勉強会などあるが、その時に併せて看取りの方法も教えればいい。

看取りの文化が甦れば、少なくとも選択肢が広がることにはなるだろう。在宅死を願う人が8割いて、でもそのうちの3割しか希望を叶えられていない。7割は家族に拒否されている。いったい自分は何のために生きてきたのかと思いながら死んだのでないかと想像してしまう。在宅死は高齢者の希望を叶えるだけでなく、デス・エデュケーションの機会でもある。それはいかに生きるか考えさせる。看取りの文化を勉強する機会を提供するような地域のネットワークができれば、その地域で安心して死ねることになるし、街の活性化にもつながる。

ふたつめは医師の資質と養成のありかた。典薬寮というのは、昔の厚生省のようなところだが、そこでは医師の養成にあたって教養と倫理、また理論より技術実技が非常に重視されていた。2年間の教養過程の後に5年から7年の専門過程があった。また医師の評価方法も奈良平安時代には既にあった。治療が終わったら患者が報告書を出す。それを1年貯めておいて、治癒率が7割以上あれば上、5割なら中、4割なら下で4割以下はクビになる。患者が質を評価するシステムが行われてきた。遍歴医という制度もあったが、新臨床研修制度はまさに色々なところを回ってその良いところを吸収するシステムで現代の遍歴医と言える。

3つ目が病院のありかた。診療所が大きくなって病院になったため、機能分化がない。分化のないところに連携もない。分化させて初めて連携ができる。地域医療連携システム、オープンシステムが今後広がっていけばいいかなと思う。欧米の場合、病院は寄付や慈善事業、教会の付属として存在するので、地域の皆さんが自ら参画しているという認識と愛着を持ちやすい。日本でも地域の医療機関に対して、地域の人々が自分たちのものであると考えるような工夫ができないか。たとえば寄付控除であるとか、ボランティアの育成であるとか。歴史を見れば、経済が伸びて生活水準が上がった時には、医療需要も増え、それを満たすために医療機関が増えてきた。そして医療供給がまた需要を掘り起こす。だから経済が伸びている時に医療費を削減するのは難しい。

4つ目は健康管理のありかた。有名な貝原益軒の養生訓は、その時代までに言われていたことをまとめたもので、益軒のオリジナルはほとんどはない。その中で自己管理・自己責任を説くわけだが、江戸時代中期になると、養生訓を否定する考え方が台頭してくる。すなわち、養生訓ではなぜ長寿をめざすかというと、人格の完成をめざさなければいけないし、それが自らを生み育んでくれた父母や天地への孝行になる、だから養生して健康でなければならないということで禁欲・中庸を説くわけだ。しかし、長生きしたって介護の負担が増えるだけだし、人生の質も下がるので良くない、むしろ禁欲を求めるのでなく、禁欲を求めるとかえってそれがストレスになって短命になる、ほどほどに生きてほどほどに死ぬのが良いという考え方が一定の勢力を持ってくる」

配られたレジュメには、5医療技術のありかた、6認知症老人とのかかわりかたという項目も入っていたのだが、どうやら有識者1人に与えられた時間は15分しかなかったようで、事務局から伝令が出て陳述はここまでとなった。


この陳述を受け、どのような議論が行われたかは、次項にて。

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コメント

尾身さんのお話は、彼が自治医大卒の医者であることを割り引いて考えなければならないでしょうね。

政府が進めてきた規制緩和と選択の自由と市場原理の恩恵を、国立大卒医師と私立医大卒医師は受けることができる。

自治医大卒の医者には移動の自由が認められず、9年間の僻地勤務があって、指定された大学病院でトレーニングすると邪魔者扱いされ仲間はずれ的な状況にさせられる。
大学関連の一般病院に勤務するとでは他の医者が受け持ちになりたがらない患者を持たされる。
国立大医学部や私立大医学部を卒業した医者には自治医大の卒業生が得られることのない勤務状況がある。自由度も高く、新研修医制度や大学の医局を離れても労働条件の良い職場が見つかる。
自治医大卒にはない。

尾身さんの言い分は、自治医大卒医師が味わった悲哀を国立大卒や私立医大卒医師にも味合わせてやりたいという復讐心からでしょう。

一般の国立大学や私立大学の医学部を卒業した医者が自治医大卒の医者を見るときは、こんなもんだと思います(一般化はできませんが、今までの勤務先の医師たちの言い分はこうでした)。
僻地勤務医が足らないのなら、僻地勤務義務づけの自治医大入学者を毎年1000人から2000人くらいに増やせばよい。
僻地や医療過疎の地域は、彼ら自治医大卒医師が全て行えばよい。

専門医制度の問題点などは、自治医大卒のかたに言われなくても一般の医大卒医師でも、その程度のことは考えています。
わざわざ自治医大卒のかたに指図されるいわれはありません。

自治医大卒医師が味わってきた悲哀を一般の医大卒の医者にも味合わせよういうお考えのようです。

かなり意地悪な言い方ですが・・
・・・なんだコイツ、そこまで言うか?コンプレックスとか、そういうことじゃないだろう。全然尾身さんの発言の趣旨がわかっていないじゃないか・・・と川口様に叱られそうですね。

産業が衰退して、若者が去って、高齢者と単純労働者だけが残り、人口も減少して、経済成長も望めず・・・そんな地方に医療が赤字なしで成立はしません。
医者が都市部に去っていくのは、当たり前と言えるかも知れません。

>病院勤務内科医先生
早々とコメントありがとうございます。
なるほど、ですね。

病院勤務医師さんがどのくらい自治医大の実情に詳しいのかは不明ですが、多少誤解があるように思います。
病院勤務医師さんの指摘のような自治医大の悲哀?はいくつかの(自治医大卒業医師にとって)恵まれない地方の県には確かにある事実です。
しかし、県によってまったく事情が違うということもまた、事実です。日本で一番のへき地を抱えているのは実は東京都。竹芝桟橋からの週一回の26時間の小笠原丸での父島、母島の小笠原勤務。
東京都はへき地度は超一級ですが、逆にへき地勤務のスパンは6ヶ月や1年単位です。
でも、東京都の自治医大卒業生は基本、都立病院勤務で専門性という意味でもかなり、地域医療、プライマリケアから離れたところの医師としての専門性を確保されています。
中には東京都出身で奥多摩のほうで本当にへき地医療を続けている卒業生もいます。
が、少なくとも尾身さんはそんなに悲哀を感じるような勤務はしてないと思いますよ。
尾身さんに聞いたわけではないですが。

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