医師謝罪会見で感じた違和感。

投稿者: | 投稿日時: 2009年02月22日 10:59

今日は、「事務局のナゾ」の続きを書こうと思っていたのですが、昨日ちょっと気になったことがあったので、勢いでそれについて書いてみたいと思います。(事務局のナゾのつづきは、また明日。)

昨日、たまたまついていたテレビに何気なく目をやったときのこと。香川の県立病院でおきた受精卵取り違え騒動に関し、担当医の謝罪会見が行われていました。まず目に飛び込んできたのは、フラッシュを浴びながら、淡々と謝罪の言葉を述べる医師の姿です。このときまず私の中に湧き上がってきたのは、ぼんやりとした違和感でした。


もちろん、こういった医療過誤で釈明・謝罪の記者会見が開かれるのは特にめずらしいことではありません。私もその疑惑についての報道は、「避けようがあった医療ミスがまた起きてしまったのか」と気にはなっていました。でも昨日、どのチャンネルをつけても、担当医本人がカメラに取り囲まれて「私のミスです」と謝罪している画が繰り返し流されているのを見て、しだいに「なんだかどこかがおかしいな」と感じ始めたのです。


人間はだれでもミスをおかします。だからこそ昨今、医療機関の安全管理体制の確立と徹底が重視されてきたのです。医療過誤のみならず医療事故全般について、発生を回避したり、あるいは発生を前提に重大化を防ぐための網を二重三重に張るべく、作業手順やマニュアルの整備が各所で進められているのです。そう考えれば、今回の問題の所在は明白です。すでに報道されているように、ミスを想定していなかった作業マニュアルの不備と、本来ダブルチェックと呼ばれる2人体制で行うべき作業を、担当医師が15年間もほぼ1人で行ってきたという現場の人員配置、その放置が根本にあります。

これが、個人病院やクリニックの院長自身が診察にあたった際のミスならば、本人は組織および業務全般の管理者であり責任者ですから、自ら釈明・謝罪会見を開くのはむしろ当然です。でも、今回の件に関していえば、作業マニュアルの不備と2人体制の不徹底の責めを負うべきは、やはり病院であり、香川県にほかなりません。患者そして県民の信頼を損なったことに対する謝罪は、彼らが行うべきものです。


だからこその違和感です。

マスコミとその向こう側にいる顔の見えない不特定多数の人に対して、医師本人が謝罪をする必要があったのか。私にはいまいちピンときません。もちろん自分が被害者なら、医師本人にも謝ってほしいと思うのは自然な感情だと思います。それでも、もし自分が被害者でも、あの記者会見が必要だと思ったかどうかはわかりません。意図的でないにせよ、医師を隠れ蓑にして、世間一般の厳しい視線からうまく逃れている人は本当にいないのか。なんとなく責任の所在がぼやけてしまわないか、そんなことを考えてしまうのです。


ちなみに、私は医療者ではありませんが「周産期医療の崩壊をくい止める会」の事務局のおかれている研究室に所属しています。だから一般的な感覚とズレがあるのでしょうか。時々、自問します。でも、今回の一件は、私にとって決して他人事ではありません。妊娠・出産を経験した女性として、被害に会われた方の心の傷の大きさは、察するに余りあります。そして不妊治療もまた、今の私には必ずしも他人事とは言い切れなかったりするのです・・・・・・(それについてはまた、機会があればお話ししますね)。

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コメント

一般人ですが、私も医師が国民に対して謝罪する必要はないものと思います。
謝罪は被害者に対して向けられるべきであって、会見でそれを強要するマスコミの姿勢が一番おかしいのだと思います。

マスコミは上から目線でそれをあたり前のように強要していますが、そういう姿勢自体、すでに国民から違和感を覚えられているので、それが現在のテレビ離れやマスコミ批判につながっているのだと思います。

ということで私自身の意見になりますが参考までに。

さっそくのコメントありがとうございます。ご指摘いただいたとおり、マスコミの振りかざす「正義」は、ときにとても横暴で独りよがりですね。いっぽう最近は「リスクマネジメント」という言葉が中途半端にひとり歩きでもしているのか、「とりあえずできるだけ早く、一番偉い人もしくは張本人が表に出て謝ってしまえ」みたいな謝罪会見もあちこちで見られます(公的機関は隠蔽体質のせいか、それさえできていなかったりしますが)。テレビのこちら側に座っていると、どっちもどっち、なんだかむなしいですね。

さて、さすがにマスコミも今回は医師本人をそこまで糾弾してはいないようですが、先ほど1人だけ真顔で堂々と「医師としてありえない、命を軽んじている」的な発言を番組内でしている人がいました。某有名タレント医師でした。思わず苦笑です。

>だから一般的な感覚とズレがあるのでしょうか。

いえ。論理的に考えればたどりつく結論だと思います。
その論理を形作ってゆくための報道がなされていない、そこが問題。

>、「とりあえずできるだけ早く、一番偉い人もしくは張本人が表に出て謝って
>しまえ」みたいな謝罪会見もあちこちで見られます

ですね。全然、本心では謝罪する気もないのに・・・・って感じの奴。
ただ、そんな席で、鬼の首を取ったように、正義面して突っ込んでいる記者、ってのにもあきれますが。

違和感、同感です。


医療、ジャーナリズム、行政、政治のいずれの「業界」にも属していない者です。


この医師が担当した施術だけではなく、同じ管理下、組織運営下にある診療科すべて(この病院と、香川県がオーナーである全ての病院内)での仕事の質を点検すべき問題だと思います(医療者の自己点検も)。

そして、再発を防止し、より安全で優れた、社会に求めらて認められる医療のために何をすべきか、という観点が、マスコミには欠けていると思う。
(本人たちは我こそ民意、という意識をお持ちのようですけど)


この件に限らず、政治や経済のニュースでも、ゴシップとしてしか報道できないマスコミの疲弊を憂いています。

政治より、ジャーナリズムの劣化のほうが深刻ではないでしょうか。


政治には回復のメカニズムがあるが、ジャーナリズムには無い。
そして、ジャーナリズムの疲弊が政治の回復に及ぼす悪影響は大きい。

コメントありがとうございます。

そうですね、しかもどうしてマスコミの報道はあんなにみんな一緒なんでしょうね。記者クラブの問題は時々取り沙汰されますが、あってもなくても、横並び報道については変わらないだろうなあ、と思わされます。これだったら新聞もテレビも、べつに何チャンネルもなくても、受け取れる情報にはきっと大差ないんじゃないかと……。

こちらもインターネットなどを活用しないで情報収集していたら、いつの間にか思考停止と変わらない状態に陥っていそうです。

>ママサンさん、

すみません、コメントへのお返事が前後してしまいました。ひとつ前のお返事は、ママサンさんにいただいたコメントを受けたものです。改めましてご意見ありがとうございました。

>kazusciさん、

コメントありがとうございます。
「政治より、ジャーナリズムの劣化のほうが深刻ではないでしょうか・・・政治には回復のメカニズムがあるが、ジャーナリズムには無い」とのご指摘、そのとおりなのかもしれません(どちらにも精通しているわけではないですが)。

政治は、もともと監視される側の立場にあります←そ
れが機能しているかどうかはともかく。いっぽうマスコミは、「言論の自由」を盾にやりたい放題できる人たちです。もちろん権力や体制からの自由は保障されるべきで、だからこそ、自分たちの権利と使命を履き違えることなく、その責務を果たしてほしいのですが・・・。世論の支持・不支持がマスコミを左右しているといっても、情報の非対称性を考えれば両者の力関係は自明ですし、すでにミスリードされている世論に迎合すれば、悪循環は止まりません。

でも実際のところ、テレビの視聴率は低迷しているし、新聞も読まなくなっている。たぶんみんな気づいてきているんですよね。

この医療ミスは非常に重要です。ご指摘の通り、個人の注意力に原因を求めてはいけない、システムに原因追求しないと本当の解決にはなりません。ダブルチェックなどこてさきのシステムだけでなく、人員配置にも注目すべきです。医師以外のスタッフの関与、人員配置と人工授精の件数や患者数、また当事者の医師の勤務状況(過剰勤務で正常な判断が行える状態だったかなど)や経験年数など。マスコミや一般には非公開でもいいと思いますが、医療従事者としては自分がミスをおこさないかをひやひやしながら綱渡りのような仕事では困るのです。医療はサーカスではありません。A地点からB地点へ行くのに綱ではなくて安全で頑丈な幅広の橋であってほしいのです。私の病院でも因子電インシデントレポートは毎日のように発行されてますが、個人の注意や各病棟のマニュアル不備にだけ原因が注目されてます。人員配置の見直しはまずないです。人員だけではありません。環境も重要です。2件の人工授精は別の部屋で別の部屋で行うことも検討すべきでしょう。シャーレに名前を記すだけでは対策にならないのは明らかです。さまざまな視点から見直さないと今後大変なことがおこるという私たち医療者への警告に思えてなりません。以前にも手術室で患者取り違い事件があったと思いますが、その教訓が国として生かされてないからこそ起こった問題ではないでしょうか。

ナースさん(お名前からすると看護師の方かと思いますが)、現場からの切実な声をありがとうございます。

人員配置の問題は人員確保、作業環境の問題はスペース確保と、さまざまな課題を伴うため、なかなか即解決とはいかない医療機関も多いかもしれません。しかし、ナースさんが現場で実感していらっしゃるほどの深刻さを、管理責任者が果たしてどれくらい認識しているか、そこが気にかかりますね。インシデントレポートにしても、“書きっぱなし”で次につながっていないという話もよく聞きます。のみならずご指摘のとおり、各自の反省文にとどまっていては抜本的改善につながらないということを、書く側も意識する必要があるのですね。

全国の医療機関には、一般の人が考えている以上に、日常的に“綱渡り”している現場が多くあるのかもしれません。そのことに、綱渡りをしている人自身も気づいていないのかもしれません。今回の一件も、回避できたミスに違いない反面、起こるべくして起きてしまったということでしょうか。

私も同様の違和感を感じました。記者会見に医師を立たせたということは、今回のことを医師個人の問題として片付けようとしているのかもしれません。県および病院の医療従事者を守る姿勢、システムの問題として取り組んでいこうという姿勢が感じられず、残念です。このような病院はきっと将来、医療従事者を職員として集めるのに苦労することでしょう。医療従事者が病院を選ぶ時代ですから。

> beaverさん、
同じような違和感を感じていただいたということで、私の感覚もあながち間違っていないのだとちょっとほっとしました。

なるほど「医療従事者が病院を選ぶ時代」、そうですね。ちょっと前までは「患者が病院を選ぶ時代」などといって、「医療もサービス業だから、これからは『患者様』とお呼びしましょう!」なんていう声があちこちから聞こえてきたものですが、いまや医療者も病院を選ぶのですね。確かに医師不足・偏在の問題はそういうことに違いありません。先日は臨床研修制度も見直しが決まったようですが、それでも今後ますます病院ごとに明暗がくっきり分かれていくのでしょうか。

いずれにしても、その影響が私たち患者にどう影響するのか、そこが一番気になるところです。医療制度に関しては、現場の医療者不在で決定されていくことがしばしば問題になりますが、私はそれにも増して患者(国民)不在ではないかと心配になります。けれども実際、医療者・患者両者を含んだ“現場”の声を発信していくことは、言うほど簡単なことではないのですよね・・・。

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