医療と介護 私たちが考えるべきこと。

投稿者: | 投稿日時: 2009年06月08日 02:26

昨日のエントリーでは産科医療について京都府医師会の主催イベントをもとに振り返りましたが、その「こんなんで委員会」に参加されている方から、同医師会の次なる取り組みについて教えていただきました。


それは「介護」です。

頂いたメールでは、産科や救急、そして介護といった問題をそれぞれ分けて考えていてはいけないんじゃないか、という問題意識について述べておられました。京都府医師会の「こんなんで委員会」でも、次なるテーマとして、「介護の心得○か条」を作ろうという話が出ているそうです。当初はテーマごとに、それぞれの専門家や当事者で話し合う企画だったようですが、より多くの視点と意見を盛り込み、共有するために、前回シンポジウムに立った産科チームも引き続き参加して、ともに介護について議論を始めたとのこと。


私も親戚に介護職に飛び込んだ人間がいることもあり、医療と介護の接点や協働については関心を持っていました(過去のエントリー)。もちろん医療の中で、産科、小児科、救急について線引きをして考えられないことも、これまで折に触れ書かせていただいてきたとおりです。そうした介護と医療の交わる部分(ベン図のように大きく重なり合っているのですよね)ついて、医療界からの動きが出てきたことは一歩前進と考えていいのかな、と思っています。


昨日、ちょうどそんな記事も目にしました。

たん吸引など、特養介護職員に認める…厚労省方針
読売新聞 2009年6月6日

記事によると、全国約6000か所、約40万人が暮らす特別養護老人ホーム(特養)では、看護職員の配置基準は入所者100人あたり3人で、病院などに比べて手薄なため、介護職員が無資格で医療行為を担っている実態があるそうです(本来は医師法違反)。安全確保のためにも、研修を受けた介護福祉士が、医師や看護職員の指示を受けて、口腔内のたんの吸引、経管栄養の経過観察、片づけを行うモデル事業を実施して、認められる行為の指針を打ち出す方針とのこと。


先に枠組みや形式ありきでなく、現場の実態を直視して柔軟な対応策を作っていく姿勢は評価できるのではないでしょうか。ただしもちろん、具体的な施策がそこで終わってしまったとしたら、ただでさえ介護職の重労働・低賃金の現状があるところに、堂々と彼らにさらなる負担を押し付けることにもなりかねません。


これに対しては、職員の待遇改善を図るべく「介護職処遇改善交付金」(仮称)の創設も決まっており(介護職処遇改善交付金の事業所向け説明会、7月開催へ ロハスメディカルweb 2009年5月31日 ほか)、次回の介護報酬改定時には制度改革により介護保険財源を確保する旨の厚労省老健局長の考えも報道されています(次回介護報酬改定時に大規模制度改革も 医療介護CBニュース 2009年5月26日)。


ちなみに、今年度の介護報酬改定では微増となったものの、過去2回の削減により経営側は大変な苦境に立たされており(老人福祉施設の倒産、過去最高=介護報酬削減響く-08年度 時事通信 2009年5月28日)、結果的に依然として待遇改善につながってきていない実態もあるようです(介護報酬増えたけど 特養、待遇改善進まず 北海学園大・川村准教授が調査 北海道新聞 2009年5月22日)。


してみると、診療報酬改善に加えて「介護職処遇改善交付金」を創設するという2本立ての施策を推進していくのであれば(←診療報酬の使い道が事業者に任されていることを考えると必要ですよね)、一定の期待ができると思います。


さて、こうした政策・施策の数々を見ていくと、これまで医療が担ってきた部分を「介護」として確立させたことは、政策上は都合がよく、問題の直視と対応にもつながっているようにも見えます。実際、高齢化がますます進行するなかで介護の果たす役割は大きくなるばかりです。しかし冒頭でも触れたように、もともと医療と介護は性質上、重なり合っていて線引きが難しい分野です。そうした部分についてどう折り合いをつけていくのか、その答えは現場からしか出てこないだろうと思います。ですから今回の京都府医師会のように、それぞれの現場が歩み寄って理解と協力を深める議論が一層重要になってくるのですね。


いずれにしてもそのような取り組みは、まだまだ始まったばかりです。ところが、医療費削減を目的とする病床数削減は、紆余曲折ありながらもすでに進められてきています。大量の介護難民が生み出される危機的事態が避けられる目処は、全くついていません。現場の歩み寄りだけでなく、行政上も足並みを揃えることが急務なはずです。(こうしてみると、お産難民と同じような状況が見えてきます・・・。)


そして私たちも、介護と医療のあり方についての根本にも目を向けなければと、自戒を含めて思います。例えば、療養病床なのか介護施設なのか、というのは、本来は最終的な受け皿の議論の一つでしかないですよね。本当は、困難ながらも自らの意思で、自宅で親御さんを介護を選択しようと考える人がいたときに、それが実現できるような公的サポートをもっと充実させることなど、多方面から介護をバックアップする体制があってほしいのです。そうして様々なオプションがあれば、介護のあり方ももっと自由になり、もっとポジティブになれるのでは、と思えます。


さらに突き詰めるなら、人生の終末期をどのようにして迎えるか、どのように迎えたいか、という問題に個人個人が目を向け、人生と向き合っていくことを考えるべきなのでしょうね。それは家族のあり方とも関係してくるかもしれません。目先のベッドの確保も確かに必要ですが、もっと広い視野に立って、そして家族の将来のかたちという長い目で考えていかなければ、「人生最後は全員、特別養護老人ホーム」ということになるでしょう。私たちは果たして本当にそれでよいのか・・・。


そのようにして国民の意識が真に高まり、一人ひとりが考えてこそ、本質的な問題解決への道が見えてくるのだと思います。

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コメント

自分で書いたブログですが、その後数名の方に、ここで引用した、たん吸引を介護職に認める厚労省の方針の記事についての“読み方”を教えていただきました。

要は、従来は暗黙のうちに認められていた医療行為に明確な線引きがなされることで、「運用が硬直化」する、というのが現場の感覚らしいです。

確かに、介護と医療(+看護)が重なり合っている以上、「どこまでが医療行為か」という問題について、現場の実態を受けてのこととはいえ、行政が紋切り型に線引きしてしまうことは無理がある話なのかもしれないと思い直す次第です。

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